多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→その前に


!ご注意!
この小説は不快感を生じさせる表現を含んでいます。
ご注意下さい。

 ガス自殺を選んだのは、それが眠っている間に死ねると聞いたからだ。
 ガスの元栓を締めてからコンロのスイッチを入れ、再度元栓を開ける。ガスの出てくる音がした。
 歩くほど距離もない部屋の隅にあるせんべい布団に寝っ転がる。
 薄汚れた天井が目に入った。
 六畳の、壁に穴のあいた古臭いアパートの一室。それが生田敏郎にとってのすべてであった。

「あ、そうだ」
 生田は起き上がり、サンダルをひっかけて外に出ると、右隣室のドアを叩いた。呼び出し鈴などといった気のきいたものは、このボロアパートにはついていない。
 応答はなかった。留守のようだ。
 反対側の部屋はずっと空き室になっている。
 生田は少し考えて部屋に戻ると、ボールペンで書いたメモを持って出てきた。右隣室のドアの隙間に、挟むように押しこむ。帰ってくればこれに気づいて避難してくれるだろう。
 ガス自殺はいいがガスが充満してもし爆発でもしたら、他の住人に迷惑がかかる。
 彼は変なところで生真面目だった。

 部屋に戻ってみたが、二度も出入りを繰り返したせいかあまりガスは充満している風には見えなかった。
 生田は再び布団に転がると、目の前にあった雑誌を読み始めた。
 真ん中ほどまで読み進んだところで、メモが挟まっているのに気づいた。何の気なしに書かれている文字を読んだ。
「二十五日 山田 二時頃」
 彼は飛び上がった。
 まずい、山田の奴が本を返してもらいに講義が終わり次第立ち寄ると言ってたんだった。電話が終わって雑誌を読んでいて、しおりにするものがなかったからたまたまこのメモを挟んでしまっていたのだ。
 部屋の隅に置いてある電話の受話器を急いで手にとった。が、発信音が聞こえてこない。
 しばらく考えて、今日から電話を止めるという通知がきていたのを思い出した。
 生田はウロウロと部屋の中を歩き回った。
 布団の枕元においている時計に目をやれば、あと三十分しかない。
「そうだ、返す本を玄関に出しておけばいいんだ。そうすれば中には入ってこないからな」
 自殺する時間を遅らせればいいものを、変な方向に考えがいくのである。
 あちらこちらに積んである本の山から多分これだろうというものを取り出し、まとめて外の通路にすえつけてある下駄箱の上に置いた。外だから誰か持って行かないか気になったが、誰かが通れば音でわかる。そのたびに確認すればいいだろう。
 念のため、他に忘れていたことはないか室内を見回してみた。
 たまっている洗濯物はどうでもいい。
 請求書の山は……もともと、マルチ商法にはまってこさえた借金だ。この期に及んで払う必要などない。結局それが元で死ぬ以外方法がなくなってしまったようなものだから。
 でもそのままにしておくのも気が引けたので、生田はその請求書を一つ一つ広げ、壁に張ってみた。なんだか余計にむなしくなった。
 それにしても、ガスというのは意外に時間がかかるものだ。これでは山田がやってきて本を持って行って、日が暮れてもまだ死ねないかも知れない。
 実は今日借金を支払うとヤミ金には言ってしまったので(死ぬつもりだったから)、明日になれば乗り込んでくるだろう。いや、日付が変わった瞬間にやってくるかも知れない。その時にガスの元栓を開けて布団に寝転がって雑誌を読んでいたらただの間抜けだ。
 生田は方法を変える事にした。
 首を吊ればいいのだ。
 ガスよりも早いし簡単に死ねる。
 何でそんなことを思いつかなかったのだろう。

 しかしこの部屋には首を吊れそうなところがなかった。
 ドラマとかだとよく、梁にロープを渡して首を吊っているが、まずその梁がない。そしてロープもない。当然だ。首吊り自殺を考えていなかったのだから。
 いろいろと考えて壁の柱に釘を打ち込むことにした。釘なら工学部という所属柄持っていたのと、それくらいしか思いつかなかったからだ。
 押入れから工具箱を引っ張り出してきて、雑誌を積み上げ柱に釘を打った。この高さなら足も届かないから大丈夫だろう。
 工具箱をきちんとしまい、ロープ代わりになるものは、と考えて畳縁が目に留まった。古いからもうボロボロになって簡単にはがれそうだ。試しに力を入れて引っ張ると、端からベリベリとはがれてきた。
 よし、何とかなりそうだ。
 畳縁を輪にして結ぶ。柱の釘へ引っ掛けるのには苦労した。何せ高いところに釘を打ち込んだのと、出ている部分が短いため、なかなか畳縁が引っかかってくれなかったのだ。彼は律儀に雑誌をどかしたまま格闘していた。
 何十回か挑戦してやっとこさ引っ掛けると、踏み台替わりに雑誌を積み上げた。
これで準備は整った。

 生田は深呼吸を繰り返した。
 グラグラと安定しない雑誌の上に乗り、畳縁を手にとった。
 そこではたと気づいた
 この姿勢で行くと、柱に向かって首を吊ることになるが、あまりそういうのは聞いたことがない。大抵の人は柱を背に首を吊っているものだ。いや、全部見て回ったわけではないが。
 畳縁を手に持ったまま生田はゆっくりと体の向きを変えた。
――と、ずるりと足が滑った。
 雑誌が崩れたのだ。
 バランスを崩し、体重が一気に畳縁にかかった。
 ブチッと音がしてそれが切れた。
 反射的に振り回した左手が本棚に当たる。もともと安定のよくなかったそれがゆっくりと前に倒れた。
 滑った拍子に雑誌が何冊か、派手に飛んだのが見えた。
 高く跳ね上がった自分の足が見える。
 このまま後頭部を床に打ち付けるだろう。
 自殺は良くても中途半端に痛いのは困る。
「痛てぇっ!」
 思ったとおり後頭部をしたたかに打ち付けて生田はうめいた。
 しかしうめいてばかりもいられなかった。
 視界いっぱいに、本棚の上に放置していた鉄アレイが映った。
 思わず生田は叫んでいた。

「すると君が約束した時間通りにここにやってきたら、中から悲鳴が聞こえたんだね?」
「はい、助けて!ってハッキリ聞こえました」
「ふむ……壁には請求書が貼り付けられており、ガスが出しっぱなしになっていた……」
「警部、隣の住人の方がこんなメモを。生田さんの部屋の前に落ちていたそうです」
「何? ……『にげろ』か。おかしなメッセージだな」
「となるとやはり、借金の取立てに来た連中が生田さんを監禁し、脅した。しかし金がないと突っぱねられたので撲殺してガスを出しっぱなしにして証拠隠滅しようとした、というところかな……それで人が来たのを知ってあわてて窓から外に逃げた、と」
「このメモはなんでしょうね」
「山田君……だったね? 彼が本を取りに来るからと連中に言って、外に本を出すようにした、その時にはさんでおいたものが落ちたと考えられるだろう」
「しかし何故『たすけて』と書かなかったんでしょう?」
「連中の目を盗んで書くとしたら四文字より三文字の方が早い。それにこの青年は随分といい人だったらしいじゃないか。自分の身より友達を案じたのだろうな。下手に関わって巻き添えにならんとも限らないだろう。そういう連中なのだから」
「成る程、つじつまがあいますね!」
「よし、とりあえず彼が借金していたところを徹底的にあたってみよう」
「わかりました」

 一年後、この事件は迷宮入りした。

<了>

(同人誌「黒」収録作品)