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殿、利息でござる! |
5/25鑑賞
この映画、ズートピアとともにぜひ見て欲しいなあと思います。
最初の30分くらいはちょっと話がもたもたして退屈に感じるかも知れないけど、見ていけば
本当に面白いし「ああ自分も少しは考えていかないと」と思えるから。
私も、人のためになることをしたことがあっただろうか、いつも自分が自分がばっかりじゃ
なかったかなと思い、ここまでとはいかないけど、これからの人生考えていかないとなあと
思いました。
コメディだけど最後はじんわりといい感じで終わる映画です。
あと、クリーピーの映画鑑賞マナーのCMおもしろい。
やっぱこういうのが好きだな。
普通にあれこれ言われるより楽しいからねえ。
花鳥風月のパンフレットもそういうつもりで毎回違う漫画を注意マンガに採用しているん
ですけどね…。(脱線)
銭の音がするなあ、と思ってたら、先代浅野屋さん(この時代は屋号+名前呼びが普通)が
ツボに金をためている。相当な量でした。
このおっさん脱税やで!(マルサの女じゃねーよ!マルサこねぇよ!)←マルサの女という
作品に出演されていたので興味ある方はどうぞ。
冒頭から話それたやろが!
彼が外を見ると、大八車を引いて夜逃げをしている一家がある。
浅野屋はこれに声をかけ、おまえには金を貸していたな、というわけです。
それからどうなったかと言うと…。
ここ、その後が出なかったから、絶対ああだろうなと予想してたのが当たって、ちょっと嬉しかった。
それから10年経過して1766年のことでした。
江戸時代中期くらいですなあ。
菅原屋という茶屋さんが嫁さんを京から娶って、馬に乗せて戻ってきたわけですよ。
スガー!!!!(それバレーやっちゃうから!トス呼んじゃうから!「あのさわやか君はトビオに
何を教えた」って及川さん言い出すから!)
…えー、茶屋さんなわけですよ。
のんびり話しながら歩いていると、肝煎という役目の人が走ってきた。ほか数人。
私のような村一番の知恵者になると、ああして肝煎の出迎えとかあるんですわ、はっはっは、と
言っていたら、馬強奪された。
おい、知恵者。
この肝煎というのは庄屋さん、つまり村の取りまとめ役です。
よく「何々さんの肝入りで始まった」とかいう言葉がありますが、この肝煎から転じて、取りまとめる
こと、仲介に立つことをさします。
なんでも、伝馬のための馬が逃げちゃったので急きょ必要になったところへ、菅原屋がきたから
ちょうどいいとばかりに馬もってったらしい。
ここで解説が入るので大体わかると思いますが伝馬というのは要するに、中央から地方へ役人とか
物資を運ぶ時に、ずっと馬や人足を使っていたのでは疲弊してしまうことから、場所を定めてそこで
馬、人足を変えて荷を載せ替えて運ぶというものでした。
その用意の負担は村人側であり、補助がなにもないことから、冒頭のように破産して夜逃げする
ところも多かったわけです。
この町は伊達藩直轄ではなく、家臣の管轄だったから今でいう補助金が出なかった。
それもどうなのって思うんですけどね。
宿場町として栄えていればともかく、この吉岡宿は旅人が脇道通るようになって稼ぎも少なくなって
さびれる一方だったからです。人が逃げればその分残った人の負担も重くなる。こうしてどんどん
ひどい状態になっていったわけですな。
うーん…なんか目玉商品でもあれば人がくるだろうけどねえ。
ともあれそういうわけで、伝馬町という名称が残ってるのは昔、こういうことをする場所だった、という
わけです。
こういうのって結局民が耐えていられるうちはいいけど、限界超えたら集落ごと消えるか、一揆しか
ないわけで、あんまり藩のやり方としては得策ではないと思うなあ。
伊達政宗公が見たら投げ飛ばされますよ、今の藩主。
あーあと、ここの宿場町全景、多分だけど、超高速参勤交代の時に使われたセットじゃ
ないかなぁ。違ったかな。
行列を多く見せるために、先までいったら村の後ろ通ってまたやってきてたやつ。
この伝馬作業が行われてる時に、十三郎という、造り酒屋の人が訴状を手にしていた。
それを見かけた菅原屋は止めようとするんだけど、役人に目撃されて大慌て。
とっさに菅原屋は自分が持っていた、公家からもらった茶のお墨付き状を見せてその場を逃れるの
でした。
このあたりはすげーな。
あと、この役人にすら「すごい」と言われるって、よくもらえたなそのお墨付き。
それくらいすごいものらしいです。
十三郎が持っていたのは、伝馬の負担が重すぎてこのままではこの吉岡宿はつぶれてしまう、
何とかしてもらえないかという内容でした。
十三郎は菅原屋に知恵を貸して欲しいというけれど、彼は「頑張って稼げばいいのでは」と
当たり前のことを言うのでした。
それが出来れば苦労はしねえよ。
この後菅原屋は浅野屋にいって借金返してました。
冒頭に出てきた人から代が変わったみたいです。
今浅野屋は造り酒屋と質屋をしてるらしい。
結構取り立てが厳しいので文句言ってる菅原屋ですが、浅野屋はどこふく風でした。
なるほど。
飯屋にいって酒を飲む菅原屋。
お前嫁さんもらったばっかりだろうが!
そういう風にな、外で金を使うから貯金ができないんだよ!
あ、伏線ですがここの飯屋も結構ツケで飲んでる人が多いみたいですよ。
どんだけツケにしてんだよ。
多分月末支払じゃないかなとは思うけど。
そこに十三郎がいたので菅原屋、なんとかならんか、という。
浅野屋のことなんですが実は彼、十三郎の弟らしいです。
守銭奴とか言うてる。
借りたものを返すのは当たり前やろが!
いろいろ金かかるのに借金きっちり返さないといけないのはつらいなーとかボヤいてて、
菅原屋は、何か名産でも作って、この宿場に金が落ちるようになったらなーとか言ってる。
で、金かして利息がどうの、という話をしていた時に菅原屋、ハッと思いつく。
お上に銭を貸すんだ、と。
女将さんが「いりません」と言ってて笑った。
そっちじゃねー!
てかあんたは秀吉様から貢いでもらえ!(真田丸、真田丸!)
菅原屋の考えとしては、お上、つまり仙台藩にまとまった金を貸し付けて、その利息を
もらうことで伝馬に使えば、皆商いに専念できるから、この村も暮らしが楽になる、という
わけでした。
仙台藩は今金に困ってるようで、木を切り倒して売り始めたりしてるみたいです。
あと年貢もどんどん厳しくなっていると。
だからざっと千両くらい用意できれば、と菅原屋は言う。
利息は年に1割が相場だから、毎年100両のお金が用意できれば伝馬の負担を賄えると。
ここで説明が入ります。
今の貨幣価値に置き換えるのは難しいけど、日本酒一合が4文で240円なので、千両は
約3億円ということになると。
江戸時代の貨幣価値の考え方のここが難しいところで、こういう計算をしたとしても一方では
別のものの価値計算が合わなかったりして大変なんですよね。
それは今といろいろ物価が変わったこともあるんですが、この映画では暫定3億円と考えて
おけばいいかと思います。
そうか、昭和43年におきた三億円強奪事件はこいつらの…!
(タイムマシン用意する方が難しいわ!)
十三郎、菅原屋の提案に俄然乗り気でした。
それから年があけて1767年。
十三郎の奇妙な行いが村中の噂になってました。
最近風呂に行くのをやめて、行水をしているらしいです。
願い事でもあるのかねぇ、と皆は噂していた。
そして菅原屋が茶摘みをしていると、その十三郎が叔父を連れてやってくる。
あの計画のメンバーになってもらったというわけですよ。
すっかり忘れている菅原屋は何のことかわからない。
聞いてると千両ですよとか言い出した。
でかい声すぎて皆に聞こえとるやろが!
千両というと、銭五千貫文だそうです。
小判は商人とか武士が扱うもので、庶民は見る機会がなかったと。
確かに小判支払いに使われてもお釣りなさそうだしなあ。
要するに、今の支払いで10万円硬貨(記念硬貨で実在する)出されても困るようなもんですよ。
是には寛永通宝で、今だと1枚60円。
これをヒモに通して持ち運んだりしてたわけですね。
それで、十三郎は一人500貫文(3000万円)と考えれば用意できない額ではないという。
つまり10人の同士が集まれば用意できるというわけですね。
でも菅原屋は、こんな得にならないことに賛同する人がいるかどうか、と乗り気ではない。
この人自分から言い出したクセに、この時点ではまったくやる気なかったんだよなあ。
なんでだろ。
面倒くさいと思ってたのかな。
自分らのためにはならず、伝馬のために使われるわけだから、金用意しても用意損といや
損なんですよね。
叔父ももうけ話だと思ってたから怖気づいてしまってます。
でも十三郎は強い覚悟を持っていた。
ここで菅原屋、こんな面倒くさい事はごめんとばかりに、肝煎に打ち明けましょうという。
つまり、肝煎だったらそんな恐れ多い事、と言ってくれると思ってたんだろうねえ。
ところが。
肝煎も大いに乗り気だった。
実は年老いてから生まれた子がいるんだけど、この子が肝煎を継ぐ時代にはこの村は
どうなっているだろうか、ということが気がかりだったらしい。
だから、伝馬の負担を減らしてこの村が維持できていくならば、という気持ちでいると。
菅原屋にしたらとんだ計算違いですわな。
十三郎にしたって肝煎にしたって、こんなに私ではなく村のことを考えられる人がいたとはって
思っただろうから。
で。
菅原屋、今度は大肝煎に話しましょうと言い出した。
大肝煎とは、村を一括してまとめあげる人のことです。
肝煎が町内会長のような立場だとしたら、大肝煎は町長あたりと思っておけば。
なので、このあたりではもっともお上に近い存在でした。
てか菅原屋てめー、64でも偉そうだったのにこっちでも偉そうだな。(中の人同じなだけで
時代背景違うから!←64という映画では、記者クラブのリーダー役)
あと、大肝煎の家に向かう途中で皆はみのを身に着けていますが、傘を持つことは許されて
なかったそうです。
侍とかが許されてたんだって。
傘1本がなんぼのもんじゃい、と言いたくなりますね。
大肝煎は話を聞いて、最初は賄賂渡して自分らの身分をもっとよくしてもらう話かと思って
いたが、村のためを考えての行動とは、といたく感動した様子。
本来自分が考えるべきことだった、と言ってます。
この人言っちゃなんだけど結構感化されやすいな…。
そういうわけで大肝煎も自分も金を出す仲間に入れて欲しい、と言い出します。
菅原屋の思惑大外れで笑える。
これで5人がそろったことになります。
でも菅原屋は菅原屋で、渋っていたのがだんだんと思いが変わってくるのは良かったですよ。
さてその頃仙台城では。
藩主重村が、官位欲しいなーとか思ってたらしくて、いろんなお偉いさんに付け届けとか
してました。
それで金いるのか。
お前なー…肩書がなんぼのもんじゃい。
で、この金が何とかならんかということで、出入司の萱場に家老どもが相談していた。
出入司は県庁の役目でいえば財政課ですが、権威はもっと高くて、総務部部長みたいなもの、
つまり殿さまに直接お話しできる立場な感じです。
茅野は金の用意を何とかしろと言われて、部下に、米を買い占めろ、民はひえやあわでも食ってれば
いいとかひどい事言ってる。
借金だけはならん、と。
こいつ最後らへんではちょっとまともかなと思ってたけど十分ひどい奴ですよねえ。
1768年。
仙台藩は金がなくなったので銭を作り始めました。
あれ、これ今の日本財政も厳しいから万札刷ればいいんじゃね?各家庭に100万くらい配って
みたらいいんじゃね?経済回りますで。
というのは冗談にしても、私経済の話が苦手なので万札刷ってばらまくとデフレが起きるって
のがいまいちよくわからない。6000円のDVDが7000円になったりすんのかな?なぜ?
ともあれ。
まだ10人集まってない、出資が十分ではないと慌てる一同。
このまま銭が出回ったら、藩は金を借りる必要がなくなると。
というわけで一同、売れるものは売れとばかりに金を作り始めました。
叔父さんだったかな、春画売るのにすごい後髪引かれる思いで笑いました。
さらに菅原屋では奥さんが「あなたの考え感服致しました。あなたに嫁いできて幸せです」と
すごい褒めてて、まあ菅原屋も仕方なくだと思いますね。物売るのに協力してた。
嫁さんが、茶のお墨付き(公家さんの)を売ろうとしたので慌てるんだけど嫁さん、「こういう時は
お宝から質に入れるもの」と言われ、ぐうの音も出ず。
十三郎の家では、彼の息子音右衛門が、母(十三郎の妻)の形見も売るのですか、もし母が生きて
いたらどう思うのか、とか言ってた。
テメー、ドラえもんみたいな名前しやがって。
黙ってろ。
てか生きていたら十三郎の考えに賛同してくれたと思うけどね。
十三郎はそんな息子に、情けないという。
お前は私の父や弟(浅野屋)と同じ血を継いでしまったようだな、と。
息子、浅野屋の子に生まれればよかったとか言うてますよ。
なんつーか…まあまだ志を理解といっても無理なのかな。
ここで面白いのは、質に出した時に十三郎が菅原屋のあの公家の書付を見つけて、これまで
いいのか、って聞いたら菅原屋が、嫁に言われたことをそのまんま言ってたことです。
まあ面子は保ちたいらしい。
その様子を両替商が見てました。
で、肝煎を見かけて、あいつら夜逃げかも、と言う。
事情を知ってる肝煎は、まあ見てみるわ…って感じなのですが。
その頃、今回の話があちこちで話題に上ってました。
内緒にするって言ったのに…!
で、十三郎らが集まって、5人じゃたりねーよなーと言ってたとこへ外で物音が。
大肝煎がきたかな、と皆がいそいそ迎えにいくと両替商が「黙れ小童!」と。←それドラマ違う。
話を聞きつけて、儲け話だと思い込んだ彼は、自分も出資すると言いにきたのでした。
これがまた声がでけーんだわ。
そのうちぜってー黙れ小童!って言うぞと思って見てたけど言わなかった。
両替商は、藩は銭を作り始めたけどそのためには、材料やら人手やらがいり、そのためには
結局莫大な銭が必要となる、お上に金を貸す事ほど確かなことはないから、自分は二口乗ると
言い出した。つまり1000貫文、6000万円です。
菅原屋、あれ儲け話と勘違いしてるぞ、と言うのですが…。
1769年。
飯屋のおかみさん、人に話広めまくりじゃないか…。
どっから漏れてんだよこれ。
人足の間では、うちの町はこれだけ出したぜ、おまえんとこは、みたいな話になってて、
これじゃあみっともないってんで人足が、自分の街の金持ちに掛け合いにいって、金を出させるん
ですね。
秘密が秘密じゃなくなってるが、こういうところから出資者が現れるのはありがたいな。
てか話聞いてる早坂屋ってのが「そういうことになるのかな?」ってお前何回言うねん。
優柔不断すぎだろ!
よくそれで商売できるな。
で。
別の街はって言われて、浅野屋の名前が出るけど、あそこはダメだ、ケチだからと。
寺の寄進すらしたことないらしいです。
先代の時も夜逃げした人が声かけられて金返せと言われた、って。
それに比べて十三郎は大したもんだ、兄弟でああも違うもんかねーと言われてます。
この人足が話をしている中で、文句言ってる人と言ってない人がいますね。(後でわかる)
と、ここに肝煎がきたんだけど、人足らがすごい暖かいまなざしを投げかけて去っていってて
(皆肝煎も金を出していることを知っている)、1人、感極まった感じで駆け寄ってきて、じっと見て
去ってったのを肝煎が「うわびっくりした」って言ってて笑った。
あれ絶対素でビックリしてる。
さて。
ここで一同ようやく、話が漏れまくっていることに気づきました。
さらに両替屋が話がちがーう!と激怒してやってきて、菅原屋が「話せばわかってくれるんですよね?」と
十三郎に対応任せて自分はスッと横によけたの笑える。
両替屋は結局、自分は降りると言って去っていきました。
ともあれ、人足、村人らが誰に話して回ったのかを突きとめないといけないというわけで。
早坂屋にも話したけどあそこは三百貫文しか出さない、ケチだとかいう話が。
温泉掘るのに熱心らしいですよ。
で、女将も話して回ったということで中でも、小間物屋に話したら、すぐ銭を用意すると二つ返事だったと。
小間物屋ってのは今で言う雑貨屋です。
話を聞いて十三郎、それ女将さん身請けの話と勘違いしたぞ(結納金)、と言うけど女将さん、それでも
構わないと言ってる。
だったらあなたがもらってくれるの、と。
しどろもどろになってる十三郎がいいですなあ。
最後くっつけばいいのになあ。
さてこれだけ話題になれば、バカにするような奴も出てくるわけで。
飯屋でバカにしてた人らに女将が酒か水かわかんねーけどひっかけるシーンは良かったなあ。
で、皆で集まって話をしていると、外に影が映ってる。
貞子かよ!
こぇぇよ!
なんだよ、中に入って話しろよ!
なんでも、浅野屋に話をしにいった人足がいて、なんと出してくれることになったらしい。
出すの?と聞かれてうなずいてて笑える。
500出す、と人足が言うので皆、500文か?と割とひどい事言ってる。
浅野屋は500貫文だす、と言ってきたらしいです。
皆ビックリですね。
菅原屋が確認にいったら間違いない、と。
町の繁栄無くして家の繁栄はない、という浅野屋。
うわさと違ってできたお人ですなあ。
ここで菅原屋が褒めつつ、自分の借金も何とかなりませんかね、と交渉してて笑った。
で、浅野屋は、兄、十三郎がいくら出すのかと聞く。
菅原屋は、誰がということはなく、一応皆一律なので500貫文だと答える。
すると浅野屋はうちからさらに500貫文出しましょう、と言うのでした。
けちったら浅野屋の名が廃ると。
ここ、小さなことなんだけど、しっかり見ておいて欲しい。
造り酒屋を兼ねてるので話してる最中も、麹をかき混ぜる人達の歌が聞こえているわけです。
浅野屋が二口分出すと聞いた十三郎、それなら自分は降りると言い出した。
なんだその対抗意識は。
菅原屋もおかしいと思ったようで、あんた実家のことになるとおかしくなるね、と言う。
十三郎は、自分は兄なのに、自分が跡取りにされず養子に出されるなんておかしいと思わないか、
と言い出した。
早くに養子に出され、覚えてるといえば、7歳の頃父親が、わけのわからない話を言い聞かせて
いたことくらいだ、と。
飽きた自分は庭で遊び、弟は熱心に父の言うことを聞いていたそうです。
だから、父は私を見限ったのだ、と言う十三郎。
菅原屋は、そうは言い切れない、と言う。
ともあれ、自分は養子に出されても負けないように頑張ってきたのに、ここであっさり弟に
一千貫文出されたら立つ瀬がない、と言うわけです。
ここで菅原屋、あんたこの村のためじゃなくて父親や弟を見返すためにこの話始めたのか、と
怒るけど、十三郎は、どうしてもというのなら私の名前は外して下さい、名を売りたいわけではないので、と
去っていった。
こいつの卑屈も何とかならんもんかねえ。
なんつーか、あんまり真実を知らせなさすぎるのもどうかと思うんですが。
またまた年は明けて1770年。
両替屋が寺に寄進をしていました。
するとそこの坊主が、いきなり両替屋を褒めはじめるわけですよ。
寄進だけでなく、この村を救うためにお金を出すとはなんてすごい方だ、と。
お上へお金を貸す話、こいつがあまりでかい声で話していたものだから、抜けたのは伝わらず、
両替屋も加わった、ということだけが寺に伝わっちゃったようですなあ。
坊主はこの顛末を書き残し、後世まで伝えると言います。
こうなると引くに引けなくなった両替屋。
さて出資者の皆さん集まっております。
十三郎は来ていない。
あと、早坂は300貫文だしてきてるらしい。
それと穀田屋は200貫文。
浅野屋は一千貫文出したと言われて思わず皆驚いています。
残りはこれで一千貫文ということになる。
そこに両替屋がやってきて、私もやっぱ加わりますわーと言ってきた。
彼は上座に座りにいくわけなんですな。
そんで、一千貫文だしてくれるのか、と言われると、皆と同じでいい、500貫文、と。
ケチだな。
まあともあれ、あと残りは500貫文ということになったら浅野屋が、自分がそれを
出しましょうといった。
つまり浅野屋は1500貫文出したということになる。
面白くないのは両替屋。
どういうつもりだと食って掛かる。
手柄を独り占めするつもりかと。
そんなだったら最初から沢山出すというでしょうが。
ここで大肝煎が皆を諌めて、我々はもっと慎むべき、と言うのです。
それで掟を作ってきたという。
一、ケンカは慎むこと
一、今回の嘆願を口外しない(誰がいくら出したとかも言わない)
一、寺社への寄付も匿名で
一、道ではなるべく端っこを歩くこと(もっと端っこ歩きなさいよ←懐かしい)
一、上座に座らず下座に座ること
また、これらは必ず子々孫々に伝え、守らせること、と言うのですね。
自分らの代は良くても子々孫々になったら、先祖の偉業を自慢して歩く者が出るかも知れない、
そういうことがないようにしよう、というわけです。
立派ですなあ。
ちなみにこれは本当によく守られており、この話が出たのも、さっきの坊主がせめてもの恩にと
書きとめ、後世に伝えていたからだそうです。
すごい話ですね。
この後大肝煎が皆に何かを読み上げているシーン。
ここは上へこういう陳情をしにいくということを言い聞かせています。
途中火事がどうのというのがありましたが、半鐘が鳴っているのは火事を知らせる合図で、
この当時類焼が多かったので、人々は何をおいてもまず火事の対応にいった。
それもせず、聞き入っているということは、いかにこの宿の未来を皆が不安に思っているか、
ということの現れです。(肝煎とかが説明してるけど)
さて。
お金がたまりましたのでいよいよ、大肝煎が代官に話をしに行きました。
この代官の性格がよーわからんというか…。まあともかく彼は手紙を読んで、自分ひとりじゃ決められ
ないから橋本に相談しろという。
要するに役人のたらいまわしです。面倒事は自分処理したくないから、もう一人の代官の橋本の
とこにいってねー、というわけ。
この、橋本がいる代官屋敷にいかないといけないんだけどこれが遠かったらしい。
ここの展開いるのかな、とちょっと思ったんですけどね。史実なのはわかるけど、コメディタッチで
かくならこのシーンいらないんじゃないかなと。気持ちはわかりますが。
ともあれ、ボロボロになってやってきた大肝煎を前に橋本は、まず上にあげてみることを約束してくれ、
さらに今すぐ急いでいるわけではない、と知ると、労をねぎらい着替えなども貸してくれたのでした。
優しい。
役人ってばっかりじゃない良い代官ですね。
橋本は大肝煎に、このように民百姓のことを思っている人とは初めてであった、と感動した様子でした。
さてこの嘆願書がいよいよ、萱場のとこにいったんですが。
こいつ読んですぐ話にならんと却下しやがった。
おいおい。
で、橋本じゃなくてもう一人の方の代官(管轄はこっちらしいので)が大肝煎に残念だったなーとか言ってて。
あと、良いつむぎが手に入ったから奥さんにどう?とか言ってくるんですね。
この後から大肝煎の様子がおかしくなったので、なんか侍を目指すとかおこがましい、とか上に物申す
とか身分考えよみたいなイヤミは言われたのかな、とは思いました。
季節は変わり。
菅原屋だけが大肝煎に呼ばれて話をしていたので、さすがに大肝煎もあれだけ努力した皆を見て
ダメでした、とは言いづらかったのだと思う。
菅原屋は、こんだけまたせてこれかよ、とひどく落胆した様子。
大肝煎は、この千両は我々で回そう、と言うんだけど菅原屋は、それができるなら最初から
そうしてる、あんたどうした、といぶかしがるわけです。
ここ、見てて思ったんだけど大肝煎、「千両」と言ってるんですよね。
確かに千両ためよう、千両とは五千貫文だと言ってたから、千両って言ってもおかしくはないんだけど、
私はここで大肝煎が「千両」と言ったのは、侍側、つまり代官側に寄っちゃってるんじゃないかなぁ、と
思いました。面倒事はごめん、みたいなね。
そして1771年。
伝馬の様子が出ますが、ますます人足らの負担がでかくなっているのがわかります。
一人あたりの荷物が増えてるとかね。
肝煎らは、まだ上からの返事が来てないと思っているようで、遅いなあと言っている。
こんなたいそうな願い、無理だったのかも知れないなあ、と。
どんどん伝馬の負担が重くなっていってるようです。
あと両替屋はまた寺への寄進をしていたんだけど、匿名でっていう掟を守って、自分の名を外して
もらってんですね。(何々町、何々さんというのが、寄付をもらいましたよ、みたいな札で出ている。
神社とかでもはられてるあれです)
坊主に、匿名でいくらもらいました、ってちょっと書いておいてくれない?というけど、「それは他の
匿名で寄進してる人に悪いから」と断られてしまう。
ここさらっと流されてるけど両替屋、もとから匿名で寄進していた善意の人がいたことに驚いたん
じゃないかな、と思いますね。
認められたい、こんなにたくさん寄進してあそこはすごい人だ、と言われなくてもいいと思ってる人が
いる、ということにね。
あと私はこの匿名の人の中に、浅野屋もいたんだろうと思ってます。
その夜。
浅野屋に不審者が出入りしてるのを誰だったかな、見つけて、泥棒だー!と町中が大騒ぎ。
皆の追跡をかわして逃げる中、肝煎が待ち構えていたのは笑いました。
ここだけ「相棒」になってるやないか!
すいませんテレビ朝日さん、あの音楽流してもらっていいですか。
飯屋に突っ込んだところで泥棒捕まえたわけですが。
村人の一人が、昔夜逃げした九兵衛さんだと言い出した。
冒頭の大八車引いてて、先代浅野屋さんが声かけたあれです。
皆は、大変だったろう、夜逃げの時に浅野屋に見つかり、借金があるといって銭をせびられた
そうじゃないかと言う。
でも真実は違っていた。
あの時呼び止められはしたが、下に降りてきた先代はまとまった金をくれたそうです。
「この金は返さなくてもいい。
借金のことも忘れなさい。
あんたはよく頑張った。
この村を出て行かないとならないのはあんたのせいじゃない。
この世の中の仕組みのせいだ。
卑屈になってはいけない」
人足の一人も、浅野屋の取り立てがきついのは金持ち相手だけで、貧乏人には決して支払いを
せっつくことがなかったという。
皆は初めて知ったわけです。
がめついと言われていた浅野屋が、本当は人のために尽くしていたことを。
さらに九兵衛は、もらったお金で仙台で死に物狂いで働き、15年経過して元金くらいは
返せるようになったからと、返しにきたんだそうです。
そうしたところ先代は7年も前に亡くなっており、今の浅野屋も、「そのお金は受け取るわけには
いかない」と受け取ろうとしなかった。
だからあまりにも申し訳なくて、こっそり蔵に置いてこようとしたんだそうです。
なんか…この人も本当にいい人ですよね。
普通は返さなくていいって言われたら、やった、ラッキーって受け止める人も多いだろうに。
肝煎は、自分たちは思い違いをしていたのかも知れない、と反省した様子。
と、外で十三郎が聞いていた。
そんなハズはないとか言ってる。
菅原屋、無理に彼を引っ張り、息子の音右衛門に、あんたもこいといって浅野屋にいった。
あれ、とりさんじゃないですか。by真田丸
浅野屋ってとりさんのご実家?(中の人が同じなだけ!)
ここで浅野屋が、ツボを持ってきた。
父はこれに銭をためていた、と話をする。
一つのツボに100貫文入ったそうです。
えーと600万円か。
これが7つあったそうで、よくためたものです、と言う浅野屋。
十三郎が産まれた頃からはじめたらしいです。
これをお上に差し出して、この町の伝馬の役目を少しでも減らしてもらうよう頼むつもりだったそうで。
さらに、父の遺言で、自分がダメなら息子(今の浅野屋)、それがだめなら孫がなせ、この宿場町が
立ちゆくようにこの金を使え、と言ってたそうです。
十三郎、聞いてないというんだけど、この時十三郎はもう養子に出されていたので、その家を
巻き添えにはするなという教えを守っていたそうです。
でも、その兄である十三郎の方が宿場町維持のために奔走し、今や家をつぶしそうな勢い、
親子とはよく似るものだ、というばば様。
それを聞いていた音右衛門はどう思ったでしょうか。
町の人にケチだのなんだののそしりを受けることになろうとも気にせず、人のためになることを
せよ、と先代はいい、今の浅野屋もそれを守っていた。
すごいですねぇ。
なお、先代が読み聞かせていたのはそういう話だったそうです。
十三郎、私は遊んでいて聞いてなかったと反省する。
でもばば様は、あなたはちゃんと聞いていたんですよ、遊んでいるようでちゃんと聞いていた、
だから今あなたは父親と同じことをしているという。
ここのシーンすごい良かったです。
浅野屋のことが明かされるのがいいですね。
菅原屋がいきなり飛び出していくから何かと思ったんだけど、この話を大肝煎に聞かせるつもり
だったらしい。
今すぐきてくれと。
大肝煎は、また嘆願の話だろうけど、こういうのは間をおかないとお上にも失礼だからなーとか
言ってる。
それに菅原屋は激怒するわけですよ。
あんたはどっち向いて仕事してんだ、いくら侍になりたいからといっても、同じ百姓だろうが、
傘がさせるのが本当に偉いのか、って。
それで菅原屋は浅野屋に、大肝煎に今の話悪いけどもう一度してやってくれ、と言うわけです。
これで立ち上がらないと男じゃない、と。
一同騒ぎを聞きつけて出てきていたんだけど、中に入ろうとしたところで浅野屋がつまずいて転び
そうになる。
それを支える十三郎。
ここで彼は気付く。
浅野屋は両目の視力がほとんどなくなっていたのです。
「父はこんなものを養子に出すのは気が引けたのでしょう」と言う浅野屋。
十三郎、自分が養子に出された本当の意味を理解したわけです。
なんかもう、大いに反省しただろうなと思いますね。
父が、弟がって文句言うばかりで、自分は何一つみてなかったんだ、みたいなのを。
1772年。
大肝煎はもう一度橋本のところにいきました。
そして、萱場から嘆願を返されたことについて、利息を取った者勝ちみたいなことを言われるのは
心外だ、と言って、浅野屋の話をする。
ここのシーン気持ちはわかるけど、見てる方はもう一度聞かされているので、大肝煎に話を
させるより、冒頭ちょっとセリフしゃべらせて、後は音声なしにして聞き入っている橋本、という構図に
出来なかったのかなと思いますね。
記録係も思わず聞き入ってしまう、的な演出で。
数分ほど大肝煎の話が続いちゃうんでねぇ…。
まあともかくその話を聞いて橋本、大いに驚く。
単に民のために金をためたって話ではなく、4、50年も前から町のことを考えて、コツコツと金を
ためていた人がおり、自分がダメなら次の代、それがダメなら孫の代でことをなせという教えを
受け継いでいたのかと。
橋本の顔つきが変わるんですね。
だから、決して利息とった者勝ちで貸そうというわけではないのだと。
これを放ってはおけないと橋本は、自分で嘆願をきちっと書くと言い出しました。
そして萱場に直接伝えに行くわけです。
最初話を聞いてくれなかった萱場も、橋本の熱意に根負けしてしぶしぶ話を聞く。
というか手紙を受け取って、橋本が説明する中「ここに書いてあるから」つーて読むわけですが。
つくづくこの男、読めんな…。
でも、あっさり「通そう」と言ってくれた。
すげぇぇぇぇ!
でも一点書き直せという。
銭五千貫文のとこを、千両で貸し付ける、と言う風にしろと。
橋本は二つ返事で引き受けるわけですね。
この時萱場の記録係がびっくりした顔をしている。
ここがポイントです。
映画の残り時間も余ってるしな!(おいやめろ)
橋本が町に直接やってきて、皆に「この通り、嘆願が通ったぞー!」と知らせる。
とごが菅原屋、手紙を見て気付いた。
「やられた」と言っている。
千両で納めるということは、小判で納めなければならない。
ということは銭を両替する必要があるわけです。
今ならば例えば100円玉を10枚両替したとしてちゃんと千円札1枚になりますね。
ところがこの当時、通り相場といって、銭五千貫文は数字上では千両となるけれども、
実際に小判にするとなると、藩が銭を沢山作って流通させたので、金相場が落ちており、
あと800貫文が必要になる、というわけです。
要するに通り相場では5000貫文で千両。実際には5800貫文で千両。
おかしいだろ!
まあそれはともかく…。
自分のミスだと詫びて取り消しを願うという橋本に対し十三郎は止めた。
これは我々の命綱、なんとしてでも通したいと。
萱場はわざとでしょうなこいつ。
腹立つわー。
ともかく急いで800貫文用意しないといけない。
ここで騒動になるわけですね。
皆が焦るあまり、あいつはもっと出せるはずだ、おかしいとかやり始めちゃった。
すごいなと思ったのは、女将が淡々と人足に何かを話してるんですよ。
さて。
浅野屋に話にいった菅原屋と十三郎。
でもここはものすごい負担してるから、もう出す必要はないという。
ならなんで話にいったんだよお前ら…。
ともあれ、浅野屋はうちからさらに500貫文出すと言ってきた。
十三郎は、ここまできたからといって、店をつぶすものがあってはならない、というけどあることに気付く。
歌が聞こえないと。
彼があわてて蔵の中にいってみると、酒蔵はからっぽでした。
酒樽はすべてから、静まり返っていた。
今年は酒は造らないという浅野屋。
米を買えないのでと。
もうこの店はつぶれておりまする、と言ったセリフがなんか物悲しいなと思いました。
ここまでする自己犠牲がすごいなと思って。
一族皆そろって、覚悟はできているから、金を出させて下さいというわけです。
そうなったらもう、受け取らないのは浅野屋の顔をつぶすことになる。
それで十三郎らは、浅野屋の500貫文を受け取ることにした。
飯屋では相変わらず他の連中が、早坂屋はもっと出せるはずだ、とかモメまくってて恥ずかしいな。
それを早坂の子が見てて泣くわけですよ。
女将も怒ってる。
悪いのはお上であって、そのせいで私らが争うのはおかしいでしょ、と。
そこに人足らがお金をもってやってきた。
これは、方々からツケを回収してきたものでした。
その金、実に50貫文。
女将、これでも足りないの、と驚いていますがなんのなんの、大したお金ですよ。
てか300万円もツケで飲ませてたのかよ。
残り250貫文か。
と。
十三郎、家で驚くべき出来事がありました。
先代浅野屋の考えを知り、己を恥じた音右衛門は奉公にでて、その先で10年の給金
250貫文を前借していた。
これを使って下さいというわけです。
1年150万円…安いな…。
まあともかく、これで全部用立てできたわけです。
そして1773年のこと。
小判に両替され、千両が上納されました。
萱場は浅野屋がつぶれたと聞いて、百姓にしとくには惜しい男だなとか言ってる。
あと、今回の件に関して十三郎ら一同は萱場に目通りがかなうわけですが。
ここで萱場はまず今回の褒美を与えることを話す。
さらに浅野屋にはことに褒美をというけど、彼は来ていなかった。
十三郎、彼は目を悪くしているというのですが、茅場は馬と駕籠をやったぞという。
でも十三郎は、馬にも駕籠にも我々は乗りませんと言った。
父の教えですと。
馬や牛、これらの背に乗って動物をいじめるな、駕籠など論外である、人に担がせるのは
卑しいことである、と。
やはり、十三郎は小さいころ父の教えをきちんと聞いていたわけですね。
人は人を苦しめてはならないという教えで浅野屋は馬にも駕籠にも乗らない、だからここに
来てないのです、ということだろうね。
ここで萱場、この藩内で駕籠や馬に一番多く乗ってるのは誰か知ってるか、と言い出した。
やばい展開ですなあ。
要するに殿さまを回りくどくバカにしたようなもんだからねえ。
でも萱場、あっさり「ご苦労だった」と言って帰って行きました。
首の皮一枚でつながったな。
菅原屋が「死ぬ気ですか」と十三郎に言ってるけれどこれ、伝馬の時のやり取りがそのまま
繰り返されてて面白かったです。
褒美ですが、浅野屋の提案でこれも皆に配ると。
皆はそうだろうなーと思ってたようですけど、皆も受け取らないと言ってるからこれ、浅野屋さんが
受け取ってくれないと困るのよーといってると。
にわかに表が騒がしくなる。
なんと、伊達のバカ殿…重村がやってきたのです。
皆下座に移るの笑ったなあ。
しかも慌てて移動するのに踏んづけたりなんだりで大騒ぎ、痛い痛い、すまんすまん、とここらは
アドリブかな。
重村、馬にも駕籠にも乗らんそうなんでこっちから会いにきたぞ、と明るい。
これイヤミ言われてる気分だな。
悪意はないんでしょうけど。
萱場から話は聞いたんでしょうね。
そして重村はおもむろに硯をとってこさせ、ある文字をかいた。
あと、萱場のことは一応謝ってた。
重村は話を聞いて、自分も少し慎まなければと思ったようです。
んでできた言葉ですが。
春風
寒月
霜夜
季語ですな。
浅野屋にこれを酒の名前とせよ、店をつぶすなよ、お上に店がつぶされたとあっては面目が立たん、と
言って帰って行ったのでした。
あと、馬も駕籠もいらん、城まで歩いて帰るって言ってた。
どんだけ距離あるんだよお前大丈夫か。
(スケートで帰るから大丈夫!←それ中の人やろが)
殿さまが移動するのに合わせて土下座の向きをあたふたと変えるの面白かった。
そういうわけで、この吉岡宿の伝馬の負担は、お上に貸し付けた金の利息によって大いに
減り、人々の暮らしは改善されていきました。
その様子をあの坊主が細かく書きとめてました。
後ろで両替屋が坊主とガンつけあってて笑った。
この詳細な記録が残っていたおかげで、こんなにすばらしい人たちの行動が今の世まで
語り継がれたわけです。
浅野屋は店を復活させることができ、殿さま命名の酒は飛ぶように売れたとのことです。
奇しくも名産品が出来たわけですね。
しかし浅野屋はこの店の儲けを道を直したりする公共工事につぎ込んだそうです。
大肝煎は民の救済に奔走したことが認められて、侍の身分をもらいました。
さらに菅原屋の茶も名産となり、彼はこの先も藩のもめごとなどがあると、知恵者として
解決に力を貸したそうです。
おい…藩のもめごとは解決できてるかも知れんが、奥さんとのケンカは解決できとらんぞ。
なお、墓は夫婦の名が刻まれてるそうです。
利息はこのまま支払われ、40年後藩に不都合があったとかで反故にされたんだけど、
同じように救済事業をする人が現れ、また再開されたそうです。
その中には三代目早坂の名があったとか。
先祖がケチったのを恥ずかしく思っていたのかな。それともあの人が今度あったら協力
しろと言って聞かせたかはわかりませんが。
1813年前後に何があったんでしょうね。一旦打ち切りになったのは。
ともあれ、これは幕末まで続き、合計6000両がこの吉岡宿には支払われたそうです。
そのため、ここいらは人口がこれ以上減ることはなく、明治の時代を迎えたと。
なお十三郎は女将と再婚出来たかはわからないそうです。
大願成就の4年後死去とか。
そんなに早くなくなったんですね。
遺言は、我々のしたことを人前で語るな、というものでした。
この穀田屋は今でも酒店として残っているそうです。
これはすごい誇りですねえ。すばらしいと思います。
現代の町が映って、それを浅野屋の二階から先代がニコニコしながら眺めているシーンで
この映画は終わります。
きっと今の世を見たら同じようにニコニコしてるだろうなとは思いますね。
このシーンで終わってくれたのは良かったです。
自分が自分がではなく、人のために何かをなす事、それを自慢しないこと。
つつましくあること。
今までの歴史の中でこういう偉業を成し遂げてきた人は沢山います。
それをもっと取り上げるべきだと思うし、その心をちゃんと持たないといけないなあと思いました。
なお、史実をとりまとめた原作「無私の日本人」が出版された時、出資者の子孫はつつしみの掟を守り、
誰一人「うちの先祖のことです」と名乗り出ることはなかったそうです。
多分花鳥風月→金田一、コナン的読み物ページ→映画の感想レビュー→殿、利息でござる!