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8.疑惑の死(雑談)

「ご注意」 今回のコラムは、死者ならびに関係者の尊厳を傷つける目的はまったくありません。
警告を喚起する目的で取り上げたものです。


半世紀近く昔の話になる。自分の実家周辺は田舎特有の、非常に近所付き合いの濃い所で
家族構成はおろか子供達の成績まで知られているような有様だった。
近所に住む中年夫婦の旦那がくも膜下出血で急逝した。
自分はまだ生まれておらず、親からの又聞き状態なのでよくは分からないが、農作業中に
畑の真ん中に倒れているところを発見されたということだった。
救急車で運ばれたのだか担ぎこまれたのか知らないが、手当ての甲斐なく亡くなったらしい。

子供の頃はもちろん何の疑問も抱かなかった。
だが今現在、気になることがある。多分その遺体は解剖すらされていないのではないか、という
ことである。
日本人は遺体に関して特に、他の国よりもこだわる傾向がある。四肢が欠損された方には、
足がないとあの世へ行けないとか、あちらでの生活に不便だ、と考える。
それは独特の宗教観のようなものであり否定する気はさらさらない。
だが、変死として解剖をする際にこの考え方のため非常に大変な思いをする。
「死んだ人間をなおも辱めるのか」「切り刻んで楽しいか」など……。
解剖は別に医者が勝手に決めているわけではなく、死者の名誉のために行うものでありまた、
犯罪の隠匿を暴くためにどうしても必要なものなのである。
前置きが少々長くなってしまったが、監察医制度などないこの土地でもしもその男性の死が
他殺であったならば重大な犯罪が見過ごされてしまったことになる。

くも膜下出血は、内因性(病的発作)と外因性(外部から力を加えられたもの)に分かれる。そして
それは外から診察しただけでは容易に分からない。
例えば何らかの病的発作に襲われて転倒した時に、その辺りにあった石で頭部に衝撃が加わり、
くも膜下出血を起こしたのかもしれない。そうなれば病死である。だが逆に石やバットなどで頭部を
殴打されてくも膜下出血を起こした場合は立派な殺人だ。
田舎だから警官もその家の人間と顔見知りである。「そう言えば旦那さんここ最近、ちょっと
体調が良くないと言ってたよ」「じゃあ心労が重なって倒れたのかもしれないね」
こんな会話が交わされていたかもしれない。
畑の真ん中で倒れていたから病死。
……こんな判断が許される時代だった。

今ネットに順次あげられているという「透明な殺意」は、この疑惑を元にして書いたものでもある。
監察医制度のない地方が、いかに「法医学的」に危険であるか。
誤解を恐れず言えばそうなる。
生きている人間の権利を守ることはもちろん大切なことだ。だが、何故その人が亡くなったのかを
調べることも決して無駄なことではない。その状況が疑わしければなおさらだ。
監察医精度のないところでは、医大の教授などが解剖をするがやはり専門の知識に差が出るのは
否めない。
早く日本全国に監察医制度が整備されることを願う。

今年の医師試験の合格率は90.4%で85年以来の高い数字だとか。ただその内の何人が、
死者の話を聞く法医学を選んでくれるのかと思うと、やっぱり気になったりもする。


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