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鎌倉殿の13人

第42話(22/11/06)

 ある時、実朝の夢枕に上皇が立ちました。
 あれぇこの展開2月とか3月にも見たことあるぞ…?
 てか実朝がこのコントやらされるとは(笑)。
 
 というわけで上皇はめっちゃ軽いノリでこれから一緒に頑張ろうね、というのでありました。
 実朝は泰時を呼び、今後上皇を手本とした政を行う、力を貸して欲しいと頼みます。
 いろいろ義時に言えるのはお前だけだからと。
 泰時は実朝のことどう思ってんでしょうね。
 あの和歌の意味理解してるのかなと思ったんですがそんなそぶりもないし。
 
 民から訴状が届いていて、日照りで年貢がいつもどおり治められないという訴えを
聞いた実朝は、将軍家の所領だけでも年貢を1/3にしようと提案します。
 ただそこだけだと贔屓と思われるので、年毎に年貢を1/3にする地域を変える、と
泰時が提案します。
 で、義時がお前はどういう立場でそこにいるのだと泰時に言うのですが泰時は、義時が
義弟という立場で頼朝の隣にいたように、自分もいとこという立場でいるのだと反論。
 うむ、やりますな。
 
 ただ義時はこれではやりにくいと感じたようです。
 のえや二階堂は執権になることを提案。
 義時は時政のようにならないか心配していたようでした。
 それでも結局執権になって三浦にからかわれてた。

 実衣は政子に、実朝は自分の政をするんですってと告げていた。
 自分が見守るという実衣に対して政子は誰かがそばにいてやらないと、と言っていて、
彼女ではダメだみたいなこと言ってるのかねえ。
 この姉妹仲がいいのか悪いのか…。
 まあ結局実衣がそばにいることになるのですが。

 さてナカオカなる者の訴えがあがりました。
 米の取れ高が乏しかったのに将軍領は年貢が1/3でいいという、自分らは通常なのに
これは不公平ではないかと不満があがってると。
 まあ当たり前のことですよね。
 泰時があわてて調べさせるというと義時はもうトキューサに調べさせているという。
 こういうところは義時さすがですね。
 義時は周りがもっとしっかりしろ、と一喝します。

 実朝はなんか上半身裸のお子様の絵を拝んでたけどこれ何。
 聖徳太子?
 違うよね。
 そこに仲章が戻ったという知らせが。
 彼は、陳なんとかってやつを連れてきたというのです。
 したらこいつが実朝に向かって、自分は前世でお会いしている、その時あなたは長老で
私は弟子でしたというんですね。
 そういう確かめようのないことを言うやつは信用ならない。
 実朝はいたく感動して、実は夢日記をつけてるんだけど、今陳が言ったことはここに書いて
あるのだ、と言います。
 お前の前前前世なんか知らないよ。(それ歌のタイトル)
 実朝は船を作ろう、と言い出します。
 それも夢で見たんかい。

 実朝は泰時、千世に自分は宋に行きたいのだと語る。
 聖徳太子のようにやり取りしたいって。
 …聖徳太子は隋にケンカ売る手紙を送って、隋のお偉いさんが激怒して、その返信を
持ち帰るのに小野妹子がさすがにやばいと思ってその返信、海に投げたんですけどね。
(紛失したことにした。薄々わかってたのか聖徳太子も入鹿も処罰せず)
 向こうの国は結構怖いよ。

 トキューサは義時に、伊豆の時政が足を悪くしていると聞いた、見舞いにいきたいという
けど空気読んでやめときますといった。
 義時は泰時に行かせろ、と言います。
 
 そして京から丹後局(後白河上皇の嫁)がやってきました。
 政子に喝を入れるのいいですねー。
 何のために生まれてきたのか考えろって言ってました。アンパンマンかな?(OPの歌詞じゃねえよ)

 で、泰時は船作って宋に使者送ろうとしてると義時に言います。
 義時は余計なことをって言ってる。
 三浦が、北条にとって余計なことだろって言ってますが義時は、御家人の負担がでかいといった。
 そして陳が実朝から信頼を得たくだりも、夢日記はあの部屋に自由に出入りできるものなら
誰でも見られる、仲章が仕組んだ可能性もあると言っている。
 なんで寝所においておかないんだよ実朝め。
 義時はこの一件、上皇が糸を引いているなと考えたようです。
 泰時は八田に陳を手伝ってあげてといいます。
 うーん。

 京ではなんでそんな北条を目の敵にするって言われてたけど、慈円は同属嫌悪みたいな
こと言ってた。
 まあそうかも知れませんね。

 由比ヶ浜にて。
 船が作られていました。
 八田は陳の設計に不安を覚えるも、一応手伝ってた。
 そして義時は実朝のことを政子に一応相談していた。
 西と手を組もうとするのは頼朝の意思に反するから、退いてもらう、というわけです。
 
 そんなこととは知らない実朝は泰時と千世に、一緒に宋に行きたいねーと話をしてました。
 仏舎利もらってきたいと。
 この時代はどうだっけ。
 多分いってもニセモノ渡されるだけだと思うんだよね。
 今でも仏舎利はそう簡単に本物はもらえず、きちんと修行して徳を積んだ一部のお坊さんだけが
もらえるって話だから。
 それはいいとして。
 時房が船の建造を中止して欲しいといってきた。
 御家人の負担が大きすぎると。
 政子も、そんな急いで功徳をつまなくても、時間をかけて鎌倉殿になっていけばいいのでは、というのですね。
 ここで三善と泰時が懸命なフォローをする。
 泰時は柱に建造に協力した御家人の名前を記しましょうと提案。
 実朝の船ってわけではなくて、実朝と御家人の船にしましょうというわけです。
 これには思わずトキューサもいい案だといった。
 そういうわけで造船は続行に。

 政子は頼朝の時とは時代が変わったのでしょう、と大江に言います。
 今なら頼朝は実朝にどういうか、と。(西と手を組もうとしていることを)
 あとここでも政子は政を取り仕切る覚悟なんて出来てないって言ってたけど、ほんと何十年言う
つもりなんだ、とはちらっと思った。

 さて船を見に来た実朝。
 ウキウキですね。
 八田は三善にこれを機に引退するつもりだ、と告げます。
 見えないかも知れないがあなたと同じくらいの年だと。
 史実だと80歳くらいだもんねえ。
 ま、若い役者さん使うのは仕方ないと思うけど。

 しばらくして。
 時房がトウを連れてやってきた。
 そして設計図に何か細工をしていたのでした。
 これ後で陳が見て、これでは重過ぎるといっていたから、上に乗せる材料か何かを
本数多くしたりして総重量が重くなるようにしたんだろうね。
 いきなり総重量を増やしたら気づかれるからね。

 1217年4月17日。
 船は完成したのですが…。
 八田が物見やぐら組んでる実朝らのところに、えらいことになったとやってきた。
 いざ動かそうとしたら船が重すぎて浜にめり込んでいるというのです。
 陳は設計図を見て、これでは船が重過ぎると仰天。
 みんな懸命に引っ張るのですが、三善は腰を痛めて脱落、八田も上を脱いで引っ張るも
動かず、陳は途中で諦めてた。諦めたらそこで試合終了ですよ。←終了しました。

 この船を出そうと引くのは午の刻から申の刻まで続いたって言ってたけど、つまり4時間くらい
ずっとやったけどどうにもならずってことですか。
 てか見てたはずの三浦も脱いでるんだけどなにこれ。
 手伝ったという意味なのか八田に対抗して脱いだのか…。
 しかも皆スルーしてるし…。
 ともあれ船はピクリとも動かず、そのままここで朽ちていったそうです。
 砂浜なんだから掘って水を引けば何とかならんかとも思うけど無理かな。
 当時の技術だと。

 自分の無力さを痛感していた実朝に政子がそっと寄り添うのがよかったな。
 政子はもっと力をつけろといい、ある策を考えたといいます。
 そして実朝はみんなを集めていいました。
 自分は家督を譲り、大御所になろうと思うと。
 おおごと、というトキューサ。実朝が「大御所」と指摘してあげてて笑った。
 周りににらまれてたしトキューサ。
 で。
 自分は子供を作ることが出来ないから外から養子を取るというんですね。
 上皇に頼んで高い血筋のものをもらうと。
 義時は当然反論する。
 代々源氏が鎌倉殿をついできた、北条と源氏の血が入っているものがというも政子が、
鎌倉あっての北条だといったのはあなたでしょう、とピシャリ。
 泰時も鎌倉は父1人のためのものではない、と言います。
 雷鳴がとどろいてるのが怖いなあ。
 義時が怖いこと考えてる時に鳴るよね最近。
 実朝排除に向けて動き出しそうです。

 新世界より、が流れてるの怖いなあ…。

 仲章はニヤニヤしてる感じでトキューサが腹の立つ顔だと言ってます。
 いやあんたもさあ…。
 ともあれ義時は仲章のこと調べてないのかね。
 
 そんな中、公暁が戻ってきました。
 てか三浦としては彼を次の鎌倉殿にって気持ちあっただろうし、公暁自身も実朝が
天然痘で倒れた時鎌倉殿にって話があったんだからなりたい気持ちはあるだろうしね。
 それを無視して外から養子とるってなったから波乱にならないわけがない。

 泰時は伊豆に時政を訪ねていました。
 年はとったけどすっかり好々爺になりましたね。
 ただしりくはとっとと京に戻ったとのこと。
 ひどい女だよまったく…。
 でもサツキという身の回りの世話を焼いてくれる女性がいるみたいです。
 ずっと女が途切れたことはないと時政言ってたけど、まあ性格もあるんでしょうな。

 時政は今が一番幸せだと語ります。
 力を持つということはしんどいと。
 泰時はどう思ったでしょうか。
 きっと脳裏には今の義時が浮かんでいたと思うのですが。

 サツキが、芋転がってる(芋だと思うんだけど)って文句を言って、時政に拾わせようと
するも、時政は膝がいたくて、泰時、盛綱が代わりに拾ってあげていた。
 やっぱりこういうのがいいですね。
 時政はこの後伊豆で穏やかに余生を過ごし、78年の生涯を閉じたそうです。
 追放されてから10年後のことでした。


 次回第43話。
「長所と短所は紙一重」



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