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エミリー・ローズ

3/15鑑賞

 いつもならストーリーに突っ込みを入れつつレビューとなるのですが今回は、感想
メインでいきたいと思います。

 この映画は最初から見る予定のリストには入ってなく、では何故興味を持ったかと
いうと、つまらないニュース記事の見出しでした。
「悪魔のイナバウアーに抗議殺到」というものです。
 見られた方も多いのではないでしょうか。
 要するに作品の中で悪魔にとりつかれた女性がのけぞっているシーンがイナバウアー
のパクリだから辞めさせろと。バカを言う人間が多いものだということで、「ではこの映画は
何?」と思ったのがきっかけでした。
 そこで「悪魔の存在を認めた裁判」というような説明があり、見てみようと思った次第です。

 結論から先にいうと、ちょっと期待外れでした。裁判所が本当にハッキリと悪魔の存在
を認めたわけではなく、その結果として悪魔祓いを行った神父は有罪判決でした。
(もちろんそれだけでは終わらなかったから「認めた」と使われているのだと思いますが)
 悪魔にとりつかれた少女の症状も、幻想・幻聴・精神病と断定することは可能です。
 むしろ悪魔憑きという言葉が定着していない日本ではそういう風に受け止められること
の方が多いでしょう。
 失礼な言い方をすればキリスト教の信者であれば恐怖を増大させ、前にもまして神に
祈るでしょう。無神論者には何も怖くありません。

 ただ、私としてはそれだけではないものを感じました。
 悪魔はとてもずるがしこく、呼び出した人間できちんと使役出来たものはあまりいない
とされています。
 だからこそ、「単に気が触れたとしか思えない」症状だけ出すことは可能でしょう。
 悪魔が本気になればそれこそキリストの奇跡と丁度正反対のことも起こせると思います。
それをあえてせずに、ターゲットと定めた人間だけ狂わせて行く。周囲には単に頭が
おかしくなったとしか映らない。
 これほど怖いことはない、ともいえます。
 この映画の中でも悪魔が脅しをかけたのはあくまでも、エミリーに関わる人たちのみ。
決して、悪魔憑きを否定する人間の前には現れず、よってますます裁判は「いもしない
ものに怯え、医療行為を中断させたあげく少女を虐待死させた」という方向に突き進んで
いくのです。

 この話の中に登場する悪魔の名前がありました。
 一人はカイン。アダムとイヴの子供であり、兄弟であったアベルを殺したとされています。
「そののちカインは自分の兄弟アベルに言った。さあ野に行こう。そして二人が野にいた
ときに、カインは自分の兄弟アベルに襲い掛かってこれを殺した。(中略)それに対して
神はいわれた。あなたは何をしたのか。聴け!あなたの兄弟の血がわたしに向かって地面
から叫んでいる。そして今、あなたはのろわれて地面からおわれている。(中略)あなたは
地にあってさすらい人、また逃亡者となる」(創世記より)
 カインはのちエデン東方の「逃亡の地」に住み着きます。

 二人目はネロ。これは暴君ネロですね。

 三人目はユダ。キリストを裏切った使徒。最後の晩餐というダ・ヴィンチが描いた絵でも
有名です。

 四人目はレギオン。幾千もの悪霊の塊であるとされていますが、ローマ軍のことでも
あるらしいです。
 聖書を要約しますと、イエスがこの町にやってきたときに悪霊につかれている男が
彼に助けを求めた。彼はレギオン(軍団)と名乗った。数々の悪霊が入り込んでいたから
である。イエスはこの悪霊をゆるし、近くにいた豚の群れに入ることを許した。その途端
豚たちは湖に落ちて溺れ死んだ。
 ところがこれを見ていた村人たちは驚き、恐れおののいた。そうしてイエスは舟にのり
去っていかれた。男はイエスへ同行を願い出たが、「神があなたにしてくださったことを
語り継いで欲しい」と言われ承諾した。

 五人目はベリアル。これはやっかいですね。正真正銘の悪魔です。
 見かけが美しい悪魔ほど怖いといいますがその通り、美しい格好をして人に神側の
使いと思い込ませ欺くのを得意としています。

 六人目はルシファー。これは言うまでもない、コンスタンティンにも登場した悪魔です。

 この6匹の悪魔がエミリーにとり付いたというのですが、神の言葉をもってしても押さえ
きれない悪魔が本当のことをいったかどうかは分からないので、もしかしたらたった一匹
だったかもしれません。

 さて話を戻しまして。
 こうしてみてみると確かに、聖書では「神の行いを皆に伝える」ということが教えである
とされているように見えます。
 エミリーについても、聖母マリアが現われ、「あなたの苦しみは悪魔がいるということを
他に教えるという大切な役割を果たす」と伝えられました。
 悪い言い方をすれば、とてもキリスト教にとって都合のいいメッセージです。
 苦しみのあまりエミリーが「逃げ」としてそんな幻覚を生み出したともいえます。
 聖痕にしても手のひらに現れるというのは、今は単なる自己催眠作用であるとされて
いるからです。検事が言っていた、有刺鉄線を握り締めたために出来たのだ、という
解釈も否定はできないでしょう。
 というかキリストが十字架にかけられた時釘を打たれたのは手のひらではないため、
ここに聖痕が現れるのは疑わしいとされる説が今は有力です。
 このように、否定しようとすればいくらでも出来ます。
 むしろ日本での公開にあたってすんなり「悪魔の存在を信じる」という方が難しいかと。
 
 でもこの世に偶然とは思えない奇跡がある限り。
 この実話を基にした映画を見て、それらについて考えることは決して無駄ではないと。
 私は思うのです。

 God is faithful, and he will not allow you to be tempted beyond your strength.
Instead, along with the temptation he will also provide a way out, so that you may
be able to endure it.
 神は忠実であられ、あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず、
むしろあなた方がそれを忍耐できるよう、誘惑にともなって逃れ道を設けてくださるのです。
(コリント第1 10-13)

 宗教を薦めるわけではありませんが、何もかも信じられないからと否定するのではなく、
常に自らに問う気持ちを持ちたいものです。
 悪魔と戦ったエミリーのために。


 ところですごいどうでもいいのですが何が怖かったって、これ見て帰ってきて、玄関に
投げておいたコートが朝起きたら何故か、室内の、いつもかけておく位置にかけてあった
ことです。



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