多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場→冬きたりなば春遠からじ(「高遠遙一の回顧録」より)2-1




 この世で明智が一番嫌いなもの。
 朝早くからたたき起こされること。何も用がない日はとれるだけ睡眠時間をとりたい。
 とまあテレパシストでは無いのでその願いはまったく届いていなかったわけであるが、コードレス
フォンを手に取る頃には話が出来る程度に覚醒していた。時計を見ると九時を回っている。成る程、
合理的な母は明智を起こすことなく出勤したのだろう。午前中の授業が無い日は毎度のことだ。
「明智? 俺俺! ちょっと出て来いよ」
 受話器の向こうから、弘明の慌てたような声が聞こえてくる。
「どうしたんだい? まさか提出するレポートを忘れてたって言うんじゃないだろうね」
「違う違う! 教授が死んだんだってよ! どうも他殺らしいぜ!」
 冗談に応じる暇も無いのか、声は真剣さを孕んだままだ。
「……容疑者は割り出されているのかい?」
 耳と肩で受話器を支えて器用に着替えをしながら、明智はそう尋ねた。カーテンを開けると遠く
かなたに雲が見えるが雨が降りそうな天気でもない。
「それがな、容疑者っつーか犯人がもう逮捕されたらしいんだけどな……」
 奥歯にものが詰まったような言い方に、頭のどこかで信号が切り替わったような気がした。即ち、
赤へと。
 耳慣れた機械音にハッと我に返って、明智は受話器の向こうに耳を澄ました。
「悪い! テレカ切れそうだわ。正門前で待ってるから、来てくれよ! 今日は授業どころじゃねーから!」
 明智の反論を待たず電話は一方的に切れてしまった。かけなおして詳細を知りたくとも、方法が無い。
 軽いため息と共にパジャマをハンガーにかけて、明智は部屋を出た。
 何か、嫌な予感が胸に広がるのを感じながら。


 東大内はまるで、合格発表をやり直しているかのように人でごった返していた。普段から決して
人の少ないところではないが、それがあたり構わず学生をとっ捕まえてインタビューしているレポー
ターや、野次馬根性を隠そうともせず見物にやってきた人間のせいらしいと気がついた。
 もう二度と経験することは無いだろうと思っていた苦い感情。
 日常が突如として非日常に投げこまれた時、そこにあるのは戸惑いでなく好奇心だ。それも、
たちの悪い方の。
 当事者からしてみればこれほど腹立たしく、心をかき乱されることもない。それを理解し得ないから
こその高みの見物なのだが。
「お! 来たか」
 人ごみの中腕を引っ張られるようにして移動すると、やっと手から先が見えた。弘明だった。
「何でこんな騒ぎになってるんだ?」
 明智の記憶では学校関係はとかく警察と仲が悪いというか、不祥事を隠したがるのが常である。
無論殺人事件とあらば隠しようも無いが、それでも事件が公になることをひどく嫌う。
 確かに、出掛けにチラリと見たニュースでも大々的に報じていた。ほんの少しだったので詳細は
つかめていないが。
「弘明? ああ、いたいた」
 うんざりしたような顔で佳代がやってきた。バッグから鏡を取り出してヘアスタイルの乱れを気に
している。
「どうしたんだい? 僕を呼び出したのはまさか、この事件を一緒に見物しようっていうんじゃない
だろうね?」
「違うのよ。そうじゃなくて……」
 困ったように佳代は自分の後ろへ視線を回した。明智もつられてそちらを見る。
「……!」
 絵里がいた。真っ赤に充血した目、それに慌てて整えたらしい髪。何より昨日と同じ服装である
のは、何かあったらしいと容易に想像がついた。
「……明智さん、吉田君を助けて下さい! 高校生の時にも事件を解決されてるんですよね? 
お願いします!」
 一番聞きたくない言葉だった。自分の予感が的中したことに軽いめまいを覚えながら、明智は
言った。
「君は勘違いしていないか? 僕は警察じゃないんだ。お門違いだよ」
「お前……! 冷たい奴だな!」
 弘明がショックを隠しきれない顔で言った。その顔を見ると、明智が高校時代のあだな通り事件に
興味を示して乗ってくると思っていたのだろう。
「明智君……」
 佳代も不安げにこちらを見ている。
 三人の視線を受け止めて、明智はため息をついた。
「誰だかは分からないが、教授が昨夜殺害されたんだね? それで吉田君が疑われた。その様子を
見るとほぼ犯人と特定されたわけだ。警察がそう判断したのであれば僕の時と違って容疑は確定的、
ひっくり返すのは無理だろう」
 絵里が泣き出した。
「吉田君は……確かにすぐカッとなるような人だけど……、あんな……人を殺したりできるはずない……」
「と、周囲の人間は大抵そう思ってるよ。僕の経験談で恐縮だけどね」
「おい!」 
 弘明が肩を掴んだ。
「……とまあ最悪の予想はここまでにしておいて」
 明智はその手を静かに外すと、正門の方へあごをしゃくった。
「ここじゃゆっくり話も聞けない。移動しよう」
 三人の顔がたちまち輝いた。
 弘明にくしゃくしゃと髪をかき混ぜられながら歩く中、明智は飲み込んだ言葉を後悔していた。
 真実は時として、事実よりも辛いものである。
 そう言わなかったことを。


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