多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場→冬きたりなば春遠からじ(「高遠遙一の回顧録」より)3-2




 明智はくるりと背を向けて歩き出した。置き去りにされた弘明達が慌てて後を追う。
「明智、お前分かったのかよ」
「あんなこと言って大丈夫なの?」
 弘明達が言うのにも耳を貸さない。
 建物を出て、人気の少ない木陰までやってくると明智は、真っ青な顔をした絵里を見すえた。
そして思案するかのように視線を漂わせ、やっと口を開いた。
「僕の父は素晴らしい警察官でした。しかし、捜査の方向付けが柔軟でないことに疑問を感じて
いた人間でもあります。僕は確信しました。この事件の犯人は必ず別にいると。貴女はどう
しますか」
「……え……?」
 意味が良く飲み込めないのか、絵里はただ彼を見つめ返すだけだ。
「はっきり言います。現時点では彼の容疑を晴らすことは無理です。僕は、僕自身に何の力も
ないことを認めなければなりません。そして安易な気持ちで大変なことを引き受けてしまった、
僕自身の浅はかさも。ですがその責任感から言っているのではありません。『冤罪を生んでは
ならない』という父の遺志がやっと理解できたからです」
 柔らかな風が吹き抜けていく。前髪を揺らされながら、明智は黙って立っていた。
「……私も吉田君を信じます。多分言わされたんだと思います。私は最後まで吉田君を信じます」
「俺も、最初怒鳴り込んできた時は何てヤツだと思ったけど、そんなことするとは思えないん
だよな。女の子を思いやれるヤツが」
 弘明がズボンのポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめる。
「そうね。勘だけど彼は犯人じゃないわね。女の勘って当たるのよ!」
 ねーと佳代は絵里に微笑みかけた。
 絵里の両目から涙が溢れ、頬を伝ってアスファルトに吸い込まれていった。クシャクシャになった
ハンカチを取り出して拭おうとするのを、佳代がバッグからハンカチを取り出して貸してやった。
「では辛いかもしれませんが、しばらく待っていて下さい。必ずこの事件の真相は僕が解き
明かします」
 決心したかのように明智は深く頭を下げ、歩き出した。
 雲が切れ、間から太陽が顔を覗かせた。それは、まるで告知であるかのように彼らを暖かく包み
込んだ。
 そう、彼の行く手を照らすかのように。


「よっ、明智! 久しぶりだな。試験どうだったよ?」
「まあまあだね。君達の方は?」
「いっやー。まあまあってところかな」
「何言ってんのよ。就職決まっても卒業が危ないじゃないの、弘明は」
 門を出て歩く三人は、すれ違う人間の視線を引き付けていくようだ。否、正しくは端で笑っている
青年が。
「……早いもんだな。あれから二年か」
 ふと、青く晴れ渡った空を見上げて弘明がつぶやいた。
「そうだね。あっと言う間だったね」
 そよ風が撫でていった髪を手で抑えながら、明智は寂しげに微笑んだ。
「山本さん、毎日面会に行ってるんですって。裁判にも顔を出しているそうよ」
「そう」
 伊原教授殺害の犯人として逮捕された吉田は、犯行を認め起訴された。しかし自供は強要された
ものとして法廷で証言を翻し、二年経った今でも決着はついていない。
「なあ明智。こう言っちゃ何だが、あんなことで進路決めて良かったのか」
 道路向かい側の街並みを眺めていた明智は、その言葉に振り向くと、
「……僕は認めたくなかったのかもしれない」
と言った。
「何を?」
 きょとんと佳代が言った。
「父親の偉大さってヤツかな。警察は大変な仕事かもしれない。でも父のように、犯罪の影で泣く
被害者を救うために真実に光を当てることが、どれだけ出来ているのだろう。それを出来るだけの
力を持っているのならやるべきじゃないだろうか、ってあの事件で思ったんだ。まあ力仕事は苦手
だから頭脳労働専門ってことで」
「っかー! それで国家T種受けるんだから、天才ってヤツは!」
「弘明も受ければいいだけの話だろ。別に僕は止めないよ」
 弘明は拳を握り締めて明智を見ていたが、諦めたように肩を落とした。
「合格は程遠いわよね。――あ、ごめんなさい」
 前を良く見ていなかった佳代は、角を曲がって出てきた人影と衝突しかけ慌てて脇へよけた。
「Oops!  Sorry, こちらこそ済みません」
 メモ用紙を片手に、少年はペコリと頭を下げた。帽子をやや深く被り、濃い茶色のジャケットを
羽織り手にトランクを提げている。
「あの、ちょっと道をお聞きしたいのですが、××商社の本社がこの近くにあるはずなのですが、
ご存じないですか」
 佳代がメモを覗き込む。しばらく頭をひねって「明智君」と言った。
「英語で書かれてて分かんない。後宜しく」
「……君は大学で四年間何を学んできたんだい」
 嫌味もどこ吹く風といった風に、佳代はしれっととぼけた。
 明智が覗き込むと、この辺りの地図と建物の説明が英語で書き込まれている。しかもクイーンズ
イングリッシュで。
 外国人がメモを書いて寄越したとしたら、その時点で日本語に直すはずだ。どうやらこの少年は
外国暮らしが長かったのだろう。英語をネイティヴに使うほどに。
「ええと、僕達が今歩いてきた方角、あっちに向かってしばらく歩くとここに出るから、」
 地図の交差点を指して説明する。
「この道へ入れば……ね、到着するだろう。分かったかい?」
 少年はしばらく地図と道を交互に眺めていたが、
「I see. 分かりました。Thanks, どうもありがとう」
「××商社って確か貿易関係の会社だよな。何、就職活動?」
 少年はそれを理解するかのようにじっと弘明を見ていたが、軽く首を振って、
「No. 僕の父はイギリスの支社に勤めていたのですが、先日亡くなりました。本社でいろいろな
手続きがあるので日本へ来たんです」
「まぁ! ごめんなさい、失礼なこと聞いて」
「いいえ。お気になさらずに。こちらこそご面倒をおかけしました」
 手を振るのへ明智は声をかけた。
「Nothing. Cheer up!  If winter comes, can spring be far behind?」
 歩きかけていた少年は嬉しそうに微笑んで、
「Thanks!  I wish your happiness! bye」
 その姿をしばらく見送って、
「いやあ、英語が話せるのは大切だね」
「今頃何言ってんのよ。行きましょ、明智君」
 佳代は明智の腕を取って歩き出した。
「あ、ちょっと待てよ! ちなみにさっきのは何て言ったんだ?」
「冬きたりなば春遠からじ、イギリスの詩人P.B.シェリーの詩だよ」
 振り向かずに明智はそう言った。


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