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軍師官兵衛

第24話(14/06/15)

 今回はモヤッと半分、スッキリ半分ってとこかな。
 モヤッとしたのは、最後まで調子がいい小寺が腹立って仕方なかった点です。
 スッキリしたのは官兵衛の態度ですかね。

 軍師として復帰した官兵衛は、三木城の別所の所に行き、降伏を勧めます。
 この時彼は、地獄からの使者と名乗った。
 長治とその一族の命を差し出せば、家臣を助けると信長は言っている、と伝える官兵衛。
 賀相は、毛利からの援軍は来る、と言う蹴れでも、毛利はこないと官兵衛一喝。
 かっけぇ。
 長治に詰め寄るのへ、後ろで善助がきちっと、官兵衛用の椅子を前に持っていくのも
良かった。
 で、家臣を守るのは領主の務め、それをしなければ荒木の二の舞になるぞ、と言うんですね。
 信長ははむかう者には容赦しないと。
 だから地獄からの使者と名乗ったのだという官兵衛。
 幽閉されてからやっぱ一皮むけた感じですな。
 それで三木長治は、官兵衛の提案を受け入れたのでありました。
 その報告を聞いて喜ぶ秀吉。
 したら、官兵衛は続けて、酒肴を送りなされ、とアドバイス。
 ただでさえ信長らの評判は良くないのだから、腹を決めた三木らにそうやってもてなすことで、
温情を知らしめることが出来るし、播磨を治めやすくなると言うのですな。
 さすがですな。

 そうして2年もの長きにわたる三木城の攻めは終わりました。
 次は小寺です。
 と、官兵衛父のもとには、かつての小寺の臣下が。
 あんだけそそのかしたり、黒田家を敵視してたクセにのこのこときやがって。
 小寺の煮え切らない態度に愛想を尽かしてやってきたというけど、もっと早くに見切りつけろや。
人を見る目がないなぁ。
 そのころ小寺は、一人残った江田にもぐちぐち言ってて、潔く腹を斬れと言われたけどそれも嫌で、
結局江田にも愛想尽かされてた。
 こうして小寺は斎とともに金目のものをもって逃げ出します。
 これ…信長の耳に入ってたら激怒して、殺せと言われてただろうけど、多分このあたりは
秀吉がうまいことやってたんだろうなぁ。

 つーか今まで本当によく死ななかったもんだわ、小寺。
 常に間違いの選択しかしてねーし。
 お紺の言うことを聞いていれば、と後悔しても遅いわ。

 その頃信長は、荒木のいなくなった有岡城で宴を開いていました。
 家臣とかは不気味なのでドン引き中。
 ここで、だしの幽霊みたいなのを見た信長、すごいニヨニヨしてた。
 あかんわー。これ、「あんちゃーん」って龍馬の幽霊が現れるくらいでないとビックリせんわー。
(いろいろ混ざりすぎだろ)
 
 さて善助が小寺を捕らえたとやってまいりましたよ。
 とらえられたというのに態度でかくてムカツクわー。
 ここで、官兵衛父がやってきて、その態度に、自分らは長らく仕えて来たのに裏切られた上に
官兵衛の命まで狙われた、と怒る。
 そらそうですわな。
 そして官兵衛が来て、小寺は、暗殺命令は何かの間違いだし、臣下にそそのかされただけだ、
とここでも言い訳。
 私だったら軒先にさかさまでぶら下げるくらいしときますよ…。
 人払いしたところで官兵衛は小寺に、潔く腹を斬れというけど、小寺はそれは出来ないという。
 で、自分が斬ろうとしたけど、やはり切れませんでした。
 多分恩があるというより、こんな阿呆に仕えていたのかと、情けない部分の方が大きかったの
ではないかな、と思うんだけど。
 官兵衛は小寺を追い払いました。
 つーかお前、庭の倒したものは全部直していけよ…。

 秀吉に、小寺をうっかり逃がしてしまった、と報告する官兵衛ですが秀吉は怒るどころか、
臣下だけでなく、領民からも嫌われものだったから、逃げたところで何が出来るわけでもない、と
気にした様子ではありませんでした。
 良かったですね。
 また、半兵衛の分もと気負いすぎではないかと指摘。
 官兵衛は官兵衛だから好きなんだ、と。
 さすが秀吉ですなぁ。
 で、官兵衛は姫路城を秀吉のために改修工事することにしました。
 なるほど、階段部分に便利な引き出しがついたり、テーブルの仕掛けを開放すると、大人数で
使えるように…。(それ違う番組になってる)
 
 んでいろいろ解決したお祝いにと、官兵衛父が鯛を酒の肴にとくれるのですが。
 官兵衛、これを味噌漬けにして大事にとっておくという。
 で、酒の肴はマメで充分だと。
 節約にも程がある!
 まあいつものケチが戻ってまいりましたな。
 官兵衛父が、せめて骨の周りをつまみに…って言ってたけど却下されてて笑った。

 そして本願寺は、当時の天皇の仲介により、和睦が成立してました。
 荒木のあの頑張りはなんだったんだ…。
 
 その後信長は家臣らを呼んでまず、光秀を褒めます。
 その後秀吉らを褒めるのですが、佐久間だけは、長いからいろいろしたためたよって
いって蘭丸に読ませる。
 うーむこれが蘭丸かぁ。まあいいや。
 内容は、直江状にまさるとも劣らないダメ出しでした。
 佐久間泣くだろうが!
 武功を立てないからクビって言われた。
 ま、斬首の方のクビでなくて良かったと思わんと…。
 そういうわけで彼の臣下、領地は、光秀につくことになりました。
 秀吉は城に帰って、一番の出世頭は光秀になっちゃったーとか言ってる。
 でもおねは、自分らの嫡男は信長の息子だから、うちの領地は将来信長のものに
なるのだから領地は取り上げられないでしょう、と喜ぶ。
 これはなかなかいい着眼点ですな。
 この後やりとり続いてたけど…アドリブっぽいなぁ。いや、面白かったからいいですけど。

 さて、1580年のこと。
 戦の褒賞で官兵衛は一万石の領土を与えられ、大名となりました。
 さらに官兵衛は、藤を家紋にすると発表。
 牢にいた頃外に見えた藤が、生きる望みをつないでくれたと。
 藤を見ると辛いことも思い出すけど、生きねばという意志が湧くことから、これを家紋と
定める、としました。
 で、旗印に関しては散々言ってますが、半兵衛の餅紋を黒田家も貰い受けています。
 半兵衛が懐の餅で命拾いしたことから、餅を旗印にしたのは既出の通り。
 寛政重修諸家譜って本にも乗ってます。

 さあ、そういうわけで黒田家、新たな出発でありました。


 次回
 大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。日曜日ばかりの人生もそれと同じだ
 byジョン・パウル