多分花鳥風月→金田一、コナン的読み物ページ→小説置き場→冬きたりなば春遠からじ(「高遠遙一の回顧録」より)3-1
研究室らしく室内は向かい合う双璧の片方を本棚が占め、正面の窓もそこ以外は、雑多なものを
詰め込んだ棚が壁を見えなくさせている。その棚と本棚に隠れるように机があり、部屋の中央には
議論用か、大き目の事務デスクがある。下にはダンボールがいくつか入れられていた。その隣に
こじんまりとしたソファが置かれている。
そのソファとデスクの間に人型が描かれていた。腹部と思われる辺りに、黒ずんだ血だまりが
広がっている。形状からして仰向けに倒れた後血が側面を伝ってカーペットに染み込んだようだ。
本棚と反対側の壁側には奥に簡易な冷蔵庫やコーヒーメーカーが置いてあり、ボードで仕切って
ソファの辺りからは見えないように工夫されている。
明智が近寄って確認すると、コーヒーが入れっぱなしになっていた。数人分はある。よく訪ねる教授も、
入れっぱなしにしては煮詰まって苦くなったコーヒーを出して、研究生に怒られていた。
ふむ……と振り向くと、三代がすぐ後ろに立っていた。
「何か質問はあるかい？」
ニコニコしているから何の下心もなくそう聞いているのだろう。これが数年したら目は笑わずに尋ねて
くるようになるのだろうが。
明智はすいと視線をそらして佳代に声をかけた。
「田中さん。伊原教授は男性と女性によって態度を変えるような人だった？」
生々しく残る赤黒い染みに顔をしかめていた佳代は、あわてて顔をあげて、
「え？ あ、うんそうね。男だったら結構成績が良くても平気で落とすから、あまり男は取ってなかった
みたい。女は、まあいろいろと。ね、弘明」
「おう。おかげで前期の授業一つ分無駄になるけどな、俺は」
「ちょっと何よ。じゃあ私があんなスケベの被害に遭っても良かったっていうの？」
「そうは言ってねーだろ。ただ、単位をもらえるわけでもねーのに、俺は朝っぱらからお前につき合わ
されてるから……」
「あらっそう！ じゃあ良かったわね。もうこれで付き合う必要はないわよ。あの授業先生変わるから」
「ちょ、ちょっと困るよ……。ケンカは外でやってよ」
苦虫を噛み潰したような顔で三代が止めにかかる。その後ろでは、まだ調査中の刑事達が『迷惑』と
いう文字を顔に貼り付けてこちらを睨んでいる。
「山本さん、君はそれで昨日はここへ来なかったんだよね」
喧騒をどこ吹く風という風体で受け流して、明智は絵里に尋ねた。
「ええ、来てないです。どうですか、何か分かりそうですか？」
疲労も相当溜まっているだろうに、絵里は愚痴一つこぼさず明智の言葉を受け止めようとしている。
「それには幾つか僕の疑問を解消しないとね」
それを聞きとがめたのか、三代が「どういうことかな」と話に割って入った。
「ああいえ、こちらのことで……」
「刑事さん、吉田君が犯人じゃない可能性はないんですか。だっていくら何でも都合が良すぎでしょう。
俺らは真犯人がいると思いますけどね」
「バカ……」
三代の顔がたちまち強張った。佳代が弘明をこずいたがもう遅い。
「き、君達は警察をバカにしてるのか！？ 素人探偵の真似がしたいなら、クラブ活動でやりたまえ！」
「何騒いでんだ、三代」
剣持が部屋に入ってきた。
「剣持警部補！ こいつらが吉田は犯人じゃないと言ってるんですよ」
「お前も落ち着けよ。一般人の言うことを間に受けてどうするんだ」
ベテラン刑事らしく頭を掻いて剣持は、
「あのな、ここはお遊びで探偵ごっこやっていい場じゃないんだ。人が死んでる。それをちゃんと理解して
くれ」
出て行ってくれと言わんばかりに顎をしゃくって、三代の背中をドンと叩いた。三代は慌てて、
「さ、俺達も忙しいんだからそろそろ終わりにしてくれ」
どうもこれ以上留まることは無理のようだ。仕方なく明智は弘明達の後について歩き出した。
？
視界の端に引っかかるものを感じて明智は振り返った。
先ほどは死角になっていたのか見えなかったが、壁際の机上に書類断裁器が置いてあった。紙の端を
切りそろえたり、切断したりするものだ。それがワープロと並べて置いてあった。
つかつかと机に近寄るとそばのゴミ箱を覗いた。とはいえ鑑識によって持ち去られたのか、からっぽだ。
「一つ……いえ、二つ聞いても良いですか」
「何だね」
イライラした様子で三代が聞き返してくる。
「ゴミ箱にはゴミが入っていましたか？ それとワープロからは、何か手がかりになりそうなものが検出
されたのでしょうか。例えば、インクリボンとか」
「いいや、何もなかったね。ゴミもなかったし、インクリボンからも何も出なかったね。まだ新品のよう
だったよ。さあ出てくれないか」
明智の目が軽く見開かれた。口に手をあて深く思考に浸っているようだ。
部屋の外に追い出されて、鼻を鳴らして引き返そうとする三代に明智は鋭く、
「伊原教授は手紙の控えを所有していましたか」
と尋ねた。
「ん？ あんたそんなことまで何で知ってるんだ？ 確かにファイル棚から見つかったよ。そこの山本さん
宛に出していた手紙だろう？」
三原の後ろからまだいたのかと言いたげな顔つきをしていた剣持が、ちょっと驚いたような表情でそう
言った。
「それは感熱紙だったんですね？」
「あんた見てきたようなことを言うな。ああ、そうだが？」
「明智、何かわかったか？」
うん？という風に剣持は明智を見た。
「あんたひょっとして、あの明智さんの息子さんか。いやあ俺も本庁へ検挙した犯人を引き渡しに行った
時は大分世話になったな。亡くなられたと伺ったが、惜しい人を亡くしたものだ。それじゃあんた、警察官
になるってのもまんざら嘘じゃないか」
「……恐れ入ります」
父親への謝辞へ慇懃に頭を下げて受け流すと、明智は、
「ところで警察は、吉田君を犯人と断定しているのでしょうか」
「断定も何も……」
剣持は言いにくそうにため息をひとつつくと、
「さっき吉田が嫌疑を認めたって連絡が入ったよ」
「！」
絵里が口を抑えてよろけた。佳代が慌てて支える。
「犯行を認めた人間を、周囲がいくら否定したところでひっくり返るもんじゃない。あんたらが認めたく
ない気持ちは分かるけどな」
「僕は！」
空気を切るような声に、部屋の中の人間達が一斉に振り返った。
「僕は吉田君の無実を信じます。例え事実がどうであれ、必ず真実を導き出してみせますよ」
剣持の目が光った。刑事特有の、何かただならぬものをかぎつけた時の目だ。
「まあ頑張ってくれ」
冷やかしでもなく激励でもなく、きわめて読み上げられたような口調でそう言って、剣持は中へ消えた。
明智の剣幕にあっけに取られていた警官達も、すぐに作業に戻った。
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