多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→総理大臣、ただいま仮免中!4-1


 昨日の喧噪がウソのように、早朝の永田町は静まり返っていた。玄関から歩いて
官邸入り口近くまでやってくると、公邸からは重なり合って一つにしか見えない、少し
先に建ち並ぶ高層ビルの群れが薄明かりの中見える。
 生まれてこのかた、東京の空気はお世辞にもうまいと思ったことはないが、朝は
違うように思えるから不思議だ。
「よう、おはよう」
 同じように早くから起き出していたらしい、大下が声を掛けてきた。性格とは反対に、
昨日と違うスーツに新しいネクタイがきっちりしめられている。彼は近くまできて顔を
のぞき込むと、
「大介、お前目の下にクマができてるぞ」
「そりゃそうでしょうよ」
 からかいを含んだ声に半ば本気の答えを返して、大下を睨んだ。
「結局昨日のアレは何だったんだろうなぁ」
「さあ。何だかテストのような気がして嫌ですけどね」
「予行試験?」
「ええ」
 それが気になって殆ど眠れなかった。起き上がれないほど体が疲労しているのにも
かかわらず、寝返りを繰り返してまどろんだと思ったら六時にセットした時計が鳴った。
つかの間の休息すら許さないかのような催促の音だった。
「対策はしてるのか」
「圭が、非常体勢を希望した。今都内の衣食住を扱う業者に呼びかけて、緊急時にいつ
でも協力してもらえるように要請している」
「……こりゃまた大きく出たもんだな」
 足元のコンクリから生えている、朝露に濡れた草を靴でいじりながら大下が言った。
「世論をかわすのがやっかいだ」
 辞職問題のことを言っているのだった。民間を巻き込めば必ず世論はそこを叩く。
きちんとした根拠があって国民に協力を要請しているのかと。
「何もしない政治家どもよりはましでしょう。このまま何事もなく済めば、再発を恐れて
対策を万全にしただけ、で逃げ切りますよ」
「チェッ、基山さんの孫は本当、始末に負えねーな」
「どこで誰が聞いてるかわからないんですから、そういう発言は控えて下さい」
 大下がはぁーいと気の抜けた返事をして、官邸の方へ戻って行った。大介も公邸へ
足を向けた。少しずつあたりが明るくなり始めていた。
 今日もいい天気になりそうだ。
 空を見上げて大介はそうつぶやいた。


「ごらんのとおり、昨日遊べなかった分を取り戻すかのように、渋谷は大混雑しています」 
 流行最先端を作り出すことで有名な店のあるビルを背景に、鮮やかなスーツを着込んだ
女性レポーターがしゃべっている。
「何だかねぇ……」
 昼食を口に運びながら圭はため息をついた。日曜はひいきの店も休みで、シェフの
作ってくれたランチをつついている。対策本部を解散させていないため、一応家に帰るのは
見合わせた。
「ひまだなー」
 つぶやいて付け合わせのポテトをかじった。大介らも一時帰宅しているから、一人寂しく
食事をとる状態である。大下も、官邸前に張り付いているマスコミの監視や交替時間の
調整が変更になったとかでてんやわんやらしい。
「家に電話してみよっかなー」
 思い立ったが何とかとばかり、皿に残ったサラダを急いで口にほうり込むと、「ごちそうさま」と
声を掛けて立ち上がった。メイドの富永がやって来て「飲み物はどうなさいますか」と言うのへ、
「オレンジジュース下さい」と返す。
 部屋に入って受話器を持ち上げると、自宅の番号を押した。二、三回コールしてから呼び
出し音が途切れた。
「もしも――」
「ただ今留守にしております。御用の方は――」
 がっかりして受話器を置いた。考えてみれば何だか訳の分からない混乱が収まった
翌日――しかも日曜――だし、それに快晴と来ては出掛けない方が損した気になる。
たぶんそう言って家族で出掛けているに違いない。
「つまんなーい」
 口をとがらせて食堂に戻ると、置いてあった新聞を取り上げてテレビ欄を眺める。
「あ、今日コレある日だっけ」
 さっきまでふくれていたのも忘れて、うきうきとテレビのチャンネルを変えた。
「あら、総理もお好きなんですか」
 富永がジュースの入ったグラスをおきながら声をかけてきた。
「うん。お笑い番組は大体見てるよ」
「そうなんですか」
 嬉しそうに富永が言った。「私、滝本さんが総理になってからやとわれたんですけど、
本当はあまり乗り気じゃなかったんです」
「何で?」
「だって、私は土日勤務ですから、日曜のこの番組が見れなくなっちゃうって思って。
でもここで食事中、総理が気軽に娯楽番組ごらんになってるから、すごく嬉しかったん
ですよ」
「ふーん」
 総理だからって別に難しい番組を見なくたっていいのにね、と言ったら富永は全くですと
うなずいた。
 窓から柔らかな光が差し込んでいた。

 
「一日経ったことですし、非常体勢準備は中止通告をされた方がいいんじゃない
ですかね」
 二十台並んだ電話を見て「これも片付けなきゃあなぁ」と白根が言った。
「確保した食糧について、損失料を払わなければなりません」
 吉田が大蔵省の人間らしい発言をする。メガネを外すとポケットから布を取り出して、
丁寧に磨き始めた。
 圭は両手をひざに置いたまま、視線を宙に巡らせている。どうするのかと見ていたら、
視線に気づいて「小野田さんはどう思いますか」と聞かれた。
「一応明日の午前中までなら、損失料は一日分で済みますね」
 考えを見越して答えてやると、案の定パッと顔が輝いた。
「じゃあ明日午前中まで続けましょう」
 正気ですか、と吉田が言った。拭き終わったメガネを顔に押し付けるように指で持ち上げる。
「いや、ギリギリまでやっておきましょう。万が一ということもある」
 佐々木が駄目押しをする。
「ではそういうことで」
 言って立ち上がってみせると、吉田達も渋々立ち上がった。外はすっかり暗くなっている。
「休日出勤も、スカだと疲労は二倍ですよ」
 中野が毒づいて最初に出て行った。ドアの外でわざとらしく「あーあ、疲れた」と言う声が
聞こえる。
「あ、皆さんお疲れさまでした」
 圭があわてて声を掛けるが最後に出て行こうとしていた竹本の耳に入っただけだった。
「総理、お疲れさまでした」
 そう言い残して竹本がドアを閉めると、圭がふう、とつぶやいて椅子に腰を下ろした。
「僕、おおげさだったかも知れないね」
「いえ。災害等の対策というものは、後手に回るより杞憂に終わる方がいいのです。
お気になさらないで下さい」
「でも、また皆がいろんな人に頭を下げることになるんだよね?」
 驚いた。ぼけっとしているだけかと思っていたら、ちゃんと気づいている。
 大介は椅子を引き寄せて圭に向かい合うように座ると、
「いいか、圭。そんなことは気にしなくていい。自分が正しいと思ったことをやれ。それが
この国を変えていける道なんだ」
 彼はじっと大介の目を見ていた。大介もあえて視線をそらさずに、圭の言葉を待った。
 澄んだ目だと思う。この世界でこんなクリスタルのような目を持つ人間がどれだけいると
いうのだろう。この瞳を濁らせない為なら、何をしても後悔などしないに違いない。
「……ありがとう」
 ふわりと微笑んで圭は立ち上がった。
「大分遅くなったけど、夕食は外でとろうか。大下さんも来れるか聞いてみる」
「うん」
 秘書室で電話をかけようとドアノブをつかんだ時、
「あれ、僕の携帯が」
 振り向くと圭が、背広のポケットから携帯電話を出して耳に当てる所だった。スーツは、
ポケットが膨らんでいるとみっともない。だから普通そんなところに物は入れない。大介は
首をひねった。
「あ、うん。大丈夫だよ。小野田さん? いるけど。うん、わかった」
 笑顔で携帯を差し出して来た。口調からして多分家族の誰かだろう。のんきなものだ。
「小野田です。あ、お世話になっています」
 相手は志保だった。
「すいませんね、突然」
「いえ」
「お願いがあるんですけど」
「何でしょう」
「今スタジオアルタの近くなんすけど、ちょっと遊び過ぎちゃって。とりあえず家に連絡は
入れたんだけど、ここからだと帰るのも結構時間かかるし、そっちの方が近いんですよ。
受験前で登校の必要もないし、差し支えなければ公邸に泊めてもらいたいんですけど」
「では、迎えを行かせますので場所をお知らせ下さい」
「助かります」
 何故自分に交替したのか分かるような気がした。圭だと状況を把握させるのに時間が
かかるとふんだからだろう。
「あの、志保姉ちゃん、何て?」
 携帯を受け取りながら圭が尋ねた。ドアを開けて秘書室の今田に車の手配を頼んで
から、「帰宅が遅くなった為、公邸に泊めて欲しいと。今からお迎えに行きます」
「あ、僕も行きます」
 でしょうね、とつぶやいて足早に公邸の方へ向かう。官邸入り口はマスコミがいて、
とてもではないが出られる雰囲気ではなかった。
 玄関についてドアを開けると、横付けされたリムジンの窓を開けて大下が「よう」と
笑ってみせた。


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