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「政世、そろそろ沸くからコップ持ってきて」
 政江が言った。その様子からすると、赤いリボンで髪を束ねているのが政世で、
青いリボンなのが政江のようだ。服装をスカートとパンツと変えてはいるものの、
一卵性双生児らしくそのかわいらしい顔立ちだけでは、外見は全く見分けがつか
ない。指示されたもう一人の同じ顔をした女の子、つまり政世が用意しておいた
らしいお盆を持ってきた。イルカがワンポイント印刷されたグラスに氷が入っている。
「ぬるくていいですか? 冷たいのが良かったら氷増やしますんで」
「いえ、お気遣いなく」
 ついコナンがそう言ってあわてて、「あ、ボクぬるくていいよー」と子供のフリをする。
 政江は黙ってグラスに、沸いたお茶を注いでいる。熱いお茶に、氷が見る見るうちに
溶けていった。触ってぬるくなったらしいのを確かめてからやかんをコンロに戻し、盆を
両手で持った。目で促されて政世がストローを入れていく。
「どうぞ」
 政江がグラスをテーブル上に載せるのに合わせて、それを良江が奥の明智から
順に差し出す。政世も先に部屋へ上がってそれを手伝った。
「すみません」
「あ、ども」
 そう言えば、ここにくる途中寄ったパーキングエリア――途中からエリアどころか
舗装された道路でさえなくなったので、当然全道程の残り三分の二は飲まず食わ
ずとなった――でしか水分補給をしていなかったのを思い出し、一は麦茶を一気に
半分飲み干した。
「お菓子、何かなかった?」
「昨日買い物に出た時忘れたのよ」
 政江が座りかけて、良江の言葉にムッとしたように腰を浮かせた。
「あ、いいっす、お気遣いなく。お菓子とか結構ですよ」
 一が答えたら左右から明智と服部に小突かれた。
「ごめんなさい、何も無くて……」
 真に受けた政世がすまなそうな顔をする。
「せや! いっぱい積んどったわ。明智さん、鍵貸してーな」
 野宿になるかもしれないと積んできた荷物の中に、お菓子も大量に入れていたのを
思い出したのだろう。さっきから黙っていると思ったら、彼は一生懸命そのことを考えて
いたらしい。
 鍵を受け取って靴をつっかけると、「ちょー待っとって」と言い残し出ていった。
「あ、失礼。皆、こちらは右から明智さん、金田一さん、さっき出ていったのが服部さん、
で、キミが江戸川くんだっけ?」
「コナンでいいよ!」
「じゃあコナンくん」
 沈黙が訪れた。どう話をつなげたものか、と一が首をひねっているうちに服部が
戻ってきた。抱えた袋を座って開くと「どれがええ?」と、きょとんとしている政世と
政江に尋ねた。
「え……どれって……」
「何でもいいから出せよ」
 呆れてコナンが袋から適当に菓子の袋をつまみ出す。一は待ってましたとばか
りに片っ端から食べ易いように開けていった。隣で服部が「これ大阪限定のポテト
やでェ」とやっている。
「あの……よろしいんでしょうかねぇ?」
 良江が恐る恐る明智に尋ねた。
「……」
 明智が無言で額に手を当てている。絶対、山のように浮かんだイヤミや皮肉を
我慢している、と一は思った。
「……もしかして、服部さんてあの服部さんですか?  あの、お顔を見て思い出した
んですけど、東の工藤と並んで西の服部って言われてる?」
 政世が口を開いた。
「せや、何や知ってるやん、じょーちゃんも!」
 一人服部は嬉しそうである。
「高校で、神戸の大学に行きたいって言ってる子がいるんです。その子が詳しくて、
服部さんのことよく話すから。同じ十七歳なのにすごい人だって」
「その友達によろしゅうゆーといてな!」
 一気にその場の雰囲気がうち解けたような気がした。
「明智さんも、警視庁の方でしょう? さっきの子明美って言うんですけど――あ、
私達のクラスメイトです、警察オタクっていうか、彼女から名前を聞いたことがあり
ます。あの明智さんですか?」
「その明智です」
 政江の言葉に明智が苦笑する。当然面白くないのは一とコナンである。
「まあ、そんな偉い人がこんなところに何の用ですか? うちは何もないですけど……」
「何もないわけないだろ!」
 一瞬部屋が静まり返った。遮られた良江は、政良の剣幕に目を丸くしている。
「そうね……でもあれは二ヶ月も前のことだし、それだったら桜井署の人が来るでしょ?」
「何言ってんの?」
 政世が冷ややかに良江を睨んだ。「そんな軽々しく言わないでよ!」
「……ごめんなさい……」
 良江がうつむいた。何かが変である。
 だが、そのことを今聞き出すのはこの雰囲気から得策でないと思ったようで、
コナンが何もわかっていないような顔をして
「ねーねー、僕達さーこんな手紙もらったんだけどさー、政子さんって死んじゃった
んでしょ?  誰がこれ出したの?」
と手紙のコピーを取り出す。
「……」
 政良達は覗き込んでいたが首をかしげて、
「僕達の幼いころ母は亡くなりましたので、これが母のものであるかは……」
 そこまで言って視線が良江に注がれた。つられてコナン達もそちらを見る。
 良江は真っ青になっていた。何度か口をパクパクさせた挙句、
「私……政子とは友人でした……。……この字……間違いありません……政子の
ものです。……彼女は書道をやっていましたから……」
 コップを持つ手が震えていた。
「これは一週間ほど前、私達に届いた物です。何故こんなものが届いたのか、
差出人に会うべくやってきたのですが」
「十五年前に書かれたってことはないんですか? これが母の筆跡って言うんなら、
今書けるわけがありませんから」
「その可能性は薄いと思います」
 一が政良を見た。「この手紙に使われていたのは石州和紙なんですが、その状態
から製造一年以内であると思われます。つまり誰かが筆跡を真似したのでない限りは……」
「ついでに言うと、俺らの住所も知ってる奴やな」
「……そんなことをする人間には心当たりがありませんが……」
 政良は手もとのグラスに視線を落とし、ストローをつまんで軽くかき混ぜると麦茶を
飲んだ。
「それで、どうされるつもりなんですか?」
 政世も一口麦茶を飲んで口を開いた。
「差出人に会うのが目的だったので、いないことまでは考えてなかったんだけどさ」
 こちらはお菓子を一つつまんで一が答える。
「そんなんでわざわざ来たの? 物好きね」
 政江がクスクスと笑った。最初不愛想と見えたのは、人見知りしていたせいらしい。
「何か事件の予告状ともとれるわけですが」
 明智の言葉に、政良や政世、政江がピクリとした。
「予告……ですか。やだ恐い」
「ま、手がかりはここでとぎれたわけやし、しゃーないなぁ」
 大袈裟に肩をすくめてみせて、服部は壁に飾ってある面に目をやった。
「あれが神楽っちゅーヤツの面かいな? なんやごっつ恐い顔しとるでー。悪役の
面なんか?」
「あ、いえ。あれは神楽面ですが、鍾馗(しょうき)という神の面です。演目も鐘馗と
言います。高天原を追われた須佐之男命(スサノオノミコト)が唐土に渡り、そこで
お世話になった民の恩に報いるために鍾馗となり、疫病をもたらす疫神を退治する
話です。疫神はさらに日本に渡り、命もこれを追いかけてきて平定します。鍾馗と
いうのは中国に唐の時代から伝わる魔を祓うといわれる神のことです。そう言えば」
 政良が視線をこちらに戻した。
「きちんと見ていなかったのですが、先ほどの手紙は、和歌ではなかったですか?
『千早振荒振者を……』とか」
「そうです。御存知ですか?」
 ついうっかり工藤新一の口調に戻ってコナンが手紙をもう一度差し出した。政江と
政世が顔を見合わせる。
 政良はそれを覗き込むと、
「やっぱりそうです。これは鍾馗の舞で最初に詠む和歌です」
 確認の為明智がこの和歌の意味を問うたが、彼らが解いたのと同じようなもので
あった。
「うちらみたいに神楽の関係者でもない限り、ちょっとこれを書こうと思っても書けん
よねぇ」
 政江がつぶやく。
「……失礼」
 政良がグラスを手に立ち上がった。良江が受け取ろうと手を差し伸べるのを無視して
土間へ降り立つと、やかんから麦茶を注いだ。火から下ろして間も無いので、麦茶
からはユラユラと湯気が立ち上っている。
「兄ちゃん、氷もってこようか?」
 いつまでも麦茶を見つめている政良へ、適温になるのを待っていると思ったのか、
政世が声をかけた。
「いや、いいよ」
 グラスを手に持って部屋の上がり口に足をかけた時、
「ただいま! 皆こっちに集まって何しとるん?」
 元気な声が玄関の方から聞こえてきた。
「弟の政史です」
 自分の方を見ている四人にそう言うと、政良は玄関の方を向いて手招きした。
「お客さんが来とるけぇ、お前も挨拶しろ」
 すぐにひょこりと顔がのぞいた。坊主頭のまだ幼さが残る活発そうな少年である。
「こんちは! 俺政史、十五歳。湊町中学校三年生、野球部です!」
「今日は」
 明智が穏やかに微笑んだ。営業用というか何と言うか皮肉抜きの、ともかくライバル
と認める自分には絶対見せない表情である。――美雪には惜しみなく見せるくせに。
 一の後に続いて服部、コナンが挨拶をした。
「部活してきたから腹減ったでー。お客さんと話しとるんなら、俺先に美恵さんに
食わしてもらうから! 俺の分、作らんでええけぇね!」
「ちょっと、お客様の前ですよ」
 良江がたしなめるがまったく効果が無い。
「あ、兄ちゃんコレ頂戴! チャリで帰ってきたからのど乾いてたんだよ」
 ほとんどひったくるようにして政良の手からグラスを奪い取ると、まだ少し一気飲み
には熱いと思ったのかフーフーと吹いた。
 そんな様子を微笑ましく見守る一同である。
「兄ちゃんゴメンね」
 ペロリと舌を出すとグラスに口をつけ、そのままゴクゴクと飲み出した。
「――え?」
 誰もが、目の前で今起きていることを理解できなかった。
 ほんの数秒前まで麦茶を飲んでいた政史が、うぐ、とくぐもった声を発するや、のど
をかきむしって倒れ込んだ。手にしたグラスが滑り落ち、音を立てて割れた。中の
液体が飛散する。四肢をこわばらせ、血や吐しゃ物を吐き出しながら口をぱくぱく
させている。その顔がどす黒く染まっていった。
 政良は呆然と立ち尽くしていた。顔から胸にかけて政史の吐血が点々と付着して
いる。
「政史君!」
 コナンが靴を履くのも忘れ、土間へと飛び降りてかけよった。一らもすぐ後に続く。
 しかしその時には、政史はもう誰も追いつけないところへ走り去っていた……。


  我は鍾馗と云へる神也。此の頃玄宗皇帝疫神のために冒され惱むときく。
我その病を救はんがため、彼の疫神を退治せばやと思ふなり。




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