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どうする家康

第43話(23/11/19)

 家康は秀頼に関が原の戦勝報告をしていました。
 茶々はわざとらしく、家康を父と思って頼るのですよと言うけど、わざとらしくて怖いな。
 で、茶々は柱に背丈を記録していると言い出して10年もすれば秀吉においつくと。
 それまでは代わりをよろしく、と強調して家康に言うのでした。
 あと4歳になる孫娘がいたから秀頼と結婚させてはどうかと。
 家康は承知して出て行くわけですが、彼がいなくなると茶々は恐ろしい形相で「あいつの
言うことは絶対に信じるな」と秀頼に告げる。
 そして家康はというと秀忠が「わーうちの娘と秀頼様が結婚するってますますつながりが
強くなっていいですね」って言ってたのへ、早く人質をよこせという意味だといって去るの
でした。
 確かに秀忠の能天気ぷりはちょっと心配…。
 家康の何を見てきたんだ。

 家康が考え込んでいるところに後ろ、正信がひょっこり出てくるのがかわいい。
 なんかスッと出てくるよりこのほうが愛嬌あっていいです。
 松山ケンイチさん、考えてるなあ。
 で、正信は家康に、将軍になってはというのです。
 足利が没落してからこっちその座は落ちてると。
 豊臣は公家(官位もらったやつ)、徳川は武家の棟梁ということですみわけは出来ていると
納得する家康。
 正信はどこに将軍職落ちてるか探してくる、と言うのでした。
 面白いな。
 その頃忠勝は蜻蛉切を手入れしていて手に切り傷を負ってしまう。
 生涯傷を負うことがなかった忠勝が…!

 時は過ぎ。
 お大の方が寧々と語り合ってたんだけど、家康はこの二人の会話で初めて自分が寅の
年の生まれではなくウサギ年だったと知ったのでした。
 今かー…。
 ここの家康は面白かったな。
 腹黒さが抜けてるというか。
 その3ヵ月後、お大は家康に看取られながら生涯を閉じたそうです。

 時は過ぎて1603年。
 江戸幕府開闢しました。
 家康は主に文官とか官僚にあたるような人らを大量採用したのですね。
 確かにそういう人らが今後は必要になってくるでしょう。
 中には正信の息子もいました。
 ああはなりたくないといってたけども、確かに何もない世においては正信は奇異に映るかも
知れませんが、戦においては正信の頭脳はとても貴重だったわけで。
 息子に「ああはならないようにと育てられました」と言わせてしまうのは、正信のすべてを
否定するようでさすがにどうかと思う。
 周りだってニセ本多とは言ったけど後年彼の働きを大いに認めていただろうに、息子が
そんなこと言うってそれこそ父の何を見て育ってきたんだと思うので。

 忠勝は自分の肖像画を絵師に書かせていました。
 そこに榊原が尋ねてきた。
 前の絵のほうが似てたとか言ってる。
 より怖く強く見えるように描かせてるみたいです。
 忠勝は関が原のあとこの地に移ったそうなのですがそれは、西に自分が睨みを利かせる
ためであったといいます。
 家康にたてつこうとする人間が出てこないようにか。
 直政が死んだことも語られてるけどセリフですまされて可哀想…。

 家康のところに孫の千姫が秀頼のところにいきたくなーいとやってきました。
 母であるお江から茶々は怖いと聞かされてると。
 とんでもねーこと言うなこの親。
 家康は優しく千姫に言い聞かせるのでした。

 1604年、秀頼の背を茶々は柱に刻んでましたがそれどこ図ったものよ。
 頭の高さでもマゲの高さでもなかったが。
 中途半端なとこしるしつけてるなあ。

 で。
 家康は挨拶にやってきた息子たちのうち、最初に声をかけた秀忠を無視して秀康に声を
かけた。
 そして秀忠には真っ先に娘の心配をするのか、お前はそもそも関が原に遅れてきたくせにと
叱責するんですね。
 これはダメでしょう。
 大勢の人の前で叱責したらそれがどんなに理由あることであっても叱られた側は恨みを持ちます。
 家康が、自分はわざと嫌われて秀忠にさっさと家督譲りやすくすると考えていたならともかく、
そうではないのだからここで叱るのはダメだよなあ。

 家康のところに榊原が最後の諫言と思って、と先ほどの秀忠のことを言いにきます。
 遅れたのは彼が悪いのではないと。
 家康はそれは知ってる、でも自分の頃にはあれこれ叱ってくれる家臣がいたがあれには
いないから自分が叱らないといけないのだという。
 だからって人の前で叱っていいとはならんでしょうに。
 榊原も、苦しみを知らないことは本人のせいではないといいます。
 そうですね。
 あと忠勝が年寄りいらんなら言ってくれと言ってたんだけど家康は、まだ関が原は終わって
ない、秀頼のもとには人が集まり始めている、お前たちの力が必要だというのでした。
 忠勝が、いつになったら主君と認められるやらって言ってたのはよかったなあ。

 家康は秀忠を呼びました。
 関が原で遅れた責任は誰にある、と言う。
 また言ってる…。
 秀忠がそれは自分のせいです、と言うと、そうだという家康。
 うまくいったら家臣を称えよ、失敗したらトップのせいだという家康。
 いやそれ自体は危機管理において正しいことなんですけど、人前で叱責することとは違うんですわ。
ここらのとこ脚本書いた人わかってないなー。
 二人でいるときに言って聞かせればいいだけの話なのに。
 ともあれ家康は一年以内に征夷大将軍の座を引き継ぐ、準備しろと言うのでした。
 それはつまり自分が隠居して、秀忠が次のトップになるということですよね。
 秀忠がはいと返事したあと「へっ?」って言ってるの面白かった。

 秀忠に正信が、何でも出来る優秀な子が後をつぐよりあなたのような平凡で、関が原で
誰からも恨みを買ってない人が継ぐほうが良いとかめちゃくちゃなフォローの仕方してて面白かった。
 
 ところがこれで収まらなかったのが茶々。
 秀忠が二代目征夷大将軍になったから秀頼は挨拶にきてね、という内容に激怒しております。
 ま、そりゃそうだ。
 これでは天下は徳川が受け継いでいくといってるも同然ではないか、と怒る茶々。
 さてどうなることやら。

 榊原がまた忠勝を訪ねてくると、忠勝はまだ姿を絵師に書かせていた。
 榊原が「もう絵師はお前を見て書いてないじゃないか」って突っ込むのめちゃくちゃ笑った。
 榊原はなんできたんだといわれ、意味はない、挨拶に回っているという。
 忠勝はあることに気づいた。
「どこが悪い」と。
 ここらさすがだなあ。
 榊原ははらわたが悪いのだという。
 何が原因だろうね。
 同時に榊原は呼び止めた忠勝の手に切り傷があるのに気づいた。
 お互い、年を取ってしまったのでしょうな。
 忠勝はまだだといい、ヤリを持ち出し榊原に渡した。
 まだまだ自分たちは家康のために戦えるといいたかったんだろうな。
 忠勝は榊原から、本当は家康のことを認めてるのだろう、いつからだと聞かれ大樹寺からだと言う。
 榊原が仲間に加わった!のときですね。
 あの時家康が「道をあけよ」って叫んだのは確かに良かった。
 その時忠勝は彼の背に自分が生涯つき従う主君の姿を見たのでしょう。
 
 だからまだ見ていたい、あの背中を。
 にらみを利かせていたい。
 榊原は忠勝が肖像画にこだわった本当の理由を知ります。

 1606年、榊原死去。
 1610年、忠勝死去。
 テロップであっさりかー…。しかも柱につけられていく秀頼の身長のしるしにあわせてだし…。

 忠勝の強そうな肖像画の絵は家康の部屋にふすまとして飾られていたようです。
 そして1611年。
 秀頼が19歳になりました。
 茶々大喜びです。
 同時に家康も時が満ちたというのでした。
 ここのBGMかっこよかったな。
 そろそろ大坂の陣でしょうか?



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