多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→空き缶


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この小説は不快感を生じさせる表現を含んでいます。
ご注意下さい。

 軽い衝撃を感じ、山田はハッと目を見開いた。
 信号が青になって車をスタートさせたその一瞬、意識を失っていたようだ。連日のような深夜に及ぶ残業が響いているのだろう。
 車の後ろで空き缶の転がる音がした。先ほどの衝撃はそれらしい。後でバンパーを確認するくらいしておいた方がいいだろう。
 畜生、誰だ、道路に空き缶を投げていく奴は。
 居眠りをしていなければ回避できたかも知れない、という考えはない。
 発進が遅れたからか、後ろのトラックがクラクションを鳴らしながら煽ってくる。山田は舌打ちをしてアクセルを踏み込み、トラックが引き離されていくのをミラーで確認してから顧客先に続くわき道へと車を入れた。
 目の前に巨大なマンションの群れが現れる。
 このマンションは二つの山を切り開いて作られたものだった。十階建てのマンションが贅沢に三棟並んでおり、購入者はいずれも上流に属する家庭ばかり。だからこそ、山田が売り込もうとしている健康器具の、格好なターゲットになるのだが。

 車を外来用と書いてあった駐車場に入れ、山田は近くに喫茶店を見つけて入った。
 何も、ついたからといってすぐクソ真面目に営業をする必要もない。何せ住人の数が多いのだ。ここで昼食をとり、軽く仮眠をとって、その後回ったとしても十分だろう。携帯はわざと車の中に忘れてきたから上司に呼び出されることもない。
 すぐに運ばれてきたカレーライスを食べつつ、入り口から取ってきた雑誌を読む。
 同じように営業の人間だろうか、横目で見回すとあちらこちらで同じようなくたびれた顔をしたスーツ姿の男たちがのんびり昼食をとっている。今入ってきたばかりの二人連れはどこかのデパートの人間だろうか。胸につけられているプレートのマークをどこかの店で見た記憶があった。
 ふと、その片方と目があい、山田は気まずそうに雑誌を閉じて壁に取り付けられているテレビを見た。
 あまり名前も知らない芸能人が数人、体を動かしてドタバタと何かのクイズに答えている。
 画面の上に何か説明らしきものが出ていた。が、テレビ画面の時計表示と重なってよく見えない。まあ取り立てて見るようなものでもないだろう。
 皿の上に何もなくなると、山田は腕組みをして目を閉じた。満腹感と共に快適な眠気が襲ってきた。

「お客様、困ります」
 肩をゆすられて山田は重いまぶたをあげた。反射的に時計を見ると、一時間経っていた。既に自分以外は、マンションの住人だろうか、数組の女性客にと客層が入れ替わっている。
「ああ、すいません」
 山田は伝票をつかんで立ち上がった。カウンターの隣にあるレジで支払いを済ませて出入り口に向かう。ガラス張りのドアの向こうに、少しくたびれたスーツを来た男二人が見えた。営業周りの一休憩といったところか。よっぽど売れなかったのか、しかめ面をしている。
「あ、いけね」
 ふと思い出して山田は出口隣の洗面所と書かれたドアを開けて入った。
 入れ違いにチリン、と、客の来訪を示すベルが鳴った。「いらっしゃいませぇー!」と景気のいい声が飛んでくる。
 鏡の前の自分を念入りにチェックした。これから客に会うというのに、食べ物のカスをつけたままでは格好が悪い。
 何も変なところはないことを確認し、外に出た。どこから回ろうか……と考えて、奥から回った方が駐車場にも近いし楽だな、と考えて山田は一番奥のマンション目指して歩き出した。

 何か変だ、というのは五軒目に断られた時からうすうす感じていた。
 チャイムを鳴らして相手がインターホンに出てくる。そこで「運動不足を解消するのに最適な、省スペースで利用できる器具はいかがでしょう?」と尋ねる。すると「どちらのメーカーですの?」と聞いてくる。ここまではいい。
そこで山田が「ヘイセイ商社と申します。新発売の体脂肪燃焼機器などいかがでしょう? あ、申し遅れました、私ヘイセイ商社の山田と申します」と言った途端「いりません!」と会話を切られてしまうのだ。
 もちろんそういう断られ方をしたことは今までにもある。がしかし、インターホンの向こうで息を呑むような気配や「ヒィッ」という小さな悲鳴を山田は聞き逃さなかった。
 結局三十軒回っても、全てが同じような反応だった。普段ならこれだけ回れば十台は売れていてもおかしくない。
それがすべて異常としか思えない態度で断られている。
 山田は首をひねりつつ、隣の棟に移ることにした。
――そうだ、ここは変わり者が住んでいるのかもしれない。
 そんな期待を抱きながら。
 西側のエレベーターから降りようとすると、今しがたこの階から離れたところだった。大方この階の住人が乗ったか、下で誰かがボタンを押したのだろう。待っていても、ここまですんなり上がってくるとは思えないし、時間もかかる。
 山田は東側へと歩いていった。エレベーターはなく階段だが、下りるのならそれほどきつくもない。十階といえども途中で休憩しなければならないようなことはないだろう。
 それでも、中年独特の前へ出た腹を抱えて降りるのはなかなか骨が折れた。やっと一階のロビーが見えて汗をぬぐい、ひらけたロビーの反対側に目をやると、エレベーターは十階で止まっていた。
 畜生、あのまま待ってれば良かったのか。
 とことんついてない。
 足音も荒く、山田は階段から近かった裏口を通って外に出た。あと二棟回ろうと思ったが面倒くさくなってやめた。
 来る時に入った喫茶店を目指す。
 棟の間を歩いて行くと、行かなかった一棟目と二棟目の出入り口にパトカーが止まっているのが目に入った。何か事件でもあったのだろうか、数台ずつ、パトランプを赤々と回しながら止まっている。喫茶店に入ろうとしてふと振り返ったら、三棟目の前にもパトカーが止まっているのが見えた。
――あのまま表から出ていたら、なんだか俺は投降して出てくるテロリストみたいだな。
 そんな考えが浮かび、山田は苦笑しながらドアを押した。
「いらっしゃいま――」
 にこやかに、先ほど自分を起こした店員が挨拶をしかけ、その笑顔のまま固まった。手からコップの載ったトレイが落ち、床にぶつかって派手な音を立てる。
 数人いた客がその音に、こちらを見、同じように固まった後音を立てながら椅子から立ち上がった。
「人殺し!」
 そんな声がどこからかあがった。
 山田はものすごい勢いで振り返った。マンションで殺人事件が起きて、その犯人が血の滴る包丁片手に、背後に立っている、という図を想像したのである。
 だが、後ろにはガラス張りのドアがあるだけだった。
「な、何ですか?」
 しどろもどろになりながら山田はともかく座ろうと、近くのテーブルに歩み寄った。
「キャー!」
「来ないで!」
 店員と客が悲鳴を上げながら店の奥に逃げる。
 わけがわからず山田は椅子に座った。
直後、けたたましいベルの音がしてドアが開いた。勢い良く開けられたためか、壁にぶつかって跳ね返る。それを手で押さえて入ってきたのは、昼食を終えて出ようとした山田と入れ違いになったくたびれた風のサラリーマン二人だった。
「動くな!」
 片方の、年配らしき男がそう叫んだかと思うと、もう一人が山田に飛び掛ってきた。そのまま床に引き倒し、押さえ込む。
「あんた、ヘイセイ商社の山田だな?」
「そ、そうですが……何なんですかあんた達は」
 倒された時に膝を打ったらしく、ジンジンと痛みが湧き上がってきた。
 そばにしゃがみこんで声をかけた年配の男はちょっと目を丸くして
「お前さん、自分が何やったかも分かってないのか」
「そりゃ……セールスの仕方が強引だったかなとは思いますが、別に怪しい品を売ってるわけじゃありませんよ!」
 山田は急いでそう言った。
 年配の男は山田を抑えている眼鏡をかけた男と目を合わせると、息を吐き出して立ち上がった。
 眼鏡の男に腕を引っ張られるようにして立ち上がった山田は、軽く服の汚れをはたいた。
「とにかく来てもらおうか」
 そう言うと男二人は、スーツの内ポケットから黒茶色の手帳を出した。
 できればそういうシーンには一生めぐり合いたくないと、国民の誰もが思っている職業の人間であるらしかった。
「け、警察のお世話になるようなことはしてませんよ」
 山田はひりついた喉を押さえながらやっとそう言った。
「あんた、ニュースも見てないのか」
 年配の男がそう言う。山田は黙って首を振った。
 男二人は左右から山田の腕をつかみ、外に連れ出した。
 
 外もパトカーに囲まれていた。マンションの方を見ると、自分が行った三棟目以外のパトカーはいなくなっている。
 山田が真っ先に考えたのは、悪徳企業としての摘発の可能性だった。しかし、それで逮捕されかかっているのではないようだ。
 とすれば他に心当たりはない。一週間ほど前どうしても接待を断れなくて、結果的に飲酒運転で帰宅したことはあったが事故も起こさなかった。
 いやいや待てよ。あのマンション住人の反応から考えれば、殺人犯が逃げ込んでおり、警戒令が出ていたのかもしれない。だから自分を殺人犯かと思ってドアを開けなかった可能性もある。そして自分はどこかでその殺人犯とすれ違ったために警察が保護を……いや、そうだとしたら喫茶店でのあの反応は何だ。
 騒ぎの中ついていたテレビのニュースで何か聞いたような気もするが思い出せない。
 外来駐車場までつれてこられると、そこは青いシートで囲まれていた。周囲には警察官に押されてもみあうマスコミがいた。こちらに気がついて一斉にカメラを向けてくる。両脇を固めていた刑事がそれを乱暴にさえぎって進む。シートの中に入るよう促され、山田はそれをくぐって中に入った。
 自分の車の周囲に警官が集り、覗き込むようにしている。
「おーい、レッカー入るから注意しろ」
 シートの端を持っていた制服警察官が叫んだ。
「ちょ、ちょっと! まさか違法駐車っていうんじゃないでしょうね? 違反するほど長時間停めましたか?」
 山田は振り返り、年配の男にくってかかった。
 男は無言でレッカー車が入ってくるのを見、クレーンで山田の車が持ち上げられるのを確認してから、山田を手招きした。
 車を見て警察官の間からどよめきが上がった。
「何なんだよまったく……」
 男に導かれるままに山田はクレーンの側に近づき、車を見た。
 そして息を呑んだ。
 底部に、全身血と泥でボロボロになった少年が張り付いていた。
 その、半ば飛び出しかけた目が恨めしそうに山田を睨んでいた。

「俺もね、ぶつかるところは見てなかったんだけどさ、なんていうの、ドンッて音がして見ると、丁度小学生だか幼稚園の子だか、とにかく子供があの車の下に引き込まれていくのが見えたんだよ。飲んでいたらしい空き缶の音がカラカラカラカラって、やけに耳に残ってら。さあねぇ、居眠りでもしてたか、全然止まらないわけよ。そのまま引きずって、後には血の筋がこう残ってねぇ……。クラクション鳴らして追いかけたんだけど逃げられちゃってね。まあナンバーはしっかり見てたし、会社名が入ってたからすぐ無線で連絡したんだけどもよ……。えっ?あのにーちゃん知らなかったの? 嘘だろー。ニュース速報も出てたし、俺昼飯食べながら見たよ。顔写真と名前も出て、逃走してる可能性があるから注意ってやってたのになぁ。堂々とセールスしてたってのはある意味すげぇな」

<了>

(同人誌「黒」収録作品)


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