多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→総理大臣、ただいま仮免中!4-3


 二月二十四日、月曜日。
 ノックをすると女性の声で返事があった。どうやら志保はもう起きているらしい。
「おはようございます」
 中に入ると彼女が起き上がって窓を開けているのが目に入った。大介に気が付くと
「ちわ」と言った。
「あれから何か変わったことあった?」
「いえ、今のところは」
「圭ね、悪いけど二十分ぐらいは寝ぼけてるのよ。さっき起こしたからもうそろそろ
何とかなると思うけど」
 寝癖の付いた頭に、視線の定まらない目を見ればすぐに納得出来た。どうりで
毎朝スーツのボタンを掛け間違えている訳だ。
「メイドに着替えを用意させました。それと、総理に執務室においで下さいと伝えて
いただけますか」
「ああ、じゃ着替えたら引きずってくわ」
「お願いします」
 執務室の方へ戻ると、今田が「コーヒー、矢部さんが持って来て下さいました」と
声を掛けて来た。トレイに湯気の立つカップが乗っている。
 公邸の方で長年使用人を務める矢部は、いつも大抵厨房か使用人室にいる。
一体いつ寝ているのか、関係者の間でも政界七不思議に数えられているほどだ。
今までにも官邸で何度か徹夜にもつれ込む会議があったが、会議中も飲み物を
差し替えたり軽い食事を用意し、翌朝もけろりとして勤務していた。
 丁寧にいれられたコーヒーは、徹夜あけの体にじわじわと染み込み、疲れを癒していく。
 自然に顔がほころんだ。
「やっぱり散々叩かれてるな」
 新聞を片手に白根が戻ってきた。
「ある意味新記録ですね」
 吉田が黒縁メガネを指で押し上げた。「国民支持率が〇.一%を割るというのは、
史上例を見ないことですよ」
 メガネの奥の目が笑っていない。
「小野田君、いるかい」
 佐々木が入ってきた。「やっぱり気になってね。朝から差し出がましいとは思ったんだが」
「いえ、助かります」
「小野田さん」
 デスクの電話が鳴り、応対に出た今田が受話器を置いて厳しい顔で振り返った。
その声があまりにも険しく聞こえたのだろう。ソファにどっかり座っていた吉田と白根が
新聞から目を上げた。
「官房長官の奥様からお電話が。竹本さん、自宅で倒れられたそうです」
 立ち上がった弾みに、ひざに乗せていた書類が床に飛び散った。
「容体は?」
 佐々木が静かに尋ねる。
「脳梗塞で、意識不明の重体です。しばらく絶対安静です」
「おいおい」
 白根がソファに沈み込んだ。「何てこった……」
 報告した今田はなす術もなく立ち尽くしている。大介の次の指示を待っているのだろう。
だが、彼とて何か良策が浮かぶはずもない。
 竹本はこの内閣においてあまりにも重要な役目を背負っていた。
「副総理は?」
「もうすぐおいでになると思いますが……」
 七時というのに外はまだ暗く、夜明けの兆しすらない。その暗闇が迫ってきそうで、
大介はふいと目をそらした。
「お、おはようございます……」
 志保に襟首をつかまれる形で圭が入ってきた。多分そのまま部屋から連れてこられた
のだろう。
「総理、竹本官房長官が入院されました」
「代理をすぐに指名された方が。副長官のポストが空席なのです」
 吉田が神経質な声で付け加える。
「え、代理がいるんですか?」
「あんたの代わりに世間の非難を浴びてくれる奴だよ」
 白根が煙草を取り出して火をつけた。「ったく、参事官がヨーロッパに釈明出張なんざ
してなきゃすぐにとっかえるのに」
「不穏な発言は慎んで下さい。総理、どうされますか」
 促すと圭は一同を眺め回していたが、
「じゃあとりあえず今日は僕が記者会見に出ます。これ以上迷惑はかけられませんから。
官房長官さんは後で決めましょう」
「よし決まり」
 後ろから志保が割って入った。吉田と白根がいまいましそうに睨みつけるのを横目に、
大介は散乱した書類を思い出し拾い集めた。
 今田が気を利かせてテレビをつけた。一昨日、土曜日の都内を撮影したものだろう、
パニックに陥った様子が繰り返し流されている。それと対称的に語る解説者の顔は
平和そのものだ。
「警視庁からの最新報告は」
「まだです」
 そう答えると佐々木は、デスクの電話を取り上げて「私が聞いてみよう」と言った。
 内線電話が鳴った。すぐに今田が取り上げて応じる。
「市民団体の抗議が、官邸前で始まったそうです。いま大下さん達が押さえていますが、
総理と話をするまでは帰らないとのことで」
「警察に連絡してお引き取り願って下さい」
「承知しました」
 今田が話し出す。
「朝っぱらからよくやるねぇ」
 窓から身を乗り出して眺めていた白根が肩をすくめた。「まだ七時半にもなってないよ」
「小野田君」
 佐々木が手招きした。
「三原君と新井君が至急こちらに向かっているそうだが、またやられたよ」
「というと?」
「ダウンしたコンピュータのプログラムを解析中、勝手に外部との回線がつながって、
マスコミに機密事項がばらまかれたそうだ。犯人は不明。ああ、一つ受信先のアドレスが
たどれなかったようだ。自分達が盗むついでにばらまいたんだろう」
「……官公庁もやられているでしょうね」
「多分ね」
 そのやりとりを眺めていた圭が恐る恐る、といった足取りで近づいて来た。
「あの、何かあったんですか」
「事態が収拾したと見せかけて、機密事項が盗まれたようです。つまり、これ以上の
被害を防ぐには、使われているコンピュータをすべて取り替える必要があるということです」
「あいたた。億単位だね」
 志保が言う。「何だかコケにされてるようでムカつくねぇ」
「同感です」
 その時、庭を挟んで道路に面した窓の方から衝撃音が聞こえて来た。あわてて駆け
寄って窓を押し開けたのは佐々木だった。流石に反応が早い。
「どうした!」
 誰かの答えを期待して佐々木が叫ぶ。あわただしい靴音とともに大下が走ってくるのが
見えた。二階のこちらを見上げて手を口に当てると、
「都内の交通システムダウン! さっきの音は、玉突き事故です!」
 今田がデスクに置いてあるノートパソコンを開いて立ち上げた。起動するのを足踏みして
待って、マウスを操作する。
「ダメです、どの省庁にもアクセス出来ません! ――あっ、フリーズしました!」
「警官はどうしてる!」
 佐々木が叫んだ。大介はうなずいて、
「万一のことを考えて、出動待機させています」
「すぐ出動だ。通勤ラッシュで暴動が起こるかもしれん! 交通事故も起きているはずだ! 
大至急手配!」
「はい!」
 答えた大介の代わりに今田がすぐに電話を掛け始める。
「しまった、土曜の比じゃないぞ……」
「警官では押さえ切れないかも知れませんね」
「あのう……」
 遠慮がちに声を掛けられて、大介は圭の存在を失念していたことを思い出した。総理の
椅子にちょこんと座って首をかしげている様子は、うっかり木から下りて来て写真に撮られて
しまったリスに似ている。
「何です?」
「自衛隊は出せませんか?」
 全員がぎょっとして一瞬動きを止めた。
「駄目に決まってます! 責任問題を問われますよ!」
「御存じないんですか? 自衛隊は民間人に指示をすることは禁じられてるんです!」
「交通規制はあくまでも警察の管轄です! 機動隊がいるんだから!」
 吉田や白根、中野がまくしたてる。どこかで見たような展開だな、と見守っていると圭が
こちらを見た。その後ろでは椅子の背もたれに手をかけた志保が、面白そうにニヤニヤと
眺めている。
「自衛隊って僕では動かせないの?」
「一応総理が出動要請を下せば動かせることになっています。しかし、合憲か違憲かで
世論も動きに注目していますし、通行予定の道路管理者への承諾および行動についての
取り決めなど煩雑な手続きも必要です。詳細がまだ把握出来ていないこの状態でうかつに
動かせば、吉田さんのおっしゃるとおり問題になります」
「何かあったら辞めればいいと思ってんのかね、このぼっちゃんは」
 気づかれないように言ったつもりなのだろう、睨むと中野はあわててそっぽを向いた。
「ですから、新たな混乱を引き起こす恐れがある以上、無理です。前代未聞ですよ、こんなに
早く自衛隊出動を命じる総理は」
 デスクに手をついてつばを飛ばしながらまくし立てる吉田の後ろでは、イライラと白根が
行ったり来たりしている。
「つまり、自衛隊出動は出来ないことはないが、結果がどうであれ国民の非難が集中すると
いうことです」
 今田が補足して圭に分かるように説明する。
「とりあえず先に、非常事態発生につき民間の災害対策システムを発動させます」
 携帯を取り出した。幸いまだ混線していない。すぐに相手が応じた。異常事態再発に気づき、
指示を待っていたのだろう。
 視界の隅で志保が別の窓を開けるのが目に入った。足を窓枠にかけるのを見、「ちょっと
待って下さい」と電話から耳を離すと「何やってるんですか!」と駆け寄る。
「そこで事故ったんだろ。救急車、時間かかるっしょ。出来ることはやる主義なんだよ」
 くわえ煙草でひょいと身を乗り出した。止める間もなく次の瞬間には降り立っていた。タトン、
という音と共に突然降ってわいた志保に、大下が目を丸くしている。
「圭! あんたもおいで。――っと、自衛隊のことハッキリさせてからだ」
「うん」
 うなずいて圭は振り返った。白根や吉田のとがめるような視線に気づくと、どうしたものか
しばらく考えているふうだったが、無言で大介を見た。
 ここ数日で理解した圭のくせ。
 自分達、政界にいる人間では出来ない、まさに無茶な発想をしている時、彼は右耳を
触っている。
 彼が口を開く前に、わかっているというふうに無言でうなずいてやった。
「じゃ。僕行きますから」
 満足したように部屋を出て行こうとするのをあわてて押し止どめた。
「総理! 危険です、おやめ下さい」
 腕をつかむとくるりと振り返った。驚くほど真剣なまなざしがそこにあった。
「出来ることをやらないのはホントの役立たずだって、お姉ちゃん言ってた」
 ハッと胸を突かれて思わず手を放した。圭はニコリと笑うと、
「何かあったら呼んで下さい。表にいますから」
と走っていった。
 右手に握り締めた携帯から、様子を尋ねる声が聞こえてきた。
 大介は「すみません、後でかけ直します」と言って切ると、「佐々木さん、ちょっとこちらへ」と
声を掛けて返事も聞かずに執務室を出た。


「では、総理代理として、佐々木さんには直接の指揮を担当していただきます」
 秘書室の隣にある応接室で、大介と佐々木はテーブルを挟んでいた。そこには、圭の
サインを待つのみとなった、防衛庁提出用の様々な許可証がおいてある。一番上に
総理の権限に関する委任状があった。
「分かりました。責任は総理が負うということで、警視庁と防衛庁を説得しよう。ここが
了承すれば、公安委員会を承諾させるのはたやすい。超法規的処置として国家公安
委員会の管轄下に一時所属することとし、事故や犯罪を未然に防ぐことを目的として
民間人への指示行動を許可させましょう。多分これなら非常事態の出動としても、
問題を最小限に食い止められるはずだ」
「お願いします」
 佐々木は頭を下げる大介を、手を挙げて制した。
「勘違いしないでくれ。確かに自衛隊を出動させるという考えは多分成功する。総合的に
考えて、近県の県警本部に警官出動を要請するよりも、自衛隊の方が速やかに動ける
だろうからね。でも私達のように経験豊富な人間が考え抜いた上での発言ではない。
ただの思いつきだ。それがたまたま私の考えと一致したに過ぎない」
「佐々木さん……」
「正しい方向に思いつきで行動しているうちはいい。だが、いつか必ず取り返しのつかない
ミスをする日が来る。私個人はやっぱり、早急に辞職すべしというマスコミを支持するよ」
 その言葉が胸に突き刺さるのを感じながら、それでも大介は頭を下げた。


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