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嘆きの貴婦人
オカルト現象の多い国として有名な英国。
それが本当かどうかはどうでもいいことです。
私が興味があるのは「それ」が「どうやって」起きたか、ということなのですから。
イギリスに住んでいた頃の話ですから、随分前のことになります。
地下鉄から地上に上がり、通りを歩いていた時不意の雨に見舞われました。
イギリスは大体が灰色がかった空模様なのですが、降雨の気配がなかったため傘を持ち歩いていません
でした。濡れて帰るとあの厳格な父親に叱られることは分かっていましたから、近くの家の軒先を借りて
雨宿りしていました。
雨は一向に止む気配がなく、私は途方にくれるばかりでした。用があってやってきたにも関わらず、それ
どころではない状況でしたしね。
急いで帰宅する必要はなかったのですが、日が落ちたロンドンほど物騒な場所もなくてね。まあしばらく
止まなければタクシーでも呼び止めようと思っていました。
どれくらいそうしていたか、傘をさした婦人がこちらに向かってやってきました。そして、「私の家に何か
ご用?」と聞くのです。
つまり家主が戻ってきたわけで、そうなると軒先にいつまでもいるわけにいきません。私は「雨に引き
止められたので」と詫びの言葉を口にし、立ち去ろうとしました。
ところがその婦人は私を呼びとめ、雨が止むまでと招き入れてくれたのです。丁度おいしい紅茶を
買ってきたところだから、と。
その家は掃除が行き届いている割にはシンと静まり返り、雨音が低く響き渡っていました。
「夫は早くに亡くなり、一人息子は家を出て大学の寮に入っているのよ。それはもう、自慢の息子なんだから」
ティーを用意しながら婦人はそんなことを教えてくれました。
小一時間ほども世間話をしたでしょうか。
私達は長年の友人のような感情をお互い抱くようになっていました。いえ、少なくとも私は…母親とは
このようなものと思っていたのかもしれません。そう、あの近宮玲子のように。
気がつけば雨はすっかり上がっていました。
私が父子家庭であることを知った婦人はお土産にとその紅茶を少し、それにスコーンなどをもたせて
くれました。
また訪問する約束をして私はその家を後にしました。
父は何も言いませんでした。次の日、学校へ行く前に黙って私に紙幣を数枚差し出したことから、お礼に
伺えと考えていることは分かりましたけどね。
もちろん学校から帰るその足で向かいましたよ。
しかし。
その家は昨日見た時よりは更に古ぼけた様子に見えました。
正確に言うならば、とても人が住める状態には見えなかったということです。
ちょうど通りかかった老婆を呼びとめ、私はこの家の婦人のことを尋ねました。
「その家はもう誰も住んでいないよ」
そう言って立ち去ろうとする老婆を更に引き止めて私は事情を問いただしました。
その結果わかったことは、一人息子は大学の寮に入ってすぐそこで起きた火災に巻き込まれて亡くなった
こと。息子の希望を聞き入れて送り出してやった婦人は、その知らせに半狂乱となり、土砂降りの雨の日に
テムズ川へ身を投げてしまったこと。それ以来この家は無人であること。それはもう3年以上の出来事だと
いうこと…。
そこまで聞いて私はやっと思い出しました。
ここがかの有名な「クレオパトラの針」に近い地であることを。
ここは観光地として有名ですが、地元では「自殺の名所」として有名でもある場所なのです。その川岸で
目撃される幽霊がその婦人かは知りません。が、その家はあの時のような土砂降りになると時折、幾つかの
部屋に明かりがともるのだそうです。
帰らぬ息子を待っているのか、雨宿りする人間を招き入れるのか…。
ああそうそう、もう一つ忘れていました。その老婆は私がこの家へ招き入れられたことにひどく驚いて
いました。
…あの婦人の亡霊(と老婆は言っていますが)、彼女に招き入れられて生きていたのは私ただ一人なのだ
そうですよ。
土砂降りの雨が降った翌日、大抵この家の前でショック死した人間が見つかるのだとか。
彼女が何故私だけを助けたのか、そんなことは知ろうとは思いませんけどね。
この家がまだあるかは知りませんが、ロンドンを訪ねる機会があれば地下鉄のエンバンクメント駅から
地上に出てみて下さい。
クレオパトラの針がテムズ川北岸に見えるはずです。
ただし、君自身がこれまでの自殺者数を塗り替えることになっても知りませんけどね。