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鎌倉殿の13人

最終話(22/12/18)

 季節が夏から始まるからおかしいと思ったんだ。
 吾妻鏡を夢中になって読んでいる若者がいました。
 1564年三河にて。
 家康は吾妻鏡の愛読者だったそうです。
 まるで善逸のうそだらけの武勇伝読んで感動してる善照みたいでちょっと笑った。
 そののち家康も坂東に幕府を開く、それも世界の歴史研究家が驚くような、戦争のない
平和な数百年間の礎を築くなんて誰が思ったでしょう。

 あまりにも興奮しすぎて、承久の乱読む前に一旦落ち着こうとしてお茶を本にこぼして
めっちゃあわてる家康に笑いました。

 さて皆が戦支度をしているのを見て長沼は鎌倉側が勝つかもしれないと危惧。
 三浦は、わからんぞという。
 御家人らも、戦はするけど何も京までいかなくてもいいよな、みたいな調子だった
からです。
 のえの方は戦の話を聞いて、これで義時と泰時らが死んでくれたら政村が跡継ぎに
なるからちょうどいいとか言ってるけど二階堂に、その頃には鎌倉が灰になってると
しかられていた。
 まあそりゃそうだ。

 大江が平家の失敗はすぐに追討軍を出さなかったことです、といってて義時は
では自分がトップに立って兵を出しましょう、と言うも大江や政子はあなたはここに
いてもらわないと、出陣は待ってという。
 そこに三善がやってきて、一刻も早く出陣しましょうと言い、政子が「では三善殿の
案で」って言うもんだからみんなが政子見てて笑った。
 さっき義時も出陣って言ったのに(笑)。
 それと細かいことですが、三善のカツラが違和感あった。
 皮膚の色がなじんでない感じ。
 どうしたんでしょう。先週までは自然だったと思うんだけど。

 泰時が総大将となって京に攻め込むことになりました。
 頼朝が山木を討ち取った時24人だったと言い出した義時、今回は18人だと。
 少なっ!
 泰時が「私を入れても19人か」と言ったときに義時が「お前を入れて18人」っていうのは
笑った。このやりとり前にもどっかであったような。
 義時は北条の命運はお前にかかっている、と言います。
 
 のえはまたぐちぐち文句言ってました。
 こりゃ何か決意しちゃった顔だなー。

 三浦は泰時が総大将になること、出陣することを聞いて、まあ2000人も兵が集まれば
いいほうだろ、背後から三浦は攻めると長沼と話していた。
 泰時の首を手土産に京へ入ると。
 しかし京の上皇が聞いたのは、1万人を引き連れている泰時の軍の話で、途中で
いろいろ合流し、「19万人の兵をごらんに入れます」と手紙が届く有様でした。

 宇治川が京側の最終防衛線ということで、橋をなくされてしまったためわたれず
泰時は一旦陣を構えて作戦会議。
 三浦が入ってきた時に朝時が、じじいうぜーんだよって聞こえるように言ってるの
笑える。
 しかも三浦が、俺なら流されることを見越して川上から川に入るぞとか言い出したから
「何言ってるかわかんねーんだよじじい」って言って、三浦が「誰が言ったー!」と
キレるの笑った。
 泰時は和田戦で使った、戸板作戦でいこうといいます。
 いかだを作り渡ると。
 ただし押す人間はよろいを脱いで水中に入る必要があるため、無防備で命の危険が
あるようです。
 後ろからいかだを押せばいいのに。両脇じゃなくて。

 あとこれは雑記帳みたいなほんとかうそかはわからない歴史の話をまとめた本に
記載されているのですが、川中島の戦いで、帰る信玄に文句言おうと川に入っていった
謙信が馬ごと川に流されて部下があわてる、なんてエピソードもあったとか。

 そういうわけでいかだ作戦ゴーです。
 普通にわたったがな(いくつか犠牲はあったけど)
 
 その頃鎌倉では義時があの仏像をもって泰時の勝利と安全を祈ってました。
 政子と実衣も祈ってるんだけど、実衣は全成のやり方そのままで懐かしかったなあ。
 あの文覚と争ってた時に見せたあれです。

 三浦は泰時軍の勢いを見て、こりゃ勝つなと確信した。
 ただここで上皇が出てきたら流れも変わるだろうということで、弟に頼んで上皇へ
出てきたもらうよう働きかけると。
 
 泰時は盛綱が矢を受けてるのを見て愕然とする。
 鶴丸!て幼少名で呼ぶくらい動揺してた。
 でも盛綱は自分にかまってるヒマはないだろ、行けといいます。
 そのあと盛綱は川の中に倒れこんだのでした。

 上皇は義時の首を貰い受けるだけでよかったのになんでこんなことになってるとあわてていた。
 そこに藤原と三浦弟がきて、上皇は腕に覚えがあるから戦場に出る、というのだけども
兼子が、後白河との約束を思い出せ!と言った。
 あの時後白河は、この京を守りぬけといってましたね。自分は守り抜いたと。
 その誓いを、出兵して大事なものが守れなくなってもいいのか、と兼子はいうわけです。
 思い出した上皇はここから動かない、と言うのでした。
 かくして三浦の目論見は崩れ去った。

 義時が、泰時が京に入ったという報告を持ってきました。
 入ったということは勝利したということですね。
 義時は政子に、私は初めて朝廷を裁くことになります、と悩みを見せる。
 一方で上皇は時房に会い、自分を騙した奸賊どもをよく討ち取ってくれた、まそういうことで
義時によろしくと調子いいこと言ってました。
 これはトキューサもさすがにどうかと思っただろうなあ。
 義時は知らせを聞いて、後白河法皇もそういうこと言ってたなーといってます。
 許すわけないだろうと。
 そりゃそうだな。
 そして泰時は沙汰の手紙が届いたと上皇にいいます。
 隠岐にいってもらうと。
 しかも運送の扱いが罪人扱いの逆輿なんですね。
 ま、自分が散々やらかしてきた結果だからね…。
 次のシーンで頭丸めてて早って感じだった上皇、輿に乗り込もうとして見慣れた顔がある
のに気づく。
 文覚でした。
 隠岐はいいところだぞーなんもないぞーとか言ってる。
 失礼なやつだな!
 てかあんた隠岐行ったんかい。
 流罪になってたの戻ってきたの?
 ともあれ、隠岐はいいところですよ。景色もきれいだし、魚がうまい。前に実習でいったこと
あるのですが海がきれいでした。
 ローソク島はまたいけるようになったのかな。(災害で道がふさがれたりしてたはず)
 後鳥羽上皇は隠岐で一生を終えることになりますが、その一生は島民とふれあい、数々の
文化遺産を残しそれなりに充実したものだったようです。

 上皇がつれられて行くとき、「あいつ頭までかんだ」って言ってるの笑った。このあたり
アドリブだろうな…。

 泰時は上皇にあんなことしてよかったのか、という感じですが義時は、今までのやり方は
通用しないと西に知らしめる必要があると。
 帝を流罪にした大悪人になってしまったといっても義時は、それは私一人でお前たちには
関係ない、という。
 あとトキューサが思い出話として、京で懐かしい人にあった、と言います。
 それはりくでした。
 ああ、伊豆に戻れ言われてから時政放置してさっさと京に帰っちゃったんだよね。
(史実では時政が死ぬまでは一応いた、とも)
 てか泰時に「誰」ってなんでだよ。
 あの金剛だよ!
 りくは時政がとっくに死んでいると聞いて動揺はしなかったものの、立ち去る時にものすごく
悲しそうな顔してましたね。二人の前では弱いところを見せないというのがりくらしくていい。
 そしてまた会いましょうねと軽くいって去っていくのでした。

 てかここで泰時が、時政は面倒みてくれる女の人がいたんでとか天然でりくをあおってるの
笑ったわ。
 トキューサですらめっちゃハラハラした顔してたし。

 という話をしていたら義時が倒れた。

 その頃政子らは戦争で親をなくした子供らを保護して、トウに武芸を教えてやって欲しいと
いいます。
 生き抜いていけるようにでしょうね。
 腕にある程度覚えがある使用人、のほうが雇われやすいだろうし。
 そこにトキューサが義時が倒れたと知らせにきます。
 政子、実衣があわててお見舞いにいくと、ちょっとめまいがしただけだという。
 そこにのえが、薬草をせんじたものですとかいってへんな汁を飲ませにくる。
 これを飲んでから調子が悪くなったと笑ってる義時ですが…。
 作中描かれてないですが、この後を予感させる伏線にはなってると思います。
(伊賀氏の変)

 また京で怪しい動きがある、と大江が知らせてきました。
 上皇の子がまだ幼いのだけど、その幼帝の権威を復帰させろといってきたのだそうです。
 義時はこれを許せば上皇まで復権することになる、出来ないと。
 義時は当然のように幼帝を殺そうとするも泰時はそれを許さなかった。
 これからは私がきめます、と。
 頼もしくはあるんだけど義時からしたら、泰時のために出来ること(争いの芽を摘むこと)は
してやりたいて気持ちもあるんでしょうね。
 泰時はトキューサに、これから決まりみたいなものを作ると告げます。
 平等に判断されるようにと。
 トキューサは新しい世が来る音がした!といってます。

 義時は文句言いながらも泰時の成長がうれしそうですが、それはそれとして幼帝には
死んでもらわないと、言ってました。
 その義時。
 仏像に怒ってた。
 運慶に頼んだやつですね。
 こんなん美術さんがそこらの木使って30分で作りました、みたいなやつやん!
(失礼だな)
 運慶はそれが今のお前だという。
 義時は激怒するも運慶を殺すようなことはせずたたき出すことにした。
 そして像を壊そうとするも倒れてしまった。
 まあ魂こもったもんだからねえ一応。だめだよそんなことしちゃ。

 医者はアサ、って言ってました。
 またあんたか!
 つまりアサの毒と。
 …毒もられてんじゃねーかやっぱり!
 このあとやってきたのえに、お前が毒を盛ったんだろうという義時。
 なんでトキューサとか立ち合わせないのかなと思ったけど、執権が毒を盛られるなんて
恥だと思う気持ちがあったからか。

 しれっとこの薬は毒にも聞くのかって聞いた義時に対して、器を渡そうとしたのえの手が
震えていたから物語ってますよね。
 それで、毒を盛ったらしいといってとぼけるのえに、お前だという義時だけど、のえが平然と
してるのが怖い。
 そんなに政村を跡継ぎにしたいか、それでも跡継ぎは泰時だという義時に、嫡男は政村、
八重も比奈も敵じゃないかとか言うのえ。
 気持ち悪いわー。
 義時にとっては八重も比奈も正室の扱いでしょうからね。

 もっと早くお前の本性を見抜くべきだった、と義時は言います。
 執権が妻に毒を盛られたとなっては威信に傷がつくから離縁はしないが二度と現れるな、
出て行けと追い出す義時。
 のえは最後に、この毒を用意してくれたのは三浦だといって去りました。
 ほんとにこいつ粛清されるまで見たかったわ…。

 政子と実衣はまだこのことを知らないでしょうね。
 実衣は政子に、一度もえらくなりたいと思わなかったのにえらくなって、地位を狙っていた人は
いなくなった、皮肉なものねといってる。
 確かにそうですね。

 そして三浦、義時に呼ばれて酒を振舞われていました。
 のえが持ってきてくれた薬を酒で割って飲むとうまいんだ、と差し出されて飲めない三浦。
 それが何かを知ってますからね。
 義時は長沼が承久の乱の時に裏切ろうとしていたことを白状したぞ、と言います。
 三浦は、俺が本当に裏切ってたら負けてた、勝てたのは俺が寝返らなかったからだ、と開き直った
ことを言ってる。
 義時はそれでも平然と酒を飲むようすすめてきて、三浦もさすがに義時が知ってると気づいたんで
しょうね。
 腹をすえてその酒を飲んだ。
 そしてお前に執権は務まらんといってきた義時に、俺のほうが何でもできるしお前より上だ、と
本音をぶつけるのでした。
 すべてに勝ってると。
 でもなあ。
 三浦のようにころころついていく人間を変えるトップに下はついてこれないと思うよ。
 義時はそれだけはギリギリまで見極めていたからねえ。
 あと、自分がついた方が勝つようにっていうか、そういう努力もしてたから、勝ち馬に乗る三浦では
後手に回るから間に合わないでしょう。

 だんだんとしびれてろれつが回らなくなってきた三浦、口の中がしびれてきたとか言ってうずくまる。
 義時はよく打ち明けてくれた、お礼に俺も打ち明ける、これただの酒だ、毒は入ってないといった。
 
 三浦はたと気づいて「本当だ、しゃべれる」
 コラー!
 
 そういうわけで義時はこれからも泰時を助けてやって欲しいといいます。
 まだ俺を信じるのかという三浦に、今お前は一度死んだと。
 ここで三浦きちっと姿勢を正して、これから先も北条は三浦が支えるといいました。
 エリを直すことはありませんでした。

 そして三浦、いい機会だから教えてやる、女子はみんなきのこが好きだといったろう、と義時に。
 義時はよーく覚えてるという。
 あれはでまかせだと三浦。
 もっと早くいって欲しかった…と義時、昔のようになってました。
 この二人の友情はようやくもとに戻ったんですね。

 泰時、また京にいってくるようです。
 鎌倉のことは朝時に任せると。
 ここで死んだと思われていた盛綱が生きてたことがわかる。
 泰時は死んだと思ってたという。
 盛綱は、私は誰かに守られてるんですという。
 八重でしょうね。
 今回の戦いも倒れたのは川だった。
 川から鶴丸を救い上げた八重が今回も守ってくれたのだと思います。
 こういうちょっとしたところいいですよね。
 と、なんかトキューサの様子がおかしくなった。
 義時の部屋からこっそりもらってきた酒を飲んでたらおかしくなったと。
 それ毒や!!!
 皆がこれおかしいって言ってるからおそらく義時の死後、こういった情報からのえが
処罰されるきっかけになるんだろうなあ。

 さてトウは子供らに護身術というより暗殺術を教えていて。
 実衣がびっくりしてたのが笑える。

 泰時は御成敗式目を完成させていました。
 初に初めて褒められたって言ってて良かったですね。
 この式目は江戸時代まで影響を及ぼすことになります。
 そういえば鎌倉時代は皆でどうするか協議してたけどあれがルールのようなもんだったんですね。
それじゃ私情に偏りすぎるよね。

 政子は義時のところにやってきて運慶の仏像を見てました。
 まあひどいね。
 
 この先の人らは私らをどう思うか、上皇を島流しにした大悪人、そして私は尼将軍として
政を取り仕切った悪女、でもそれでいい、頼朝から受け継ぎ次の時代へつないだのだからと。
 まあ確かにそうですね。
 後世の評価などはどうでもよく、ここを守りきったということだけがこの人たちにとっては
大事なことだったと思います。
 
 ここで義時が頼朝亡き後も血が流れすぎたって話をしていて。
 梶原、全成、比企、仁田、頼家、畠山、稲毛、平賀、和田、仲章、実朝、公暁、時元、これだけで
13人だと。
 つまり鎌倉殿の13人とはこういうことだったんですね。
 鎌倉のために粛清あるいは巻き込まれて死んだ人たちって意味で。しかも鎌倉殿も二人入ってるし。
 ここで政子が重大なことに気づく。
 病死したはずの頼家がなぜ入ってるのですかと。
 うっかりやっちゃったね義時。
 最終回で、もうそろそろ終わるというのに相変わらずこういう緊迫感入れてきますね。
 義時は、頼家は上皇と通じて鎌倉を滅ぼすつもりだったので、善児に命じて討ち取らせたと
説明します。
 立派な最後だったと。

 体がきつく、動きもままならないという義時。
 政子に薬を取って欲しいと頼みます。
 まだやらないとならないことがあると。
 義時はうっかり政子に、また幼帝を担ぐ動きがあるから何とかしないと、と言ってしまうのです。
 それを聞いた政子は薬の中身を捨てた。
 もういいでしょうと。
 泰時を信じましょうと。
 義時も文句は言わず受け入れたようでした。
 泰時を見ていると八重を思い出すという義時ですが政子は、もっと似ている人がいる、あなたです、と。

 義時はあの小さな仏像を泰時に渡して欲しいと頼みます。
 政子は必ず渡しますと約束。
 そうして義時は苦しみながら息を引き取ることになります。
「ご苦労様でした、小四郎」
 くしくも頼朝と同じ倒れ方でしたね、義時。

 完


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