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推測から先に言ってしまおう。おそらく将来において、犯罪と認識されない異状死は増えて
いくだろう。いくら科学が進歩しようが、情報網が発達しようが関係ない。
犯罪であると誰も気づかないのだから、事件捜査以前の問題だ。
ちょっと簡単に、殺人事件が起きた場合の流れを書いてみようと思う。
変死体が発見される。これを警察官が検視し他殺と判断した場合もしくは異状が認められる
と判断した場合、死体は司法解剖に回される。
監察医制度のない地域であれば大体は大学病院などがこの解剖を引き受け、死因を
解明することになる。その結果を待って事件性ありということになれば捜査開始だ。
いささか乱暴に書いたが、この間にいくつも、犯罪を見落とす危険なポイントがある。
1.警察官が検視し、解剖が必要であると判断した場合。
例えば水死体を検視したとする。外見に異状が認められなければ何も考えずに「水死(事故死)、
事件性なし」と判断してしまう警察官もいるのである。
警察関係者の皆さんにあたっては「そんなことはない、指導は徹底している」と憤慨のむきも
あるだろうが、悲しいかな現実の話だ。
宮崎県において妻が保険金目的で夫を海に投げ込み殺害したという事件が発覚したが、
当初は単なる事故死と判断され解剖すら行われていない。
現場の状況から勝手に死体の死因を推理してしまっているのである。死因は確かに水死
であろう。だが、水死の原因は見ただけでは分からない。
2.病院での死因解明。
運良く司法解剖手続きが行われたとしよう。(念のため言うが皮肉である)
経験不足の医師、法医学について大学で学んだだけの医師が解剖にあたった場合、
重要な所見を見落とすことがある。
法医学をテーマにしたドラマでも必ず取り上げられるものであるので見聞きされた方も
多いだろう。
例えば絞殺の場合、必ずしも首に跡が残るものばかりではない。もちろん頚部を切開
したり頭部を開ければ分かることなのだが、残念なことに「跡がないから」と絞殺を見逃して
しまう人間もいるということだ。
経験不足が悪いのではない。
この国の不十分なシステムが悪いのだ。
3.費用の不足。
年間約3億円。この数字でピンと来た人はかなりの専門学的知識を持った人だと思う。
この国、日本の警察庁が「司法解剖」に出している予算総額である。
たった3億円なのだ。どこぞの社員が横領していた金額の方がよっぽど多い。
ちなみにこの費用、司法解剖鑑定書を書いてもらった謝礼金であり、検査費用、外部委託
費用などは含まれていない。つまり医師側が「もっと解剖に正確性を求めたい」のであれば、
医師の所属する大学が負担しなければならないのである。
よって、どこの大学もそんなことはしていない。法人化してから経費予算は0円となった。
中にはデジタルのはかりが買えず、未だスタンド型の体重時計を使って重さを計測している
法医学教室もある。ドラマのように何もかも新品ぞろいでスタッフも充実、ゆったりと解剖して
いる現実はない。
大学は教育の場である。
しかし、司法解剖に限って言えば犯罪解明の、非常に重要な場である。それが、「予算がないから」
で切り捨てられているのだ。
一時、保険金殺人が連続してニュースになった時期があった。
その報道を見て驚かれた人もいるのではないだろうか。事件が発覚するまで被害者はすべて、
「不運な事故死」として片付けられていたのだ。薬を飲ませて殺された、事故死に見せかけて殺された
ということが何件も連続していたにも関わらず、肝心の警察と医師がその疑いを見落としていたのである。
この犯人が味を占めて何度も手を染めなければ完全犯罪として発覚はしなかったであろう。
こんな恐ろしい現実が当たり前のようにあるのだ。
2004年から、この現状を打破すべく動いている人達がいる。警察庁など関係省庁もこれはいかんと、
ようやく、外部委託検査費用として遺体1体2万円の予算を上乗せした。もちろんこれだけではまったく
足りない。アメリカとは雲泥の差がある。
しかしこれから本当に認知を必要とするのは、変死体に対する司法解剖の必要性であろう。
警察官は探偵ではない。現場からどのようなことが起きたのか考えることはあっても、死体の
状況がそれと一致しなければ勝手に死因を判断するようなことがあってはならない。
検視実施上の心構えを常に頭において、職務に励んでいただきたいと思う今日この頃である。
また、司法解剖の現状を知り、改善しようとしていく人達が増えることを願ってやまない。
犯罪を見逃すことがあってはならない。
法の壁に阻まれて泣く人を増やしてはならない。
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