多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場→金田一少年の事件簿 小説「ミセス・バレンタイン」前編



 すれ違う通行者の注目を一身に受けながら歩いている青年がいた。冬にしてはからりと
晴れ上がったその太陽光が、銀色の髪に反射してキラキラと光り輝いていた。
「この辺りだと思ったのですが……」
 そんな独り言とともに、彼は歩みを止めた。
 静かな住宅街の中の一角。彼――明智健悟は、ある雑誌に掲載されていた店を探しにやって
きていた。駐車場はないと明記されていたため自宅からは電車を乗り継ぎ、最寄り駅からは
徒歩である。
 とはいえ仕事絡みの話ではなく、彼愛するところの優雅な趣味――紅茶専門店ということで
たまたまとれた休みに、足が向いたといったところだ。天気まで味方したか、前日までぐずついた
空模様も、朝になれば太陽が地上を照らしていた。
「ああ、あれですね」
 電柱に取り付けられた小さな看板を見つけ、彼はそちらへと足を向けた。
 平日の昼間ということもあってか、そこここの住宅から子供の泣き声や家事の音が聞こえてくる。
これが夏であったらば、開け放された窓からもっと大きな音で聞こえるのだろう。
 庭先にきれいな花壇を作っている家もあれば、親子で手作りしたのか家の形をした郵便ポストが
設置されているところもあった。こういったもので、ある程度家族像というものが浮かび上がってくる。
なんとはなしに分析しながら彼は住宅街の奥へと歩いていった。
 つと、今まさに門扉を開けて入ろうとしている家人らしき女と目があい、明智は軽く目礼をした。
帰宅したところなのだろう、ロングコートに身を包んでいる。
 が、女はそれが目に入らなかったかのようにさっと姿を消した。
 明智は特に気に留める風でもなくそこを通り過ぎ、角を右折した。探していた目当ての店の看板が
出ていた。
 知らず、ほっと安堵の息が漏れる。
「ちょっと! 何ですか! やめてくだ……キャー!」
 背後からの叫び声が悲鳴に変わったのを受け、反射的に彼は振り向いた。先ほど通り過ぎた家から、
門扉に倒れ掛かるようにして中年の女が転がり出てきた。先ほど引っ込んだ人間とは別人である。
 その手から血が流れているのを見、明智はすばやく駆け寄った。抱えおこし、「どうされましたか!」と
声をかける。同時に、ハンカチを取り出し、その出血を抑えた。
「あれ……あれ……」
 女の方は声にならない。口紅のはがれかけた唇をわななかせ、かろうじて玄関を指差す。
 それをたどるように顔を上げると、先ほど目礼をした女が無表情のまま立っていた。その
手にはブランド物のバッグが握られている。それで殴りつけでもしたのか、隅にわずかな
血痕があるのに気づいた。
「あの人が、突然、玄関から入ってきて……物音がするから行ってみたら突き飛ばされたんです!」
 抱き起こした女がそう言った。
 悲鳴を聞きつけたのか、隣近所から人が集まってきた。明智は素早く、カフェエプロンをしている
主婦に「この人をお願いします」と声をかけた。主婦があわてて駆け寄り、「奥さん、大丈夫?」と
言いながらしゃがみこむ。
 ゆっくりと、刺激しないように立ち上がりながら明智は立っている女を見た。
 後ろのざわめきが大きくなっていく。
 パッと女は身を翻して家の中へ走りこんだ。明智も後を追った。
 玄関に出してあった靴を踏みつけ、女が土足のまま上がりこもうとする。が、上がり口の
マットがずるりとすべり、体勢を崩した。そこを見逃さず明智は後ろから女を押さえ込んだ。
「離して! やめてよ!」
 右手から握り締めていたバッグが飛んだ。
 それはよく掃除されているらしい廊下を少しすべって、壁にぶつかって止まった。
 しかし暴れたところで逮捕術を心得ている明智から抜け出すことは出来ない。
「あ、あの! 警察呼びましょうか!」
 振り向けば玄関から身を乗り出すようにして、初老風の男が覗いている。その手にアイアンが
握られているのは恐らく、自宅のゴルフバッグからでもあわてて引き抜いてきたのだろう。
「お願いします」
 落ち着いた口調でそう言うと明智は改めて女を見下ろした。
「私は警視庁捜査一課の明智という者です。あなたを、強盗傷害の現行犯で逮捕します」
 女は既に、抵抗する気も失せたのか明智の言葉にちらりとこちらを見ただけであった。

「はい、できましたよ剣持君」
 プリンターから印刷された書類が出てくるのを見ながら声をかけると、粗末なソファから
はみ出ていた頭がびくりと揺れた。あの調子だと待っている間に夢の世界でも行っていたのだろう。
「は、はい、お疲れ様でした!」
 フラつきつつこちらへ立ち上がり直立不動になるのへ、明智は軽く手をあげてみせた。
 まさか休日までここに来るはめになるとはね。
 自分のデスクから印鑑を取り出し、書類へ署名捺印すると、それを剣持に手渡す。
「しかし災難でしたなぁ警視も。まあ、すぐに取り押さえることが出来て良かったですが」
 心のうちを見透かしたかのようなセリフを言って、剣持は軽く書類に目を通しながらボリボリと
頭をかいた。
 民家へ侵入しようとし家人を傷つけ、明智によって取り押さえられた女は管轄である
K警察署へ連行されていた。そうして明智は目撃証言などを調書にしてまとめるため、
彼曰くゆっくり仕事のできる警視庁にて今まで書類を優雅に書いていた、というところであった。
もちろんそれを警察署へ持って行くのは何故か、たまたま居合わせた剣持の役目である。
「……」
「どうかされましたか、警視。あ、帰られるならついてですからお送りしますよ」
 どうもすっきりしない。
 窓の向こうに映る夜景を眺めながら明智は、事件の前後を頭の中に再現してみた。
 書類を仕上げる前に入った連絡では、借金に困って行き当たりばったりの犯行だという
ことであった。確かに用意周到な格好には見えなかったし、素人の泥棒にしてももう少し
うまく侵入するだろう。
 それが玄関においてあったハンドバッグを手に取ったところで、たまたま家人と出くわし
驚いて傷を負わせたことで窃盗が強盗致傷になった。執行猶予のつかない、重い罪に
なるといえる。もちろんあの女――名を小林香織といった――がそんなことを知っていて
怪我をさせたわけではないだろうが。
「剣持君」
 振り向いて明智は言った。「K警察署には私が行きましょう」

 寒さに身震いしながら車に乗り込みかけていた鈴木K警察署長は、けたたましい足音に
渋い顔をして振り返った。そうでなくともこの地下駐車場は音が反響してうるさいのである。
「署長! 警視庁捜査一課の方がお見えです!」
 受付から走ってきたのだろう、警察官は息を切らせている。
 その途端鈴木は文句を言いかけた口を閉じ、車のドアを閉めた。足を下ろすのが後になり
ドアにはさんだが、痛さを気にはしていられない。
 早足で部下について戻り、受付へと駆けつけた。
 脱いだコートを腕にかけ、外を眺めていた長身の青年が振り向いた。
「お帰りのところを申し訳ありません、警視庁捜査一課の明智と言います」
 名乗るまでもなく鈴木はその顔を知っていた。否、都内の警察官で彼を知らないのは
よほどの新人である。
 数々の難事件を解決し、その才能は警察官だけの器に収まるものではないといわれている、
若きキャリア。彼と一緒に仕事をしたいと望む警察官は署内にも大勢いる。
「は、何でしょうか」
 思わず背筋が伸びるのを感じながら鈴木は答えた。
「ちょっと話をさせて欲しい人間がいるのですが」
 優雅に青年は言った。

 失礼します、という声と共に警察官数名が入ってきた。後ろに、困惑したような顔の
小林香織がいる。
 明智はソファから立ち上がり、軽く礼をした。
 香織は戸惑いを隠そうともせず彼を見つめていた。警察官に促されるようにして、
一人がけのソファへ腰を下ろした。その後ろへ警察官が立つ。
 ここは応接室であった。署長が明智のために特別措置をとったのである。
「これは取り調べではありませんので、どうぞ気を楽になさって下さい。私が個人的に
二、三おうかがいしたいことがありましてね」
 香織の顔から不審そうな表情は消えることがなかった。腹の辺りで組み合わせた手を
解くことなく、握り締めたままにしている。
 構わず明智は続けた。
「供述によるとあなたは、借金の支払いに困ったあげく、たまたま目に付いた家へ入ったということに
なっていますね。何故ですか?」
 えっと困惑したような言葉が香織の口から漏れた。化粧していることを抜きにしても明智より
若いだろう女は、答えを探すかのように視線をさまよわせ、少ししてから「お金が欲しかったから」
と言った。
 明智はふむ、と小さく頷いてから、手元の書類に目を落とした。ついでにチラリと腕時計を
確認する。午後七時を少し過ぎたところだ。
「質問が少し曖昧でしたね。では聞きなおします。どうして消費者金融などを利用しようと
思わなかったんですか? 借金はカードで出来たもので、金融などで借りた形跡はないですよね? 
普通人間は犯罪へ走る前に、こういった比較的お金を入手しやすいところから金策しようと
するものです。もちろんそれを推奨する立場ではないですが、何故いきなりこんなことを?」
 香織はしばらく黙っていた。下を向いたまま指をもぞもぞと動かし、組んだりほどいたりを
繰り返した。
 こんなやり取りには慣れている。
 もとより人間はそれほど沈黙に耐えられる生物ではない。あまりにも音に囲まれ慣れて
いるからだ。
 彼女が再び口を開くのに、そう時間はかからなかった。
「借りられると思わなかった、ので」
「そうですか」
 明智は頷いた。予測していた回答である。むしろ彼の狙いは、答えにどれだけ時間が
かかるかということであった。
「ではこれで最後にしますから」
 香織が明らかにホッとしたような顔をした。留置場からここへ連れてこられるまでに、
鈴木が明智のことをあれこれ吹聴でもしていたのだろう。何を取り調べられるかとガチガチに
緊張していたのは明白だった。
「あなたはご自身で寒がりだと思いますか?」
「は……はぁ?」
 頷きかけたのを止めて香織は驚いた顔になった。そんな、どうでもいいことを聞かれるとは
思っていなかったに違いない。
「え、そう寒がりというわけでもないですけど……。どちらかというと多少寒くても平気な方だと
思います。東北生まれなので」
「わかりました。どうもありがとうございます」
 恐らくこの会話を傍目から見たら、とても強盗を働いた女と刑事が会話しているとは思えまい。
そんなことを考えながら明智は立ち上がり、ドアへ彼女を促した。
 入室時から規則のために開放されたままになっていたドアから、外で待っていたらしい鈴木が
顔を覗かせた。目が合うと恐縮したように頭を下げてくる。
「それで、やっぱりダメみたいです」
「なるほど」
 そんなやりとりを鈴木とした後、明智は歩き出していた香織の背に声をかけた。
「小林さん、残念ながらまだあなたのご家族とは連絡が取れないようです」
 香織は振り返り、またあの時のような無表情で「そうですか」とだけ言った。

 空調の整った自室にて、明智はパソコンのモニターに目をやったまま、考え込んでいた。
時折トントンと、デスクに置かれた指がまとまらない思考を表すかのように音を刻む。
 既に時刻は日付が変わったことを示している。
 香織への半ば異例ともいえる対面で、明智の中の疑惑はほぼ確信になりつつあった。
むしろそれを確かめたくて、無理な面会を署長に依頼したのである。だが、それを証明するには
足りないものがある。
 そのコマが揃わない限り、まだ動けない。
 と、デスクに置いていた携帯電話がかろやかなメロディを奏で、着信を告げた。左手で
それを取り上げ、通話ボタンを押す。
「警視、お知らせしたいことが」
 あわてたような声でこちらの応対を待たずに話し始めたのは、鈴木であった。
 しばらく黙り耳を傾けていた明智は、「わかりました」と一言告げると立ち上がった。

 一夜明けた朝はどんよりと曇り、底冷えのする寒さだった。
 仕事をある程度片付けた後明智は、午後はK署へ行ってくると部下に告げ自分の車で
向かった。
 白い息を吐きながら玄関で出迎えた鈴木の話によれば、香織は特に否定するでもなく、
犯行を認めているということであった。弁護士を呼べることも話したが手配を保留して
欲しいと、何とも曖昧な答えしか返ってこなかったらしい。
「身内に弁護士の関係者でもおるんですかなぁ」
 さぁ、となかば上の空で返事をしつつ、明智は取調室へ歩いていった。
 開け放たれたドアの向こうから刑事と香織のやりとりが聞こえてくる。
 そのドアを軽くノックして明智は「ちょっと宜しいですか」と声をかけた。話は聞いて
いたのだろう、刑事が立ち上がってどうぞという風に椅子を示した。
「やあ、失礼します小林さん」
 軽く挨拶をしてそれに座った。
 香織は慣れない環境で一晩明かしたのにも関わらず、昨日よりは血色良く見えた。
「今日は一つ、残念なお知らせを持ってきました」
「……なんでしょうか」
 これ以上残念なことがあるのか、と言いたげに香織が聞き返した。
「昨夜ご自宅から火が出て全焼したようです。こちらの署の者が連絡をとろうと何度か
電話を入れていたのですがつながらず、今朝判明しました。ご家族の方とも連絡は未だ
取れていません」
「……」
 流石に言葉を失ったようだった。香織は無言のまま明智を見つめていた。
「……自宅の焼け跡から焼死体が発見されたそうです。今、慎重に死体の身元を調べて
いるのですが……失礼ですがいつも施錠される習慣がなかったとのことですね? 
そのために今まで何度か不審者が留守中に入っていて大騒ぎになったこともあるとか。
念のため周囲にも身元確認の聞き込みをしていますが、あなたの口からご家族構成を
お聞きしたいのですが」
「家族……」
「ええ。教えていただけますか」
 視線をさまよわせるようにした後、膝の上においた手へ視線を落とし、香織は「夫と子供が
一人、それだけです。子供は数日前から風邪気味だったので、私の両親がすぐ近くの実家で
見てくれています」と簡単に答えた。
 こんなことになっても実感できていないのか、言葉からはさほどショックは感じられない。
「わかりました」
 明智は振り向いた。鈴木が頷いてみせて顔を引っ込める。ただちに情報の裏づけ作業と
遺体の身元確認に入るだろう。
「本当に、こんなことになってお気の毒です。今回の犯行動機となった借金についても元は
旦那さんが原因だと伺っていますが」
「……離婚を考えていたんです。でも、子供のことを考えると……。夫との間はもう冷め
切っていましたし、薄情かも知れませんが死んでも未練はありません」
 自嘲するかのように暗い笑みを浮かべて香織は一気にそう言った。
「こんなことになってしまって……。結局子供には可哀想なことをしてしまいました」
 それに返事をせず明智は、香織の後ろにある鉄格子のはめられた窓に視線を向けていた。
 取調室に沈黙が落ちた。
 ここに時計はない。
 少し黙っているだけでもかなりの時間が経過したような錯覚がある。
 否、実際明智はしばし思考に浸っていた。
 ドアから刑事課を出入りする音や廊下を歩く音などが聞こえてくるが、それらはすぐに
遠ざかった。
 再びシンと空気が静まり返る。
「さて」
 やっと彼が口を開いた。
 明智の口調が変わったことに気づいたのか、記録をしていた警察官が顔を上げた。
明智を見たが視線が合うとあわてて下を向き、ペンを走らせた。
 金田一 一がここにいたら間違いなくこう言ったはずだ。
「明智さんがそんな顔をしているのなら、目の前にいる人は殺人犯だ」と。
「小林香織さん。私はあなたに対して殺人の容疑で逮捕状を請求しようと思っているのですが」
 ヒュッと、香織が息を呑んだ。


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