多分花鳥風月→金田一、コナン的読み物ページ→小説置き場→金田一少年の事件簿 小説「ミセス・バレンタイン」後編
「回りくどく言うのは私の好みではありませんから単刀直入に言いますが、今回の火事はあなたが
されたことですね。それによって旦那さんの殺害をもくろんだ。なるほど、ここにいれば鉄壁の
アリバイですからね、うまく考えましたね」
明智は立ち上がり、香織へ右側面を向けるようにして壁にもたれかかった。
「細工をして時間が来れば火があがるようにしてあったんでしょう。消防署をあまり軽く見ない
ことですよ。彼らは火のプロです。燃えてなくなってしまう細工でもその燃えカスから推理を
するんですよ」
火の元の特定は午前中に終わっていた。
それは、昨夜鈴木から火事の連絡を受けた彼が、消防局へ時限発火装置の可能性に
ついて特に捜査を依頼しておいたからに他ならない。ある確信を持って。
「……ま、これだけではあなたを殺人犯とすることは出来ませんけどね、もちろん。その細工
からあなたの指紋をとることは出来ませんし、必ずその時刻旦那さんが在宅しているとは
限らなかったわけですから、このままなら単なる放火です」
「それならどうして……」
身を乗り出すようにして香織が言った。先ほどまでの無表情ではなく、焦りのような表情が
浮かんでいるのを明智はチラリと見た。
「きみ、ちょっとここから読み上げて下さい」
記録をとっていた警察官に、明智はその手元の調書のある部分を示してみせた。
「はい」
警察官は頷いて、その部分を読み始めた。
「夫との離婚を考えていた。子供のことを考えるとできなかった。しかし夫との間は冷え切って
いたので、夫が死んでも未練はない……」
「結構です。もっとも、これは正式な調書ではなく記録ですから、後で直すのですが……」
明智は椅子に座りなおすと、香織の顔を覗き込むようにした。顔はいつもの微笑みを絶やしては
いなかったが、その目は真実を見抜こうとするかのように鋭く光っていた。
「私は旦那さんが亡くなったとは一言も言っていません。なのにあなたは旦那さんが死んだものと
思って話をしておられる。それについてどうしてあんなことをおっしゃったのか、お伺いしたいのですが」
何を聞かれるかと警戒していたのへ当てが外れたのか、それとも予想の範囲内だったのか、
香織は唇の端を軽く持ち上げた。
「え? さっき刑事さんがおっしゃったんですよ。焼け跡から焼死体が見つかったと。不審者が
入り込むこともあるからその線でも調べているということでしたけど、まあ確かに不審者の
可能性もあるかも知れませんが、状況的に夫だと思います。それとも何ですか、夫に対して
死んでも構わないと言ったら殺人になるんですか?」
「……」
明智は何も言わない。
警察官の記録をとる音だけが響いた。
無言でいる明智に、香織はイライラしたような視線を向けた。
「あの……!」
「私は大人の死体だとは一言も言ってないんですけどね」
ふう、と息をつくと明智は、
「あなたが勝手に、これまでにも不審者が紛れ込んでいたということと、焼け跡から発見された
焼死体の身元を確認中、という事実を結び付けて考えただけです。私は一言も、死体が大人
だったとは言っていません。――ああ失礼、身元は判明しているわけですから遺体、ですね。
つまりあなたは、死ぬのなら旦那さんであると、何故か確信していたということになりますよね」
香織が真っ青になり、唇がワナワナと震えだした。それは全身にも広まったのか、すわりの
悪い椅子の足がガタガタと音を立てた。
「美奈代が……! そんな……!」
その時、廊下をかけてくる足音がして、男が顔を出した。明智が来るまで香織の取調べを
していた刑事である。
明智に耳打ちをし、メモを手渡した。
彼はまるでそれを知っていたかのように頷き、見上げる香織のところへ戻ってきた。
「たったいま、旦那さんと連絡がつきました。彼は彼で不倫相手を作っており、昨夜はふと気が
向いて相手の家にいたようですね。一応、こちらへ来るようお願いしてあります」
空気を振るわせるかのように悲鳴を上げて、香織が机へ突っ伏した。号泣するその肩へ、
明智は言葉をかけることもなく、ただ静かに見つめていた。
「結局、明智さんは最初からおかしいと思われていたんですか?」
優雅な手つきでジノリのティーカップを傾けていた明智は、美雪の言葉に頷いてみせた。
「私も、言われてみると遺体のことについてはおかしいなぁと思いますけど、それより先は
ちょっと……」
お茶請けにと持参したクッキーをほおばりながら美雪は首をかしげた。
「うーん……。自宅から電車で数駅離れた住宅街で犯行を働いたのは不自然、とか?」
カメラ片手にこちらも首をかしげながら佐木が言う。
明智は目を伏せてフフッと笑った。
「それは後から分かったことです。自宅の住所が判明してからね。少なくとも、彼女を取り
押さえた時点で私は身元を知らなかったわけですから」
「教えてください明智さん。どこがおかしいと思ったんですか?」
降参というように、美雪は両手を合わせた。
薄いカーテンが引かれた窓の向こうに、白いものが見える。この街が白一色になるのも
そう時間がかからないかもしれない。ふとそう思った。
香織も、何もかもを燃やし尽くしてやり直したかったのだろうか。
「コートですよ」
「コート?」
「コートって……この時期着るコートですよね?」
きょとんと佐木が、入り口に視線を投げかけた。そこには、自分たちが入ってきたときに
脱いだコートがかけてある。
中身が半分ほどに減ったカップをソーサーごとテーブルに置き、明智は自らの服をちょっと
摘み上げてみせた。
「窃盗に及ぶとして、コートほど身動きしにくいものはありません。普通は脱ぎます。しかも
彼女が着ていたのは膝丈まであるロングコートでした。ですから、彼女は窃盗が目的ではなく、
騒ぎになるもしくは逮捕されることが目的だったのでは、と思ったわけですよ。一応、極度の
寒がりな方で脱げないだけかと、尋ねはしましたが」
「あ……!」
合点がいったというように美雪が声をあげた。
「もちろんその直前に、私が彼女を目撃した後の彼女の行動も窃盗にしてはつじつまが
あいませんけどね。あの時点で無理に盗みに入れば、顔を目撃した私がいるわけですし、
家人と鉢合わせしてすぐに取り押さえられていますから」
「確かに、僕がもし盗みに入るとしたら誰かに目撃されてないかっていうのはものすごく
確認すると思いますし、直前に見られたらそこを立ち去りますね。それ以前に在宅か
無人かくらい確認するし」
「なるほど……」
「ですから、この行動には何か別の目的があるのではないかとずっと考えていました。
夕方無理に面会させてもらったのは、家族と連絡が取れていないということを知り、それを
伝えればどういう反応を示すか興味があったからなんです」
「反応?」
「ええ」
ポットから美雪の空になったカップへ紅茶を注いでやりながら、明智は短く答えた。
湯気が立ち上るそれを美雪は一口二口飲んだ。
「普通、家族と連絡が取れないとなると心配するか、家族には知らせないで欲しい、
というものです。ところがそんな当たり前の反応がありませんでした。ということは、連絡が
取れないことを知っているのだろうか、と思ったんですよ。何らかのアクシデントによってね」
「火事になっていることを知っていれば、連絡が取れなくてもおかしいと思いませんね」
佐木が付け足す。
「それが……親が恋しくなって祖父母の目を抜け出して自宅に戻ってきた子供が代わりに
亡くなって、旦那さんはたまたま難を逃れて……可哀想な話ですね」
明智は返事をしなかった。
立ち上がり、窓へ歩み寄るとカーテンを少しあけ、外を眺めた。
雪はそれほど降っているわけではないが、眼下に見える屋根は少しずつ白くなり
始めていた。
その静寂を破るかのように、突然チャイムが何度か鳴り響いた。どうやら何者かが
一階のオートロックに阻まれて激しく連打しているようであった。
明智は顔をしかめてドア近くに設置されたドアホンへ近づいた。
「こらぁ! 美雪がそこにいんだろ!」
受話器から響いた声は美雪や佐木にも十分聞こえた。
「なんでいつも俺ばっかりのけ者なんだよ!」
わざとらしく大きなため息をついて明智は受話器を元に戻し、呼び出し音のスイッチを
切った。
そうして両手を広げてみせるとソファにすわり、ティーカップを手にとった。
「やりきれない事件の余韻くらいは、静かに締めくくりたいものです」
雪は静かに降り続いていた。
<了>
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