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西郷どん |
SP3(18/10/20)
撮影風景で、西郷さんに扮する鈴木さんと、大久保の瑛太さんが並んで歩いて移動してるシーンで
鈴木さんが「西洋にかぶれるのもえーかげんにせいよ」と冗談まじりに言ってたの笑った。
明治政府になって西洋の文化が入ってきて、政府の人達はみんな洋装になりましたからね。
大久保も真っ先にそうしてたし。
しっかし最終章に入ると西郷さんの顔つきすっかり変わるんですね。
すごいです。
そういったことも含めて、世間からどう思われるのか楽しみ、と瑛太さんは語っていました。
これから社会は大きく変わっていくのですが、その中で西郷は武士らに助けを求められる
ところがあるのかな。
なお、歴史検証で西郷どんに携わる磯田さんも、チョイ役で出るらしい。
すごいですな。
スタジオで、これから物語は明治に突入するという解説が始まったよ。
正直スタジオはあまりいらんと思うのだけどなあ。
役者さんの心意気とか聞いていきたかった。
ともあれ、これから明治政府は国づくりをしていくことになるが金がない、いろいろしなければ
ならないということでどうなっていくが、がポイントだそうです。
高橋さんが、この二人は日本のために頑張ってくれたと言いますが、まあそれはどの先人も
同じことで。
すべての先人が今の日本を作っていってくれたと思いますよ。
その中でもこの二人が特に、ということでしょうけどね。
それと、塚地さんが、何しにきたって言われてて笑った。熊吉ィー!
パックンはラストサムライの話に脱線してて面白かった。
磯田さんは、大久保については「欧米か!」ってふってたけど、トシさん殴れるわけないでしょうよ(笑)。
ここで町の声とか最高齢の人にインタビューしてたけど、皆大久保を知らなかった。
残念だなあ。
この人は明治政府で随一といっていいくらい、本当に国のためを思って心砕いてた人ですよ。
もちろん他の高官も頑張ってたけど、私腹肥やすことに専念した政治家の方が多かったから。
大久保は学校をあちこちに作り、そのために自分の私財から予算としてお金を出してました。だから
高給取りだったにも関わらず財産はほとんど借用書しかなかったくらい。
暗殺後国民が、他の政治家も私腹を肥やしていたから大久保はさぞかしたんまり遺産があるだろう、
と見守る中、借用書だらけだったことが発表されました。
国民が大久保がどんなことをしていたか知らなかったから仕方ないんだけどね。暗殺した連中も
私腹を肥やす政治家けしからん、の一心だったというから。
で、家族が本当に暮らしていけないので、あちこちの学校に交渉して大久保が貸していたお金を
少しでも返してもらったりしています。
磯田さんが大久保とは国家の設計施工を一身に背負った人だ、と説明します。
欧米に視察にいったんだけど、ものすごい怖い人でほとんど笑わない人だったらしい。
んで大久保の家系はすごくて、4人の総理大臣が出てる。
吉田茂もこの家系ですか(大久保子孫が奥様)。すごいなあ。
んで西郷自身はすっかり隠居して薩摩で暮らしていたんだけど、大久保がどうしても西郷の手が
いる、と3年ぶりに東京へ呼び寄せました。
大久保がヒゲをはやしたのは、西洋の人達にナメられないようにするためだったらしいです。
当時の日本は海外からしたら、未開の地に映ってました。
屋台なんかすごく便利なファストフードなんだけどな。
そんで大久保は今でいう、軽犯罪法みたいな法律を作った。
裸で外歩くな、とか人の家の柿を取るな、腐ったものを売るなって。
腐ったものを売ってたことが驚きですわ。
さらに明治5年。
高島という方が私財を投じて東京の町にガス灯を導入しました。
夜道でもかなり明るくなって防犯に役立ったわけですね。
そしてもう一つ変わったのは、食生活でした。
洋式になったわけです。
毎日西洋料理だったらしいですよ。
ただ、大久保の子孫さんによると大久保はパンを食べたあと漬物を食べてたりしたようで。
まあねえ…。
いいと思ったことはどんどん取り入れる人だったそうです。
さらに政治家が食べていた献立には肉が多かった。
肉食べて体を大きくしようみたいな。いや大人はもう無理だから。
食事は当時の金額で4円、一人12万円だそうです。
すげえ。
あと、明治5年に食べられていたカレーが出てきますが。
肉はカエルだった。
あれ?この時代まだ牛とか食べないんだっけ?
カエル肉で値段8銭(2400円)はきつい…。
ただ、こういった高額な料理が出ていたのも当たり前で、新政府の給料、大久保や西郷
なんかは月収2〜3000万だったらしいです。年収3億。いいなあ。
ま、それだけの働きをしてきた人だしね。
しかし大久保は3億の金をすべて国のために使い、借金までしていた、と。
次は冷や飯がキーワードで出てきた。
大久保は更なる改革に乗り出しました。
それは廃藩置県でした。
300藩を廃止し、3府302県にすると。
…増えてるじゃねーか!47都道府県でも全部言えるか怪しいのに305府県とか無理だろ!
ポケモンじゃないんだぞ!
これは武士社会の終焉を意味するものでした。
もともと農民から年貢を取り立て、それを藩が武士に家禄として与える代わりに武士は戦力に
なっていたわけですが、これからの時代もう戦力そのものは必要ないわけですから、それを
廃止することを大久保は思い立ったのでしょうね。
給与もなくなるから冷や飯というわけですか。
まあいわゆる「御膳じるこ」というやつですね。
落語でも残ってるんですけども、この廃藩置県で仕事を失い収入もなくなった武士が困り果てて
自宅で汁粉屋を開くわけですよ。
商売の真似事をしようとしたんですな。
ところが商売の経験なんかないもんだから、下っ端(西郷どんでいえば熊吉のような人)が「何を食べるのか」
とやってきた客に聞き、出来た料理は姫様が運んでくるが「食べるがよかろう」と言った挙句、
「代わり(おかわり)はいるか」と聞いたり、「待っておれ」とどっちが客だかわからないみたいな状態で。
ただ、こういうのを面白がった町人がやってきたりしてそこそこ繁盛したらしいですが、それを
商売になると考えた商人がマネし始めて乱立しちゃって、結局はどこもつぶれたみたいな状態には
なったようですけどね。
これは確か実際の話だったと記憶しておりますが(記憶違いならすみません)、落語のネタにもう一つ
この武士の境遇として『素人鰻』って話があります。
閑話休題。
農民にとって明治時代は新しい生活の始まりとなりました。
土地は自分達で所有することが出来るようになり、名字も持つことが出来た。
ところが当時、名字は自分で決めて良かったのだけれども、失礼ながら学のない人もいるから
どうつけたらいいかわからない。
地名由来だとか職業由来の名字が多いのはこういうところに由来するのでしょうね。
確か庄屋さんとか村長さんとかお寺さんに名字をつけてもらった農民もいるはずです。
この番組では鰻さんという人が出てきた。
ま、そういう意味では「小鳥遊(たかなし)」とか「月見里(やまなし)」「四月一日(わたぬき)」
などは粋でこじゃれた名字だなと思いますね。
この名字をつけるように決めたのは戸籍を作る関係でもあったようです。
正確な人口を把握するというものですね。
確か戸籍というものが存在しない国もあるので、日本のこれは画期的だと思います。
あ、それと税金を確実に集めるためにはね…明治政府お金がないからね…。
パックンはアメリカでも変わった名字は多いと言います。
あれだけ広ければいろいろあるでしょうな。
テレビで言えない名前もあるらしい。
さてその後武士たちはどうしたか。
次のキーワードは蚕。
ああ、養蚕ですか。
町に士族があふれ、身分を失った侍たちの不満が高まっていました。
そんな中、改革を続ける政府は西洋に視察へ出た。
これが岩倉使節団でした。
メンバーにはヅラと大久保がいた。
1年9ヶ月の間、12か国を周ったらしいです。
西郷はその間政府を預かってた。
ああ…これか…西郷がいろいろやらかしたっていうのは…。(本で読んだ)
ともあれ西郷は皆が留守の間、鉄道を開業させたりと真面目にやってました。
さらに、明治の教育では教科書もハイレベル。
子供らの頃から漢字で言葉を学んでいました。
おそらく、西洋と渡り合えるようにという考え方からなんでしょうね。
確かに明治時代は後半になっても勉強のレベルすごいです。
大学で英語で授業するのは当たり前だったし、英語はともかくとして第二外国語も習得
してる学生が多かったり。あの夏目漱石も英語とドイツ語出来ましたからね。フランス語は
確かドイツ語に訳し訳し読んで、わからないドイツ語を独→英の辞書で調べるというハイレベルな
ことしてました。その結果フランス語もいけるようになったと。夏目漱石のお弟子さんらも外国語に
詳しい人は沢山いました。とんでもない人たちがごろごろしてた時代でした。
西郷は日本全国に農業を根付かせていった人でもありました。
こないだ江戸城無血開城の時に、二宮さんの農業の本見つけて大喜びしてましたもんね。
マニュアルがあれば失敗しない農業とか出来るもんねえ。
西郷はここで、仕事のなかった武士に土地を与え開墾させて、生きていくすべを教えたわけです。
それは武士たちにとっても並大抵の努力ではなかったでしょうが、まあ生きていくためだからねえ。
そして、養蚕も発展した。
明治国家を支えたのは茶と生糸だそうです。
鈴木さんは西郷のイメージとして、戊辰の今さで死んだ者たちに顔向けできるような国造りを
目指していたのではないか、と語りました。
磯田さんの解説として、西郷は農業が大好きだったから、自分も農民として働く、大久保は
東京で政治家やる、という風に正反対だったようです。
西郷は、この時代についていけない、こぼれた人に寄り添う人だったのだと。
山形県では、西郷が菅さんという方と向き合っている銅像がありました。
ここは昔薩摩藩と戦ったところらしいのですがそもそも薩摩藩は刀を捨てて投降した人たちを
討つようなマネはしなかった。(他藩だと、家老3人を斬首とか)
そしてここでも大きな改革をしていったようです。
このころ大久保は何をしていたか。
キーワードはリンゴ、と言われた後に「歯槽膿漏か」って誰か言ったから、胃でも悪くしたのかと
思ったらリンゴのキーワードであってた。
誰だ!
大久保は外国を見廻って、これからは異国に物を売らなければならないと思い知らされた、と
西郷に言います。
貿易での収入というわけですね。
さらに視察から果物の種を持ち帰って別邸の庭で育てていたらしい。
リンゴとかブドウ、ラフランスかな、作ってたようですね。
すごいですね。
そして大久保は農学校のようなものを設立してまわった。
農業で生活を豊かにしようとしたんですな。その結果収穫を海外に売ることが出来れば儲かるしね。
これに役立ったのが榎本武揚でした。
北辰社という、牧場をつくって乳牛を育て、牛乳を販売したようです。
庶民でも買えたとか。
…当時って…殺菌消毒してないよね…いやいいけどさ…。
まあこれで西洋人との体格差を克服しようとしたと。
この時点で日本とヨーロッパとの進み具合は4、50年の差があったらしいです。
大久保はそれなら追いつけると思ったと。
確かにそうですね。
この明治時代というのは本当に成長が目覚ましい時代でした。
日本という国もまた、新しいものに興味津津でよく取り入れていったからこそだと思います。
大久保役の瑛太さんは大久保のことを、核となっているのは100年先の日本を見据えて自分がやって
いく、ということではなかったかと。
西郷とは違う、自分はもっと違うやり方ですすまないとダメだ、他の人間に負けたくないという思いが
あったのではないかと語ります。
確かにねえ。
磯田さんがまたここで欧米かってふってたの笑いました。
ただこの考え方の違いが、西郷と大久保の間にボタンの掛け違いを生み、西南戦争になって
いくわけですか。
その結果、片方は有名になり、片方はあまり知られてないような結果になってしまった。
日本の時間を進めようと急ぎ過ぎた大久保と、ゆっくり時間かけて成長していこうとした西郷の
違い、というわけですね。(高橋さん・談)
日本史上最後の内乱と言われる西南戦争がどうなっていくのか。
最後に、9/24は西郷さんの命日として鈴木さんが、法要に出席していたようです。
今でも西郷さんを慕う人達が集まっているようでした。
損か得かで動くと大変なことになる、正しいか正しくないか見極めろ、という言葉も出てきましたが
まあそれは損か得かで動かないといけないこともあるから、要は何が人のためになるかという
ところでしょうね。
自分さえよければでなく、人々のため、地域のため、それを考えて動ける人が大事なんだと。
そういうことなんじゃないかなと思います。
次回第39話。
「会ってもわからないこともある」