多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→離婚届


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この小説は不快感を生じさせる表現を含んでいます。
ご注意下さい。

 結婚一年目にして、殺したいほど夫を憎んでいるというのはどうなのだろう。
 慶子はここ最近、そればかり考えていた。
 夫、青木秀一は見合いの席にいる時ですら、テーブルの下でコソコソと携帯電話をいじくっているような人間だった。二人で取り残されたら速攻どこかの女に電話して「今見合いの最中ー。めちゃくちゃつまんねー」としゃべっていた。
 もちろん断るはずだったのに相手の親が強引で、半ば押し切られるようにして結婚したようなものだ。
 当然だろう。あんな浮気性の男、普通の神経を持っていたら絶対付き合ってられない。
 しかし離婚してくれと言ったら顔の形が変わるほど殴られた。俺に恥をかかせようというのか、世間体が悪いだろう、お前は一生飼い殺しだ、と、殴る相手の口から飛び出してくるのは自己弁護の言葉ばかりだった。
 あちらの親も親で、「今更困るわ。あなた離婚の慰謝料狙いで結婚したんじゃないでしょうね。あのマンションだって、離婚してもあなたのものにはならないんですからね」と慶子の非ばかりをあげつらった。
 慶子の両親はかなり前に事故で他界しており、叔父夫婦の世話になっていたからとても相談などできなかった。
 友人にも相談してみたが、「とりあえず別居したら?」とか「子供が生まれたら変わるかも知れないし」とあまり役に立ちそうもない返事ばかり。
 慶子は一人でこの問題に向き合わねばならなかった。

 秀一が日付の変わる前に帰ってきたことなどない。
 そして慶子は浮気などされては恥さらしになる、ということから結婚を機に仕事を退職させられたので、秀一が帰宅するまで暇を持て余す。
 先に寝ていると不機嫌になり、いろいろなものを壊される。慶子が大切にしていた祖母の形見の人形も、気に入って使っていたマグカップも、寿退社祝いでもらったオルゴールも、みんな砕けた。
 夜中まで起きていなければならないといっても、日中は家で一人きりだから寝ていても問題はなかった。そのうち遅くまで起きていることは慣れた。
 ただ、あてもなくインターネットであちらこちらと、適当な語句で検索してはぼんやりとホームページを眺めることが多くなった。あくまでも眺めるだけ。生活費すら満足に渡さない秀一であったから、慶子が自由になるお金など殆どないと言ってよかった。
 だから楽しそうなサイトを見つけてはブックマークをしてずっと眺めていたり、離婚トラブルのサイトを覗いては自分の立場に置き換えて想像してみるのだった。

 ある時慶子は、家事をしていて見逃したニュースに興味を持った。どこかで殺人事件が起きたという、そう珍しくもないものだったのだが、見逃したのが何かスッキリせず、そのためインターネットで検索してみた。
 知りたい情報はすぐに見つかった。ずらずらと出てくる検索結果のアドレスを一つ一つクリックして読むと、大体の内容はつかめた。
 そしてそれらの画面を閉じようとしてふと、あるサイトの一文に目を留めた。
「ここに書イてある情報ヲ真似しナいで下さイ。勇気ノある方だけクリック」
 奇妙な一文に慶子は一瞬ためらったがそこをクリックしてみた。
 新しく画面が開いた。
 黒い背景にぽつんと、白い点が配置されていた。
 何の説明もない。
 白い点にカーソルをあててみると、「あなたハこのぢょうほうヲ悪用しないトちかえますか? 誓うナら画面すくろおおおおる」と説明が出てきた。
 気がつくと、スクロールバーが出現していた。
 慶子はためらわず画面をスクロールした。すると、Y・Nという文字が現れた。一瞬考え込んでそれが、イエスかノーか聞いているのだと理解し、Yをクリックした。
 今度は赤い画面にたどり着いた。
 そしてきちんとした文章があった。
「こちらに書いてある情報は、防犯のために提供しているものです。実行に移されますと違法行為で逮捕されることがありますので、絶対に真似しないようにして下さい」
 彼女は初めて接する世界に、不思議な高揚感を覚えながら何度も何度も画面を見た。
――今の私に何か役に立つ情報があるかも知れない。
 そう言い訳を作って入り口をクリックした。
 コンテンツが現れる。
・借金をチャラにする方法
・カジノで稼ぐ方法
・買い物をしてお金を払わない方法
・ブラックでもカードを作る方法
・憎い上司に復讐する方法……
 慶子にとってそれはまさに驚くべき情報の数々だった。インターネットには様々な情報があり、こういった犯罪まがいのものもあるとは聞いていたが、実際にそれに出会うとは思ってもみなかったのだ。
 画面いっぱいに並んだ文字の数々を少しずつ追っていき、一つのところで目が留まった。
・死体を残さない殺人方法
 カーソルが文字の上を行ったり着たりした。
 別に見ても行動に移すわけじゃない。そう、単に知識として興味があるだけだ。
 マウスの左ボタンを人差し指が押そうとした時、玄関でドアノブの回る音がして、慶子はハッと我にかえった。
 急いで画面を閉じ、玄関へ走った。
 酔っ払った秀一がドアチェーンのせいで開かないドアを何度も何度も引っ張っていた。
「待って、チェーンを外すから」
 震える指先で何度かすべりながらそれを外し、慶子は「お帰りなさい」とドアを開けた。
「何分待たせんだよ、バカが」
 左頬がカッと熱くなった。殴られたのだ、と気づいた時には秀一は慶子を押しのけ、靴を脱ぎ捨てて上がりこむところだった。
 通り過ぎる香水の匂い。
「お前、居間で寝ろよ」
 水商売風の派手な女が秀一に腰を抱かれて寝室へ消えていった。これもまたいつもの光景だ。
 慶子は左頬を押さえてその寝室のドアを睨んでいた。

 子供の頃から、おとなしくて優しい性格だと周囲から言われ続けてきた。だが、大人になって社会に出れば汚い部分も目にするし、奇麗事ばかりでは生きていけない。
 パソコンを立ち上げながら慶子は、子供の頃のことを思い出していた。
 あの頃は、大人になったら好きな料理の腕を生かしてお料理教室を開いて、優しい人と結婚するのだと、本気で信じていた。
 それが今ではどうだろう。ただ単に「とりあえず結婚させて表向きだけでも体裁を整えたい」という理由だけで無理やり結婚させられ、夫婦としての生活は破綻している。まだまだあと四十年はこの生活が続くことになる。自分が発狂するのが先か、秀一の寿命が先かと聞かれたら、後者と答えられる自信はなかった。
 昨日どんな言葉で検索をかけていたか思い出そうとしながら慶子はインターネットに接続した。
 確か、ニュースの内容が知りたくて、それに関わる言葉で検索していた。それで見つけたサイトの中のどれかにあの場所へのリンクがあったはずだ……。
 検索した言葉は案外簡単に思い出せたけれども、クリックしたアドレスは思っていたよりも多かったらしく、その上見ていたサイトをよく覚えていなかったから、見つけ出すのにかなり苦労した。それでも一時間ほど格闘して、ようやく例の場所にたどり着くことが出来た。
 昨日のように画面いっぱいに並んだ文字を見て、不思議な安心感を覚える。
・死体を残さない殺人方法
 慶子は今度こそ、迷うことなくそれをクリックした。

殺人方法その一
殺人方法その二
殺人方法その三
殺人方法その四……
 慶子は驚いた。クリックしてさらに中が分かれているとは思わなかったからだ。それだけ、気づかれない方法はいくらでもあるということなのか。
 それをむさぼるように順に目を通し、慶子はいくつ目かの項目を何度も何度も読んだ。そして財布を手にとると、鏡の前で外見をチェックしてから外に出て行った。

 離婚届がテーブルに広げてある。
 役所でもらってきたものだ。
 そして傍らには文房具店で買い求めた三文判。この近くでは顔がばれてしまっているから、わざわざ電車を乗りついで隣の県に行き購入してきた。
 夫の欄へ慎重に、筆跡を変えて彼の名前を書いた。そして買ってきたばかりの判に朱肉を付け、深呼吸してからゆっくりと押す。
 青木、という赤い文字が紙にくっきりと刻まれた。
 最初は家にある印鑑でいいだろうと思っていたのだが、離婚届を出すには夫婦がそれぞれ押すものは違っている必要がある、と件のサイトには書いてあった。それがまた役に立った。
 これでいい。
 慶子はそれを畳み、夫に見つからないよう食器棚の引き出しにしまった。

 その日空はよく晴れていた。あまり整備されていない山道を、一台の車が登っていく。
「本当にこんなところに家があんのかよ……」
 ハンドルを握りながら秀一がつぶやく。
「先生は隠居された身だから、人里はなれた場所がいいってわざわざ見つけられたんですって。まあ交通が不便なのは目をつぶるらしいけど」
 窓の外をぼんやりと眺めながら慶子はそう言った。興味がないように見せているが、内心気分屋な夫がいつ「帰る」と言い出すか気が気ではなかった。
 もう少し。もう少しで目的の場所だ。
 助手席からはがけ下の森林がよく見えた。広がる森。その遠くに海が見えている。もう少し走れば、眼下には海が広がるはずだった。
 結婚の時仲人をした某代議士が、遠く離れた田舎に新居を構えた。ついては是非遊びに来て欲しいと言っている。今日も昼間奥様から電話がかかってきて誘われたので、今度の週末に行くと返事をしておきました。
 パソコンで作製したハガキを見せながら、慶子は夫にそう切り出した。
 当然勝手に週末の予定を決めてしまったことは殴られはしたが、それでも恩のある人間の誘いとあっては断るわけにもいかないと、夫は簡単に騙されてくれた。
 この場所は自殺の名所として挙げられていたところをインターネットから見つけてきたものだった。
――飛び込んだら最後、死体の上がらない場所として。
「ねぇあなた、ちょっと休憩しない?」
 慶子はそう声をかけた。眼下に海が広がっていた。
 砂埃をあげて車は停止し、二人は車から降り立った。
 さわやかな風が吹きぬけていく。
「まだつかねーのかよ……」
 携帯を取り出して舌打ちをすると秀一は崖の方に歩いていった。チャックを下ろし、放尿を始めた。
「おい、お前も見てみろよ。すんげー波だぜ。岩にぶつかって跳ね上がってんの」
 面白そうな表情で顔だけこちらを向いた。
 それが、秀一の最後となった。
 ビックリしたような顔で落ちていく秀一を、慶子は表情一つ変えずに見ていた。

 家に帰りついたのはもう日も暮れた時刻だった。
 よそ行きの衣装は駅で着替え、その服もそのまま駅のゴミ箱に捨ててきた。いつも通りの粗末な服に着替え、いかにも買い物帰りであるかのようにして彼女はドアを開けた。
 鍵をかけ、ドアチェーンをはめる。
 玄関口にバッグを置き、靴を夫がそうしていたようにいささか乱暴に脱ぎ捨てた。
 スキップで居間へ向かい、テレビをつけた。
 いつも通り、ニュースが報道されていく。
 慶子はキッチンに行き、食器棚から離婚届を取り出し、テーブルの上に広げた。
 丁寧に丁寧にしわをのばした。
 そしてソファに転がると、声を上げて笑った。


 二日経過して、秀一の勤める会社から欠勤を尋ねる電話がかかってきた。
 慶子は落ち着いて、何度も頭の中で繰り返していたセリフを言った。
「あの人、週末に『俺は新しい女と暮らすから』と出て行ったきり、連絡もよこさないんですよ。ですので、ちょっとわかりかねます。携帯にもかけてみたのですが、まったくつながらないので」
 相手は困惑したように黙った後、しばらく時間を置いてから「連絡がついたら知らせて欲しい」と言って電話を切った。

 それからさらに一週間が経過した。
 いつものように一人だけの朝食をとり、パソコンでインターネットを閲覧していると、電話がかかってきた。
「はい、青木でございます」
「奥さんですか。こちらN県警の者ですが」
「――警察の方ですか」
 思わず息を飲み込んだ。その音は聞こえただろうか。
「おたくの旦那さん、おられますか?」
「いえ……ちょっと前に出ていったきり、戻ってないんですけども……あの、何か?」
「実はね、うちの管轄に刈谷峠ってところがあるんですけども、その山の中で旦那さんの車が発見されましてね。確認して欲しいのですが」
「……」
 慶子は受話器を手で塞ぎ、深呼吸した。これももちろん計画のうち。あとは警察相手にどれだけうまくやれるかだ。
「ええと、どうしたら良いでしょうか?」
「そうですねぇ、ちょっとご足労願えればと思うのですが。電話ですとなかなか確認というわけにもいきませんし」
「わかりました。では今から支度して向かいますので、午後にはいけるかと思うんですけども」
「おお、今日来ていただけますか。すみませんね。私、N県警鑑識課の渡と言います。そうですな、A駅はわかりますか。そこにいらしていただければパトカーでお迎えにあがりますので」
 慶子は了承して電話を切った。
 ここを乗り切ればもう自由は目の前にある。
 
 犯罪者が失敗するのは、計画をうまくやり遂げたところからくる油断だ。例えば、銀行強盗をして大金を手に入れると豪遊したくなる。殺人を犯してそれが発覚せずにいると人に、他人から聞いた話として自慢したくなる。
 そうやって自ら暴露してしまうことだけは避ける必要がある。
 だから慶子は、あの後も質素な生活を続け、友人からの誘いも「夫が帰ってきたら叱られるから」と遠ざけていた。制限された生活ではあったが、秀一がいた頃と比べれば天国に他ならなかった。

 渡は慶子の顔を見るとまず先に、突然の呼び出しの非礼を詫びた。そして来客用のソファに慶子を座らせ、コーヒーの出前を頼んだ。
「これなんですがね……」
 テーブルに広げられた写真には、見覚えのある車が角度を変えて写っていた。生い茂った木々に半ば埋もれるような形になっている。
「夫の車です」
 ナンバープレートを確認して慶子は言った。
「そうですか。なるほど……」
 渡はうなずいて部下を呼び、写真を渡して何かささやいた。
「あのう、夫はいたんですか?」
「いや、それがですね、見つかっとらんのですよ。それに何故あんなところに車があったのかもハッキリしない。しかも木にぶつかって自損事故を起こしているみたいでね。それで事情をお聞かせ願おうと思ったわけなんですよ」
 慶子は考えているふりをしながらもう一度計画をシミュレーションした。
 秀一を突き落とした後、車を運転して森の中に突っ込ませた。わざわざ追突の瞬間まで乗っていなくとも、一度勢いがついて走り出した車は止まらない。ある程度加速がついたところでドアを開けて飛び降りれば、後は勝手に車が突っ込んで木にぶつかった。
 それをすばやく記憶の片隅に追いやって慎重に口を開いた。
「先週の、週末のことでした。夫が突然、『一緒に暮らしたい女がいるから俺は出て行く。お前は勝手にやれ』と、離婚届を置いて出ていったんです」
 ほう、と渡の表情が動いた。
「私、ずっと夫から暴力を受けていて……。相談する宛もなく、一生このままだとあきらめていましたから、その言葉が天の恵みのように聞こえました。でもいつ夫が帰ってくるかと思うと離婚届を出すのもためらわれて……。あの、相手が希望しているのに離婚届を出さないのって何かの罪になるんでしょうか」
「落ち着いて下さい、奥さん」
 真剣な表情で渡は慶子をなだめると、
「残念ながらそれは民事の領域になりますので、警察としてはお答えしかねます。ただまあ、離婚届を出さないで罪になるというのは聞きませんなぁ」
「そうですか……」
 ホッとしたように慶子は息を吐いた。
「となると、何の目的があったかはわからないが旦那さんはあの場所に行き、事故を起こして車を乗り捨てて歩いていった、ということになりますね。一応器物損壊ということになるんで、旦那さんを探して事情を聞く必要があるのですが……。これ以上は奥さんに聞いてもわからないでしょうなぁ」
「そうですね。流石に家を出たあの人の行動まではちょっと」
 慶子は微笑んで、コーヒーを飲んだ。
「いや済みませんでした、お呼び立てを致しまして」
 県警を出るとタクシーが止まっていた。渡が気を利かせて呼んでくれたらしい。慶子は「A駅へ」と告げ、シートに背を預けて深く息をついた。
 計画は終わった。


「お願いします」
 離婚届を窓口に出した。
「少々お待ち下さい」
 女性職員が慎重な面持ちでそれを受け取り、確認作業を始めた。
 慶子は隅の長いすに腰掛けた。
「おや、青木さん」
 後ろから名前を呼ばれて慶子は振り返った。
 渡と、見知らぬ男が立っていた。
「お久しぶりです」
 慶子は立ち上がって軽く頭を下げた。
「どうかされたんですか? 確か警察って管轄が違うと捜査とか出来ないんですよね?」
「おや、奥さんよくご存知ですな。ええ、ちょっと旦那さんの件で戸籍を調べようと思いましてな」
「戸籍を?」
 渡は隣の男を「所轄署刑事課の安藤というんですわ」と紹介し、慶子の隣に座ると、
「普通、車の所有者というのは陸運局にナンバープレートを問い合わせれば調べられるんですがね――あ、民間人はおいそれとは出来ないんですが――、それに登録されていたのが今現在の住所でして、それで旦那さん、ご実家にでも立ち寄っておられないかとちょっと戸籍を。器物損壊でも犯罪は犯罪ですし。それから、女と出て行ったのなら転移届けでも出てないかと思いましてね。」
「ああ、そうなのですか。夫のことでご迷惑を」
 慶子は内心胸をなでおろした。一瞬偽装工作が発覚したのかと思ったのだ。
「いやいや、捜査ですからね、これも。おっと、安藤君、番号が呼ばれたみたいだぞ」
 渡が立ち上がった。
「では奥さんこれで」
「はい」
 自分の名前が呼ばれたのをきっかけに慶子も立ち上がった。
職員が、申し訳なさそうな顔をしていた。
「青木さん、申し訳ありませんが、この離婚届は受理できません」
「え?」
 笑顔が凍りついた。
「不受理届が青木秀一さんのお名前で三週間前に出されています。これは、離婚届がその方の意志なく提出されて受理されることのないようにするものです。半年間有効ですので、この離婚届は受理できません。失礼ですが離婚に際して本当に双方同意をされていますか?」
 慶子は手渡された書類を眺めた。丁度あの計画を実行した週末の日付だった。
「奥さん、ちょっと事情を聞かせてもらっていいですかな」
 渡の言葉が遠く、空の果てから聞こえるような気がした。


<了>

(同人誌「黒」収録作品)


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