多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ映画の感想レビュー→海難1890


海難1890

12/15鑑賞

 トルコがエルトゥールル号のことを100年語り継いでくれたこと、それを忘れずにイランイラク戦争で日本を
助けて下さったこと、それに対して心からお礼を申し上げたい。
 その話を日本人はほとんど知らなかったことをとても残念に思います。
 これを機に、「こんなことがあったんだ」と長らく語り継がれて欲しいです。
 そしてできれば多くの人がこの映画を見て欲しいです。

 一点だけ不満をあげるとすれば、イランイラク戦争の時トルコが救出機を飛ばしたことについて、トルコ
側の大使が「我々はエルトゥールル号の話をずっと語り継いでいます。今こそその恩を返す時がきました。
トルコ人はこの御恩を忘れたことはありません。今の日本人が知らないだけです」と日本に伝えたシーンが
まったくなかったこと。
 あれが残念でなりませんでした。
 
 さて。
 冒頭はムスタファさんの独白から始まるわけですが、これ海に沈んでる状態ですけど大丈夫
ですかね。
 この人ナレーションしてますけど死にませんよね?
 彼は海軍の幹部で、エルトゥールル号に乗り込んでいた人でした。
 時間はここからさかのぼります。

 和歌山県の小さな村。
 そこにハルという女の子が船に戻って帰ってきました。
 この子は海で許嫁を亡くした過去があり、その時のショックで口がきけなくなっていました。
 それはいいんだけどもうちょっと表情何とかならんかったんかなぁ。
 後半の遭難のシーンでは、顔で感情を表現しようとするあまり、顔芸がひどすぎたというか。
 ちょっと何とかして欲しいと思った。
 顔を思い切りしかめるだけが演技ではないですよ、と言いたい。
 ずっとそればっかりだったんで。

 ハルは薬を調達しにいってたんだけど、医者である田村はそれを見て、少ないなーという。
薬が値上がりしてる模様。
 こんな貧乏な村にあっては、薬も大切ですからなあ。
 たまたまここに、友人である藤本がきていました。
 海軍のエリートでした。
 彼は田村が治療費を取らずに村人を見てやっていることを心配していた。
 気持ちはわかる。
 でも田村としても、食べ物には困らないし、金じゃなく自分ができることをって気持ちでいるん
だろうなあ。
 彼はこの村が気に入っている、と話します。

 一方でトルコでは、2人のキャラが出てきます。
 わかりにくかったなぁ、唐突だったので。
 ともあれ一人はエルトゥールル号機関長のベキール。
 もうすぐ子供が産まれます。
 彼は心配する奥さんの涙を小瓶に入れ、帰国するまでこれを肌身離さず持っておく、と約束。
 もう一人。これが冒頭のムスタファで、父親に出国の挨拶をしに行くんだけど、老いた父は
彼のことをとても心配します。
 つーかお父さん、マーブリングが趣味か。渋いですな。
 この旅はとても大事なもので、トルコにとっては周辺国にオスマン帝国の力を見せ牽制すること、
そして日本にお礼を伝えるという意味がありました。
 だから選ばれたことは名誉ではあるわけですな。
 
 そうして1889年7月14日。
 イスタンブルを出航しました。
 私知らなかったのですが、もともと日本にたどり着くまでに一年近くかかってるんですね。
 これがもし、予定どおり半年で到着していたら、この被害はなかったかもしれないし、日本とトルコの
友情自体なかったのかも知れません。
 運命とは皮肉なものです。

 ベキールは各所にガタがきているエルトゥールル号を、長年の勘でだましだまし動かしている
わけですが、そんな彼に機関長であるムスタファは「説明書読めばいいじゃん」的な事を言う。
 お前説明書じゃなくて空気読めよ…。経験がものをいうこともあるだろ…。
 ここで二人はちょっとビキッてなるんですね。
 エルトゥールル号は古い船であり、航海に耐えられないという指摘もあったようです。
 実際このたびの中で大きな破損を何度かやっていて、そのために半年でたどり着くはずが
一年かかってしまった、と。
 そんな中ベキールは、奥さんが無事出産したと聞いて大喜び。
 良かったですねぇ。

 次に赤ちゃん映ったから、わぁーかわいい子!………これ和歌山の村の方かよ!
 紛らわしいよ!
 まあ多分こっちでも子供が産まれていた的な意味なんでしょうねぇ。
 田村は子供の親にも「お金のことは心配すんな」って言ってあげてて、優しいなぁと思いました。

 1890年6月7日。
 エルトゥールル号はようやく、日本の横浜に入港しました。
 天皇陛下に謁見して、皆肩の荷が下りたでしょう。あとは帰国するだけ。
 しかし、関東ではこの時期コレラが感染しており、乗組員も感染して10名ほどがなくなり、
そのため帰国予定が2ヶ月伸びたそうです。
 そういうこともあり、焦りがあったんでしょうね。
 早く帰国せねば、という。
 皆の士気を高揚するためレスリングが開かれるのですが、そこでムスタファはベキールに
挑発されて戦うことに。
 ところが決着がつかず、白熱しだしたので上官が止めた。
 お互い不満だったでしょうが、遺恨残すよりはよかったのでは。

 皆お土産を買ったと喜びまくってて、着物だとか人形だとかが多かった。
 その中でもベキールは兜を買っていたから、おお、わかる人なんだなと思ったら、その
兜の飾りを外して壁に飾ってた…うん、日本人にはない斬新な発想だ!
 まあこの飾りが、太陽と月とで、日の出づる国日本と、月の沈む国トルコを象徴していると
思ったようなのですが。それはそれでちょっと嬉しい。
 その夜ベキールとムスタファは話をして、ベキールは自分に何かあった時のために、と
あの小瓶を預けようとするのですが、ムスタファはそんな話は聞きたくない、と死亡フラグを
バッキリ折ったのでありました。
 折ったのに…!

 エルトゥールル号が出航したのは9月15日のことでした。
 日本人ならわかる。
 台風の季節です。
 彼らは帰国を焦っていたため、台風の接近を知りながら無理して出たのです。
 甘く見すぎだ…。
 そして16日の夜のことでした。
 こっからまた舞台は和歌山の漁村に戻ります。
 遊女が手を振ってるから何かと思ったら、猟師らが芸者遊びにきたらしい。
 ってかこれは場所的に、遊女らがこの島にやってきたということなんですかね?
 それともこの村にあるってことか?
 んー、ちょっとわかんなかったけどまあいいや。
(のちに、エルトゥールル号が座礁した時にそれを助けに、遊郭の奥さん見てた田村が
駆けつけてくるので、村にあるのかなと)

 このあと、エルトゥールル号の遭難と、芸者遊びの音がリンクするんだけど、これ不謹慎とか
怒られなかったのかなぁ。
 演出、で大丈夫なんですかね。
 ちょっと気になりました。

 さてその遊郭では、田村が呼ばれてやってきていた。
 ここの奥さんの具合が悪いので見に来てたんだけど、一方で遊女のお雪といる医者がいて、
この医者が見てくれないから田村が呼ばれたんだというのがわかる。
 工藤という医者らしいけど彼は、金もらわんと治療できない、という主義。まあそれが当たり前
なんだけど。
 このあと漁師ともみ合いになって金魚鉢倒されていて、エルトゥールル号の象徴みたく
してるのはわかるけど、金魚が可哀想なんでやめてください。
 
 エルトゥールル号ですが、マストとかも折れてもう、ベキールらがいる蒸気機関が頼みになる
わけだけども、石炭が海水をかぶり使えない。
 皆がお土産を燃やすのがすごい可哀想だった。泣いてる人もいた。
 なんつーかやりきれないなぁと思いました。
 嵐の中、あの漁村の灯台が見えてきて、そこを目指して進もう、ということになるのですが、もう
余力が残っていなかった。
 しかももうボイラーは圧力に耐え切れず、爆発寸前だった。
 駆けつけてきたムスタファにベキールは、おまえの役目は船が爆発することを知らせることだ、と
伝えるんですね。
 ムスタファ、ここが今生の別れと気付いただろうなぁ、と思いますね。
 彼はベキールからあの小瓶を受け取り、上へ向かいました。
 提督は船と運命を共にする道を選んでいました。
 すごい人ですね。
 
 その頃遊郭では、すごい爆発音に驚く。
 田村も外に飛び出してきた。
 崖に駆け付けた一同は、たまたま落ちた明かりが一瞬照らし出した眼下の様子に腰を抜かさん
ばかりに驚いた。
 そこには、打ち上げられた大量の死体があったからです。
 ただ事ではない、ということで村人らは直ちに救助にあたる。
 この、誰かに言われたからではなく、「自分たちがやらねば誰がやる」がとてつもなくすごいと
思いました。
 ここは映画だから少し変えられていますが実際は、灯台に命からがらよじ登ってきた乗組員がいて、
見張りが話を聞こうとしたが言葉が通じない。
 そこで、信号用の本を出してきて万国信号音を見せてトルコの人だとわかった、という経緯があります。
(国を確認するエピソードは後で出てくる)
 このあと見張りがあわてて村に遭難を知らせた、というのが流れのようです。

 村人たちは一丸となって救助を始めた。
 信太郎は海に飛び込み、沈みかけていたムスタファを助けあげた。
 台風が直撃している海ですから、猟師は危険をよくわかっていたはず。
 それでも「助けたい」という思いがあった。
 小学校に次々運び込まれて、皆わたわたしてるんだけど、田村が「うろたえるな」と重傷者と軽傷者に
分けさせ、治療をやっていくのがすごかった。
 心臓マッサージについても、自分は手が空かないからムスタファの分をハルにやらせるんだけど、
彼女は過去の経験があるから当然怖い。
 でも死に物狂いで心臓マッサージをやって、ムスタファは生還。
 良かったなぁ。
 そんでこの後、意識のある人に聞いて、どこの国の人かを確認するわけです。
 村長はトルコの人と聞いて、このあいだ明治天皇に謁見にきていた使節団ではないか、と気付く。
 この村長が頼りなげでいて、この後きちっと采配を振るっていてかっこよかったですよ。

 田村が英語でムスタファに話しかけててすごかった。
 藤本が固執してたのを見ても、彼はやはり凄腕の医者なんでしょうなぁ。
(明治という時代を考えると、それなりの地位の人は英語を話せる人が多かったです。夏目漱石も
英語の他にドイツ語少しできましたし)
 で、皆が大騒ぎしている中、工藤は、金もらわないとやんないしー、とか言ってて、うんお前はそこで
黙ってハゲてろと思った。

 とか思ったら次のシーンでやっぱり医者としての矜持に突き動かされたようで、ちゃんと手伝って
あげてて良かったです。
 ところが、皆寒くて震えていて、こういう時はあたためるしかないのですが、そういう手段がないので
皆男衆が裸になってあたためてあげていた。
 で、人数が足りなくなって女性にというけど、皆尻込みする。
 そんな中、ハルが脱ごうとしたところに、お雪が来るんですな。
 さすがですわ。
 肝座ってると思いました。

 翌朝。
 ムスタファは事態を知って嘆き悲しみます。
 ここのシーンがすごかった。
 昨夜村人らががけ下を覗き込んだあの場所にやってくるんだけど、目の前には普通の景色が
広がってるんですよ。
 でもムスタファが泣き崩れて、画面があがっていき、彼が見たものが見える。
 そこには、無残に砕け散った船の残骸がありました。
 ここで後ろにたたずむハルがいるんだけど、顔が怖い。
 もらい泣きみたいなことを表したかったんだろうと思うけど、もう少し何とかならんかったのかな…。

 足を骨折した乗組員に、女性二人が「痛かったでしょ」と声をかけてて、一人がポンッと骨折
したとこ叩いて、乗組員が痛がってたシーンでは、劇場内でも笑いが響いててちょっと面白かった。
 
 海軍が連絡を受けてやってきて、神戸に輸送をするということになるんですけど、田村、食料も
足らないって言えばよかったのになぁ。
 この後田村は皆にお礼を言ってて、お雪さんにもちゃんと頭下げててすごいなと思った。
 お雪さんも「タダ見は沽券に係わる」と茶化して返しててさすがだなと思いました。
 
 この後ムスタファ、海岸にたたずんでるんですけど、その左上にヘリが思い切り映り込んでいた
ような気がしたのですが、私の見間違いでしょうか?

 その夜村人らは会議をしています。
 食料が足りなくなって、最後の非常食にとっているニワトリを使うかどうか、の話になっていました。
「食べ物がなくなることは今までもあったろ」、その発言で一同は、すべてのたくわえを提供する
ことを決めました。
 実際のこの村も台風で数日漁が出来ず、ここでたくわえを出すことは死活問題だった。
 けれども女性らが「何とかなるでしょう。お天道様が守ってくれる」と言ってニワトリを提供しました。
 確かこの後本当に翌日から天気になり、海のシケは収まったはずです。
(この映画では出てきませんが、このことが天皇陛下に知らされ、天皇陛下は直ちに、乗組員らが
輸送された神戸へ医師と看護婦(当時の呼び名)を派遣されました。さらに全国から弔問金が集まり
遭難者の家族に渡されました。さらに、この村には全国から食料が届けられたといいます)

 生存者69人。
 乗組員は618名でしたから、大多数の命が失われたことになります。
 しかし、ほっておけば失われるはずだった69名の命が、献身的な村人によって救われたことも
また事実。
 ここで村長が、棺桶の手配をしている、全員を弔ってあげたいと言いに来て、なんとしてでも
用意するという固い決意を感じましたね。
 藤本が気圧されるほどで。
 すごかったです。
 で、藤本が田村に「お前の言った通りだな」と声をかけるんですが。
 田村が言った通り、村人の真心がある良い村だ、ということなんでしょうね。

 ムスタファですが、今度は憤りはじめて、部下になぜ仲間を救えなかった!と怒鳴り散らして
いる。
 お前そんなムチャクチャなこと言うなよ…。
 あと食料叩き落とすなよ。
 それ、この村の最後の食糧なんだぞ。
 腹立つのはわかるけど、食べ物無駄にするやつが一番許せんわ。
 
 この後、ケガが軽かった乗組員がトランペット吹いていたら、子供がこそーっと寄っていく
のを見て、子供って本当に国境関係ないよなぁ、と思いました。
 でもって、別の子がムスタファが払い落とした鶏肉の串焼きをひろって土をはらってて、信太郎も
きて丁寧に土をはらい、乗組員に差し出す。
 すると彼は、一つをその子供にやり、その子供は別の子に次々分け与え…とやってて、乗組員らは
この村が支え合ってること、よく分かったんじゃないですかね。

 数日後。
 神戸からドイツの船がやってきて、乗組員を連れ帰ってくれました。
 田村がカルテを藤本に託していて、熱心に書いていたのはこれかぁ、と思った。
 ムスタファは船から引き揚げている荷物だとか、行方不明者とかの把握のために残るらしいです。
 皆が乗組員を見送る中、あの足骨折した人に、女性二人が手作りの杖を渡してあげてて、最後まで
優しいなと思いました。
 この後乗組員は直立不動で敬礼をし、トランペットの人は「故郷の空」を吹いた。
 それにあわせて村人らが歌ってるからびっくりしたんだけど、これ明治には日本にも入ってきてたんですね。
 なるほど、だから知ってたのか。

 一方ムスタファは、回収品が消えていると聞き、たまたま子供らがサーベルだの金貨だの持っていく
のを見たこともあって激怒。
 村長のところに怒鳴り込んでいると、田村がやってきた。
 彼はムスタファを村人らのところに引きずっていく。
 そこには、血だらけの洋服を洗ってつくろい、ボロボロになった靴をなおし、サーベルを磨いている人々の姿が。
 彼らは盗んでいたのではなくて、血まみれの服を遺族が引き渡されたらショックを受けてしまう、という
配慮から、遺品をきれいにしてあげていたのでした。
 海はもうないでいるので漁にでなければ食料がない。
 だけれども皆は遺品を綺麗にする作業をしてくれている。海に沈んだものを探してくれている。
 誰かに言われたからではなく、何かしてあげたいという真心だと。
 田村はハルのことも説明します。
 
 ムスタファは自分の勘違いを深く恥じ入ったと思います。
 その後村人らに丁寧に頭を下げて回りました。
 でもあの兜の飾りを海に捨てたのはやりすぎでは…せめて持って帰ってやれよ。
 まあ…慰霊の意味なのかも知れませんが。

 それから95年。
 このことは人々の記憶から忘れ去られていきました。
 特に日本ではその後昭和の時代に戦争がはじまり、トルコとは敵国になってしまったのもあり(トルコと
しては本気で戦争するつもりではなく、あくまでも圧力によるもの)、余計に報道されなかったのも
あるのでは。
 ただ、えーと歴史に弱いのであれですが…ロシアのバルチック艦隊だっけ、それを日本が
破ったのがトルコで報道された時には、トルコの人らは「日本がやってくれた」と拍手喝采
だったそうです。
 
 さて。
 1985年のことでした。
 フセインが停戦合意を一方的に破棄、攻撃を始めました。
 テヘラン市内がパニックに陥る中、一人の日本人が助けを求めていた親子を助けました。
 子供の手当てをしてやったんですな。
 彼女の名は春海。
 そこにはトルコ大使館の人もいた。
 彼の名はムラト。
 春海は日本人学校の教師をしていて、生徒の安否確認をしてまわっていたところでした。
 そんな彼女にムラトはトルコのお守りを渡します。
 ここ唐突過ぎたんだけど、春海も一切お礼言わないで、感じ悪いなとはちょっと思った。
 なんか言えよと。

 日本人学校では、48時間以内にイランから撤退しなければならないのに、日本の航空が
乗り入れてないから、他国の飛行機に乗らなければいけない、なのにチケットが取れないと
パニックになっていました。
 自衛隊の飛行機か、日航が出してくれればみたいな感じだったんだけど、日航は当然
無理でしょうよ。民間だし。
 で、自衛隊に関しては法律で飛ばすことができないと。
 私はっきり言ってこの事件、トルコにはとても感謝している反面、日本政府って本当に
無能だなとあきれました。
 他国の邦人程度助けることができないとは。
 超法規的措置を発揮するのはこういう時でしょうに。
 当時ネットが無かったのが残念でなりませんがな。
 日本人学校の教師らは、日本大使館にいって直訴しようとするけども、大使自身もどうにも
ならないことで謝ってきた。
 どうしようもないな。
 で。
 ここで春海が、トルコが最終便と聞いてトルコに頼んでみて下さいといい、日本大使が頼んだ
ことになっていますが現実は少しだけおまけがあります。
 日本の大使がトルコの大使にお願いし、トルコの大使がトルコ首相に「日本のために飛行機を
飛ばして下さい」と言った。
 迷っている間に一本の電話が入った。それは首相と個人的に友人関係にある伊藤忠の方で、
首相は窮状を聞き、よし飛行機を日本人のために出そう、と決定します。
 しかもその飛行機は民間のもの。
 政治は一切かかわってなくて、すべて個人間の信頼のもとに成り立っています。
 日本政府はいかにも自分らが仕事したかのように言うむきもあったけど、なんもかかわって
ませんから。

 ちょっと話ずれました。
 映画の上ではトルコ大使館からトルコの首相に話がいって、考えた末に人を助けるのは
我らの役目だ、として飛行機を出すことに決まりました。
 ただし、それに乗れないトルコ人の陸路での安全は守るようにと。
(実際陸路で逃れたトルコ人は数日かかって帰国できたはずです)
 民間の飛行機を使うことで危険もあったはずなのに、パイロットは全員イラン行きを志願した。
本当にすごいなと思います。
 
 春海は、残るという家族を説得して空港に移動しようとするのですが、そこにムラトが通りかかり
車に乗せてくれました。
 この家族の父親は「どーせのれねーしよ」と態度悪い悪い。気持ちはわかるけど。
 そして空港についた時、多くのトルコ人であふれかえっており、そばには絶望しまくった顔の
日本人が。
 そうだろうなぁ…。
 ここでちょっと映画だからしょうがないんだけど、説得がスゲー演出臭かった。
 ムラトは飛行機の到着に対してトルコ人に、日本人を載せてやって欲しい、と説得するのです。
 日本は飛行機を飛ばさなかった、だから彼らを助けられるのは私達だけなんです、まずは
日本人を載せて欲しいと。
 
 エルトゥールル号の話はまったく出てこないのか…。
 いいけどさ。
 それでトルコ人は道をあけてくれ、日本人らは次々と飛行機に乗り込んでいきます。
 一番先頭が「帰らない」と言ってたあの親子で、父親が泣きながら歩くくだりはよかったなぁ。
 そしてトルコの人らは陸路でかえるべく、空港を出ていきました。

 春海とムラトは「どこかであった気がする」と会話をします。
 春海の話からしておそらくそれぞれの子孫設定じゃないのかな、と思うのですが。
 一方でトルコでは首相あてに国民からの電話が鳴りやみませんでした。
「(日本人救出の飛行機を飛ばした)首相を誇りに思う」と。
 批判はひとつもありませんでした。
 首相もまた、そんな国民を誇りに思う、と言います。
 余談ですがこの首相、のちに大統領になったそうです。

 そのあと時代が戻って、あの小瓶をベキールの奥さんに届けにいったムスタファとか、漁村で
子供の出産を手伝った田村とか出てきます。
 時を超えて二つの国の友情は受け継がれていく。
 
 なお、エンドロールの後に現トルコ首相からのメッセージがあるので、帰らずぜひ見て下さい。
 劇場によっては冒頭流れるとこもあるみたいです。

 余談ですがこれから14年後の1999年。
 トルコで大地震が発生、15000人が犠牲となりました。
 テヘランでトルコに助けられた商社マン、企業の人らは直ちに救援物資や義捐金を集め、
トルコへ直接届けにいきました。その他の救援物資も無償供与されています。
 そしてトルコは2011年に発生した東日本大震災に暖かい支援の手を差し伸べてくれました。
 さらに、その約半年後にトルコで発生した地震にも日本は「助けてくれたお礼」として支援をし、
トルコ大使館に匿名でお金を届ける人が相次いだそうです。
 これからもトルコに何かあれば必ず手を差し伸べる日本人はいるでしょう。
 それと同時に、誰かを思いやる心、見返りを求めない無償の愛、というのを日本人として
忘れないでいたいと思います。



多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ映画の感想レビュー→海難1890