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気象庁が梅雨明け宣言をしたその日は、その通りに太陽の輝く夜明けを迎えた。
日が高く昇れば、上着を脱いでもいいくらいの陽気となった。
文字通り、さわやかなある日。
国家公務員と郵政省の社宅を羨望のまなざしで見上げた後くるりと振り向けば、これだけで
独立した「大学」と言えそうな敷地の東京大学教養学部が目の前に広がる。
おそらくは日本で一番の知名度を持つその大学に入学した者が、最初の二年間を過ごすところ
である。
日の高さと学生達の楽しそうな顔を見るとどうやら昼食時間のようだ。コンビニの袋を下げて
戻る者、歩きながらサンドウィッチをほおばっている者など様々である。
その中に一際、すれ違う者の視線を釘付けにしていく二人が居た。否、正しくは人間が居た。
色素が薄いせいか、太陽光を受けて時折銀色に輝く髪。知能の高さをうかがわせる涼しい瞳。
そして、常に静かな笑みをたたえた口元。巧妙なバランスの元に揃えられたとしか思えない
それらは、それでいて言葉を交わせば必ず期待を裏切らないだろう。
「明智君はもう提出した? 法律学原論のレポート」
隣に並んで歩いていた女がそう言った。彼女もそれなりに「美女」の類に入るであろうし、手に
持った資料のタイトルからすればおそらくは才色兼備と自称しても責められることはないだろう。
だが彼──明智健悟の隣にあっては、やや分が悪い。
「一応ね。田中さんはまだ書いてないの?」
「ああ、弘明とこれからやってしまおうと思って。午後から一コマ授業空いてるし。あれって今日の
五時までOKだったよね」
「ま、ね」
明智は肩をすくめてうなずいた。
「佳代! おっせーぞ!」
イライラしていたらしい様子の男が二人を見つけて手を振った。原田弘明、田中佳代の恋人である。
「ごめんごめん、先生が時計壊れてるのに気がつかなくて授業が伸びてたのよ」
ペロリと舌を出して弘明の腕に自分の腕を絡ませると、佳代は明智に手を振って、
「じゃ明智君、またね!」
「うん」
「じゃーな、明智」
仲良く遠ざかっていく二人に手を振って、さて、と空を仰いだ。
二回生のこの時期。そろそろ専攻の選択を決める時である。
東京大学受験時に、文科一類を選択すると後期(三回生、四回生)は法学部へ進学することになる。
前期一年半はどの学部も共通して教養学部で俗に言う「一般教育科目」を受講するのだが、残り
半年は進学が内定した類の基礎となる専門教育科目を学ぶ。
この法学部はさらに三つの類に分かれ、第一類が法曹界に就職を希望する者、第二類が官公庁へ
就職希望、第三類は政界行き……と先まで決められている。無論例外はあるが受験時におぼろげ
ながら進学先を決めることになる。
明智は迷っていた。法学部を選択しながらも、父と同じ将来へ進むつもりはなかった。だが腹黒い
政治の世界や、時には人の醜い部分に白黒をつけなければならない法曹界などに興味を持て
なかったのも事実だ。
否、法曹界なら自分の居場所があるのかも知れない。刑事のように報われない努力ではなく、
はっきりと目に付く形で人を助けられる『正義』。
三億円強奪事件。昭和史に残る、最悪の事件と言われたこの事件は明智の中にも苦い記憶
として在る。
この事件を追い続けた父は最後まで警察官の誇りを捨てず、それ故に最後まで苦しんでいた。
だから警官にだけはなるまいと。
二年前の事件もそうだった。親友とも言える和島尊の殺人。未成年であったのと脅迫されていた
という事情を考慮し、過失致死が適用され保護観察処分にはなったが、彼が何故自分を陥れる
ようなトリックを使ったのか。未だ胸の奥にある痛い棘は抜けていない。
人の罪を暴いてことさら醜い部分を見ることになるのなら、謎解きなどしたくない。
環境が変わったのを契機に彼は、少し無口で、静かに微笑む代わりに感情を表に出さない青年に
なっていた。
それが、首席入学のせいもあって、『どことなく愁いを帯びた美形』として注目を浴びてしまった
のはいささか計算外だったが。
――こうしていても、何も変わるわけではないな。
明智はため息をついて公園の方へ歩き出した。
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