多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→総理大臣、ただいま仮免中!1-1


「日本という国が消滅させられるかも知れない」
 男はこっそりつぶやいた。
 夜の展望台は空気までが凍りついたように静まり返り、遠く霞む黒い海を見下ろす
墓標のようだった。蔦と苔のこびりついたコンクリート壁を見上げていくと、自然と夜空を
眺める格好になった。
 視点を定めると見えなくなる星がある。他に目を移すと確かに見えるのに、再びそれを
見ようとすると見えないのだ。
 大学時代、生物学の講義で聞いた覚えがあった。不可視――なんとかと言うのだと。
単位合わせに過ぎず、自分の分野にまったく関係のない講義だったのに、こんな歳に
なってまさか思い出すとは。
 男は笑った。数十年前の、ほんの二時間にも満たないような時間の中で自分の未来を
告げる言葉に巡り合っていたのだ。
 ふと、思い出したように寒さがはい上がり、着古した薄いコートの襟をかきあわせて男は
身震いした。吐いた白い息がぼやけて溶けていく。いつも車で移動し慣れているため、
あまり外にいることはない。季節の変わり目は、仕事上のスケジュールでしか理解して
いなかった。
「総理、そろそろ決断されませんと」
 視線を地上に戻して首筋の痛みに顔をしかめると、男は振り向いた。
「基山先生。そうせかさんで下さい。――いざ、国の行く末が私の肩にかかっているかと
思うと、気楽に物も言えませんよ」
「ご冗談を。ご決断されているも同然ではありませんか」
「……」
 所々ひび割れた石段を男は一歩一歩踏み締めるように降りた。最後に降り立った地面が、
夕方までの雨で水を含んでいたのか靴がめり込んだ。この寒波で半分凍りかけている。
再び男は顔をしかめて、泥と苔の付着した革靴を引き抜いた。ぬちゃり、という音と共に
空いた穴へ、見る見る内に泥水がたまった。
 冷たい風を受けて木々が揺れた。ざわめきは彼らの立つ場所を囲んで次々に伝わって
いき、その様は国会のヤジにも似て、静かに男は苦笑した。
 今日も相次ぐホームページへのハッキング問題について突き上げられたばかりだ。
この国の最高権力である機関が、あのような愉快犯にコケにされたままでいるのかと。
 追求する野党党首の顔にははっきりと書いてあった。
 このあやつり人形めがと。
「総理」
 促すようにもう一度基山が呼んだ。差し出がましく口を挟む男ではないが、政界の黒幕と
して名を知らぬ者はいない、官房長官を務める人物だ。その気になれば明日にでも
総理の首をすげ替えてみせるだろう。つまり男は、確かに彼の傀儡にしか過ぎない
のだった。
「それでは行きましょう」
 基山がホッとしたようにため息をついた。
 この男でも人並みに不安を抱くことはあるらしい。
 男はちょっと誇らしく思った。


 人気の無い駐車場へ歩いて行くと、申し訳程度に街灯が照らす中、ぽつんと駐車
されたプレジデントから人影があわてたように飛び出してきた。基山は手を挙げて
応えた。
「随分長い間戻られませんでしたので、探しに行こうかと思っておりました」
 外に出ては寒さに耐え兼ねて車内へ戻ることを繰り返していたのか、街灯に
照らされた運転手の鼻が赤くなっていた。
「いや、そんなに長く考えていたつもりはなかったんだが。失礼したね」
 男がそう言って苦笑するのを横目に眺めながら、基山は車に近づいた。前髪の後退
した頭からずりおちる帽子を急いで直しながら、運転手が後部座席のドアを開けた。
先にすべり込み、続いて男が当然のようにゆったりした動作で乗り込むと、シートに
深く身をうずめた。運転手が慎重にドアを閉める。微かに車体が揺れた。
「それでは予定通り竹本先生のお宅へ向かいます」
「そうしてくれ」
 疲れている様子の男を気遣って基山はかわりに答えた。
 エンジンのうなる音がして、前方の暗闇をライトが照らし出した。ハイビームだったらしく、
それが反射して浮かび上がった展望台に一瞬驚いたようすを見せ、すぐに胸をなでおろして
男は背広の内ポケットから携帯電話を取り出した。
「総理、私が」
「いや、結構です」
 基山が手を伸ばすのを押し止どめ、男は電話を耳に当てた。竹本の家へ連絡を入れる
のだろう。
 黒い車体は法定速度でゆるやかな下り道を降り、市道へ入った。木々を両脇に植え込み、
よく整備されたこの道は、男が議員当選の際の公約として掲げた、『観光・国際化を
目指す町』が遂行された結果として広く知られている。大型車もよく通る割りに騒音も
少なく、周囲の住民には評判がいい。
 見通しの良い二車線道路は対向車の影もなく、珍しい静寂の中にいた。十数メートル先の
交差点の信号が黄色へと変わり、車は丁寧な減速とともに停車した。
 隣の会話は長引いているらしく、基山は総理が聞き耳を立てられることが嫌いだったのを
思い出し、外を眺めることにした。
 右手側にあるコンビニエンスストアの煌々とした明かりが車内を照らしている。深夜一時を
とうに回るというのに、店内は髪を染め肩をそびやかして歩く若者達で繁盛しているようだ。
顔中にピアスをし、つぎはぎをして作ったかと思うような服装。駐車場の車輪止めに腰掛けて
ペットボトルを傾ける男と、その隣で地面に座り込みゴミを散らかしながらパンをほおばる
赤い髪の女。少し離れたところでは、色とりどりのストラップをつけた携帯を耳に、どうみても
十代半ばとしか思えない女性が大声で笑い転げている。
 彼らは真冬の寒さとは無縁の生き物らしい。
「これが、これからの日本を担う若者達かね」
 基山は誰に話すともなくつぶやいた。話しかけられたと思ったのか運転手が、
「私の娘も最近夜遊びを覚えましてねぇ」
とあいづちを打った。
「今年、十六になるのだったね」
「はい」
「仕方ない。遊びたいさかりだ」
 言ってから基山は自分の言葉が矛盾していることに気づいた。
 道路の正面に位置する店のドアを押して茶髪の男が出てきた。だるそうに手にぶら下げて
いた袋を自転車のハンドルに移し、サドルにまたがろうとしたところで、一連の行動を見て
いた基山と目があった。基山は気まずさを感じて、詫びのつもりで軽く会釈すると前を
向いた。
 信号が青になった。運転手がギアを入れてアクセルを踏み込む。そして――。
 一瞬店の明かりなどものともしない閃光が辺りを覆い、爆音が店の窓をたたいた。
やや遅れた黒煙が、車の破片を盛大に四方へ撒き散らした。
 茶髪の男は吹き飛ばされて冷たい地面に尻餅をついたまま、ぽかんと口を開けていた。
買った品物が辺りに散乱している。
 やっと、店内にいた人間達が飛び出してきた。


「ファーストブロック、完了。直ちにセカンドへ移行せよ」
「了解」


「お母さんおはよう!」
 滝本明日香はちょうど最後の目玉焼きを皿に移したところだった。フライパンをコンロに
戻して、「おはよう」と振り向く。
「双葉。一美と三奈、志保、――それに圭はまだ?」
「やっだー、あいつらが休みの日に朝から起きてくるワケないじゃない。――あれっ、今日
第二土曜じゃなかったっけ」
 キッチンの壁にかかっているカレンダーを眺めて、双葉はペロリと舌を出した。
「やーね、一日が土曜だったじゃない。だから今日は第三週よ」
「いっけなーい。昨日圭にウソ言っちゃった」
 トースターから勝手に取り出し、かじりかけていたトーストをあわてて皿に戻すと、双葉は
飛び出していった。明日香は冷蔵庫からマヨネーズを取り出しながら、「私も今気づいたん
だけどね」とつぶやいた。


 滝本家は安普請という訳ではないが、高級住宅でもない。
 したがって、階段をそれなりに駆け上がればどの部屋にも聞こえるようになっている。
「ちょっと、うるさいよー」
 誰かが抗議しているのか、ドアごしに声が聞こえた。寝ぼけたような様子からして、
言った方もまだちゃんと目が覚めているわけではないだろう。さしずめ夢の世界から
一時浮上した状態、というべきか。
 脳が半覚醒状態にあると、大抵考えていることは起きているよりもずっと下らないこと
ばかりだ。
 圭もうつらうつらしながら、さっきの声は何番目の姉だろうか、いやいやもしかしたら
寝ぼけながら自分が言ったのかも、などと下らない――本人は大まじめだ――ことを
考えていた。
 ドタドタドタ。
 大きな恐竜が自分の方へ歩いて来る。それなのに自分は目を開けることが出来ない。
早く起きて変身しなければ。そうだ、変身道具どこに置いたっけ。
「ちょっと、圭! 今日は学校行く日だよッ!」
 いや、学校よりもこの怪獣が。あわわ、揺さぶられてる。変身ライト……。
「ちょっと、どこ触ってんの!」
 あいた! 攻撃された!
「圭! 学校遅刻するわよ!」
 耳元でどなられてようやく上下のまぶたが名残惜しそうに別れる。しかしまだ焦点が
定まるには若干の時間を要した。
「……怪獣だ……変身ライト……」
「……アンタ、夢の世界に永住したいの?」
 ぴくり、と双葉の眉が動いた。
「あれ――僕ん家?」
「私の家でもあるわね」
 キョロキョロしていると、こちらを馬鹿にしたように見て双葉は立ち上がり、「早く支度
しなさいよ」とドアを開けて出ていった。
 圭は首だけ右に向けて、ドアに貼られた猫の写真が付いたカレンダーを見た。そして
苦労してもう少し右に向けて、窓の上にある時計を見た。体ごと動かせばいいものを、
要するにまだ、脳がはっきり目覚めた訳ではないのである。
「えーと」
 声に出してみた。
「今日は十五日、土曜日。今、八時十二分。えーと」
 羽毛布団をめくり、ベッドから出ると、一応いつもの習慣でパジャマを脱ぎ、制服に
着替え始めた。この辺りは学生ならばいちいち考えずとも出来る行動なので、体の
方に任せておいて大丈夫である。
 脱いだパジャマをきちんとたたんで、洋服掛けのハンガーから学ランを手に取る頃、
ようやく遅い――あまり性能の良くない――エンジンがかかり始めた。
「あれ?」
 深く考えずに着替えたが、本当は急いだ方が良かったのでは?
 そう思って振り向いた。
 カーテンが開けられ、間接的に太陽光が差し込む窓の上、かかっている時計は
八時二十五分を指していた。
 さぁっと顔から血の気が引いた。
「遅刻だーっ!」
 反射的に学習机の上からカバンを引っつかむと、圭はドアを勢いよく引いた。命令が
うまく行き届かなかったのか右足が部屋の中に取り残され、小指を嫌と言うほど
ぶつけてしまい、半泣きになりながら廊下へ出た。
「圭ー? 行ってらっしゃい」
 隣の部屋からはっきりした声が届いた。自分の一つ上である志保は、この時期自由
登校のため朝から行かなくていいのだ。こんな時ばかり、誰に起こされなくても朝から
目を覚ましているのである。
「志保姉ちゃん、行ってきます」
 右足をかかえながら廊下を飛び跳ねて急ぎ、やっとたどりついた階段を急いで降りた。
リビングに続くドアから顔を出した母親に叫ぶ。
「お母さん、朝ごはんいらない!」
「はいはい」
 忘れてて作ってなかったのよ、というつぶやきは残念ながらそばにいた双葉にしか
聞こえなかった。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
 履き慣れた運動靴に素早く足を突っ込んで、玄関ドアを開けた。途端に目がくらんで
しばし立ち止まる。
「うわー、今日もいい天気だなぁ」
 背伸びをひとつして空を見上げると、久々に見る晴天である。少し肌寒い空気も
かえって心地よい。
「あれ、あんたまだいたの?」
 ベランダから志保が見下ろしていた。パジャマ姿のまま手すりから身を乗り出し、
煙草をふかしている。
「志保姉ちゃん、ご近所に見られるよ」
「人のことよりさ、その頭何とかした方がいいよ」
 反射的に頭を触ると、何かふわふわした手触りがする。視界の隅で必死に確認すると、
薄緑色のリボンだった。
「昨日圭先に寝ちゃったからね、一美と双葉がいたずらしてた」
「……」
 頬をふくらませてリボンを外すと、それをドアの把手に結び、
「僕、ピンクの方が好きなのに!」
と、ベランダの姉に聞こえるようにつぶやいて走りだした。
「育ち方、間違ったねぇ……」
 後ろから志保のつぶやきが聞こえて来た。

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