多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→一人称



 ある映画監督は女性を口説く時、「レモンという字を漢字で書ける?」と聞くのだそうです。
 女の子が首をかしげるとスラスラと書いてみせ、レモンについての講釈を一つやる。
 それで女の子はあっさりまいってしまうんだそうです。
 ホントかなぁとは思ったんですけど、いいかげんいろいろ試してネタもなくなってきたころだし、
その割に彼女いない歴二十四年が破られることも無かったんで、まあ一つやってみるかと。
飲みに出掛けたんです。
 通勤の路線は僕を知っている人もいるからと思って、違うのに乗りました。ええ、あの駅って
いろんな線が乗り入れしてるじゃないですか。それの、県外へ出ちゃうやつ。何……だったかな。
僕そういうの覚えとくのは苦手なんです。
 で、えいやと降りたら僕一人ですよ。そんなに田舎にきちゃったのかなぁって――え? ああ、
地下鉄だったから見当もつきませんでした。
 その割に地上へ出てみるとそこそこ人通りのある普通のところでしたよ。ビルも建ってて。少し
歩いて、ビルとビルの間にバーを見つけました。何だろ、視界に向こうから入ってきたっていうか、
よくあるじゃないですか、見つけるべくして見つけた、みたいな。
 まあ駅から近いに越したことはないんで、それでこうドアを開けようとよくよく見たら、洋風の――
あれ何て言うんですかねぇ、板チョコみたいな模様のドア。それに普通とってがついてるじゃない
ですか。
 無いんですよ。
 自動ドアかなぁと思ったんだけど踏んでも開かないし、少し考えて、やってないのかなと。
 なーんだと思って、どこか別のとこを探すかと歩きだした時、ドアが開いたんです。中から、こっちへ。


「あら、お客様? ごめんなさいね、この自動ドア壊れてるみたい」
 まぶしい光に体のラインを浮き上がらせながら、声はそう言った。
「どうぞ、お入り下さいな。変な店じゃありませんから」
 珍しげに眺め回す男をどう思ったのか、その声は笑っているようだった。
 男は動くなと命じられたかのように立ち尽くしていたが、ほっそりとした指がドアをいつまでも
押さえていたため、ひとつうなずいて足を踏み入れた。
 カウンターの他には、テーブルが三つほど。一つは何人かが座っているようだ。
 回転率が恐ろしく良くなければ利益どころか維持費も捻出できなさそうな、そんな狭い店。
 なんとなくテーブルには座りずらくてカウンターの隅に腰掛けると、蝶ネクタイのウェイターが
薄紅色のカクテルを差し出して来た。「初めてのお客様には、一杯目をサーヴィスしております」
 カタカナ語を滑らかに発音して、それきり話しかけようともせずに他のグラスを拭き始めた。
 すぐに口を付けるのには気が引けたのか、カクテルグラスの足に指をかけたまま、男はじっと
それを眺めていた。
「ああ寒かった! コージさん、ウーロン茶、ホットで!」
 店内に比べて入り口はスポットライトが灯されているため、その声の主ははっきりと姿が
見えた。
 薄茶色のコートとともに肩までの髪をなびかせて大股でカウンターにやってくると、男とは
反対側の隅に座った。
「最近冷えるよねぇー。ここへ来るまでの間に、凍えるかと思ったわよ。――あ、ありがと」
 なじみの客なのか、女はそれだけ一気にしゃべって差し出されたコップをつかんだ。半分
飲み干してため息と共にそれを置くと、
「あたしに何か用?」
「え、あ、僕?」
「さっきからずっと見てたでしょ」
 女はグラスを片手に男の隣へ移動すると、「一人? あー、今日みたいな金曜の夜に一緒に
飲む人いないんだ。人付き合い苦手な方でしょ? あたし冴子、大久保冴子。あんたは?」
「ぼ、僕は大下優です……」
「あ、そ。いくつ?」
「二十四ですけど……」
「えーっヤダー! 同じ歳? フケて見えるって言われない?」
「……」


 とにかく、冴子さんはきつい人だなぁと思いました。普通初対面の人にそこまで言いますか?
 でも恥ずかしながら僕、入って来た彼女を見た時点で決めてたんです。
 あれを使おうって。


「あ、あの冴子さん」
「なあに」
 ソルティドック、と告げたその口調のままで冴子は振り向いた。
「レモンって言う漢字知ってます?」
 え、と口の中で短く発音した後冴子は、カウンターのハンドバックから手帳とペンを取り出し、
あたし書道二段なのよと言いながら一度もペンを止めること無く書いた。
 檸檬、と。
「これがどうかしたの?」
「……いえ、書けるかなぁって」
「変な人ね」
 声を上げて冴子は笑った。アルコールが入っているせいもあるのだろうが、こんなに楽しそうに
笑う女性を大下は見たことが無かった。
 学生時も会社でも、女性は口に手を当てて静かに笑うもんだと思っていたから。
「冴子さん、少し今日はペースが速いですよ」 
 大下には無愛想だったコージがグラスを差し出しながら声をかける。
「ヘーキヘーキ。ちょっと優クン、さっきから何も飲んでないじゃない。コージさん、彼にスクリュー
ドライバー一つゥ!」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 僕そんなに飲めないんです! あの、すいません、ピーチ
ミルクに変えて下さい」
「ピーチミルク」
 コージと冴子は同時につぶやいて顔を見合わせた。


 もー最悪でしたよ、笑い飛ばされて。恥ずかしいったらなかったです。
 でもね。
 本当に最悪だったのはその後です。


「んじゃーねー!」
 元気良く手を振る冴子の前で、ドアが左右からくっついて、電車は静かに走りだした。
 白線を少し踏み越えて、そのライトが真っ暗な空間へ消えて行くのを見送って、大下は振り返った。
 自宅へ戻るには反対側のホームへ行かねばならない。方向は改札を通る前にちゃんと確かめて来た。
「あれ?」
 思わず声が口をついて出た。
 確認のつもりで見上げた駅表示。両方に次の駅名が書いてあるはずなのに、矢印は一つだけ。
 今彼女を乗せた電車とは反対方向に。
 つまりここは終点。
「ひょっとして倉庫行きだったのかなッ」
 辺りを見回すが駅員の姿は無く、酔いもどこかにすっとんで階段を駆け上がった。
 自動改札の場所へ戻ってくると、暇そうな駅員が事務室の中で大あくびをしていた。
「あのっ」
「はい、何ですか」
「さっき僕と一緒にここ通った女の人が、倉庫行きの電車に乗っちゃったみたいなんです」
 駅員はずり落ちていたメガネを押し戻して、「ちょっと待って下さいよ」
 ドアを開けて出て来た。
「こっちです」
 急いで手招きしながら階段を転ばないように降りて行く。
「ここから乗って、あっちへ電車行っちゃったんです」
 大下の言葉に駅員は天井からぶら下がる時刻表と、その空間を交互に眺めていたが、
「お客さん、たちの悪い冗談はやめて下さいよ」
「は?」
「終電、一時間も前に出てますよ」
「……」
 では、ここで知らず知らず一時間もたたずんでいたのだろうか。
「お客さん大分飲んでおられるようですね」
 勘弁して下さいよ、とつぶやきながら駅員は階段を上がって行った。
 首をかしげながら大下も階段を上がり、最後の一段に足をかけたまま振り返ってみた。
 天井に遮られて一部分しか見えないホームは、静かに電灯に照らされていた。


 そこでフッと目が覚めました。僕は病院のベッドに寝かされていました。――夢、だったんです。
 怒らないで下さいよ。その時の僕は何が何やらわからなかったんですから。
 そこにいた母から聞いて分かったことなんですけど、僕は電車の事故に巻き込まれたという
ことでした。脱線で大分死傷者も出た、ええ、あの事件です。
 となると僕は、あの世とか行く手前にいたのかなって。
 どこからと言われると困りますけど、考えてもみて下さいよ。僕、あの店に来る時は電車を途中で
降りたんです。それが人を送って行くと終点の駅だった訳ですよ?
 そこからして現実に有り得ないと思いません?
 ホームを間違えたんだって? そうかなぁ……。そこの駅って乗り入れしてなかったですし、どう
考えても単線でしたよ。上りと、下りのホームがこう、向かい合ってて。
 そうそう思い出した。ホームの柱に今時珍しいサーカスのポスターが貼ってあって。降りる時に
「これ、いつのだぁ?」って思ったから間違い有りません。すみっこが破れてたんですけど、駅員
さん連れて来た時も確認しましたから。
 思うに、行きはあの電車降りて正解だったのかなって。乗っていたらあの世に直行だったのかも
知れません。
 え? 冴子さんですか? さあ、その後どうなったかまでは……。大久保冴子という名前だけ
じゃ探せないですよ。どうやって探せば良いのかも分かりませんし、これでも結構仕事が忙しい
んです。毎日残業もあるし。
 どうです、お仕事のお役に立ちそうですか? あれ、どうしたんです。
 え、いや、そんな暗い顔の人じゃなかったですけど。ちょっと見せてもらって良いですか。
 ……感じが少し違いますけど、冴子さんですね。どこでこれを?
 精神病院。何でそんなところにいるんです。
 自殺マニア? 何ですか、それ。へーえ、死にたい症候群って言うんですか。世の中には
変わった人がいますね。
 つまりあなたはこう言いたいんですね。何度も自殺未遂を繰り返していて、死ねない人が
常連になってるって。
 でも、僕が出会った冴子さんはもっとこう、草原に咲いているヒマワリみたいに明るくてよく笑う
人でしたよ。だから僕も、あなたの手帳を見せて頂いた時そこの写真が彼女だって分から
なかったんです。
 日常と非日常ですか。つまり現実の冴子さんは暗いけど、彼女の精神は快活だと?  僕、
そういうのよくわかんないんですけど。作家さんっていろいろと勉強されてるんですね。
 冴子さん、僕と出会ったこと覚えててくれてたんですね。何だかうれしいなぁ。そこに行けば
会えますか?
 ……え? 亡くなった? 目を離した隙に飛び降りたんですか。そうですか……。やっぱりあの
電車に乗ったのが……。
 何かおかしいって分かってれば、あの時彼女を引き留められたんですけど。残念です。
 せっかく出会うこともあるかと思って、仕事を転職したのに……。
 仕事ですか。聞かないで下さいよ。嫌がられることはあっても、褒められたことはないんです。
別に、犯罪がらみってワケじゃなくちゃんとした公務みたいなものですけど。だから余計に
彼女ができないのかなぁ……。
 そろそろ出ましょうか。何だか混雑して来ましたし。
 あ、いいですよ、この店僕なじみなんです。ツケといてもらえますから。あなたもネタを探して
知らない人に声をかけてるくらいだから、懐が寂しいんでしょう? 僕、昨日ボーナス出たんです。
えへへ。
 おっ、外は結構寒いですね。話をしていて飲めなかった分、どこか屋台でも見つけましょうか。
 あれからね、少し飲めるようになったんですよ。というか、飲んでも酔わなくなったのかな。
 帰られますか。いいネタになりましたか、それは良かった。
 ……でも、無理ですよ?
 だってほら、この駅。
 始発になってるでしょ。
 言いませんでしたっけ、さっきのバーが話の店だって。
 そう、僕ね、転職して死に神になったんです。二度目に死んだ時に。


<了>

(同人誌「黒」収録作品)


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