多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→ヒューマンハローワーク1-1




 精一杯延ばした指先が、数センチのところで空を切った。
 男はそれを責めるようなそぶりは見せず、静かに微笑んでゆっくりと横に倒れ込んで
いった。見る間に床へ流れ出す赤い液体。
 コンクリートを蹴る足音が、だんだん大きくなってくる。立ち尽くす少女を追い詰めるように。
 そう、彼女は壁に吊り下げられてしまった操り人形のようにピクリとも動かなかった。
「どうして……」
 床の男を悲しげに見つめる顔は、目標を捜し求め辺りへ響く怒号に不釣り合いなほど
幼い。十代も半ばであろう。
「おい、そこのチビ」
 何の感情も感じ取れない声が、静かに彼女を振り向かせた。聞こえてきた方向は
天井まで積み上げられた木箱で暗闇と化している。
「死んじまったもんをいつまで見てる気だ。――来い。それとも、後を追う気か?」
「そうしてたってその人、生き返らないわよ」
 差し出された手をためらいなく握り返したのを、まるで映画を鑑賞しているように
見つめていた。
「アタシは仕事屋。宜しく。こっちは情報屋」
 暗闇に慣れた目に、金色の髪をかきあげながら笑う美女と、少し離れて不機嫌そうな
顔をした長身の男。
「さあ逃げましょう」
 罪悪感を覚えなかったと言えばウソになる。自分のささいなミスが、一人の依頼人を
死に追いやったこと。
 だから私はこうして、思い出したように夢を見る。
 彼らと初めて出会った時のことを。


 目を開くと驚くほど静かだった。さっきまでさまよっていた世界はあんなにも音に
包まれていたのに。
「……」
 後藤美加はゆっくりとベッドに身を起こした。真っ暗な中でも、汗がこめかみを伝わって
シーツに落ちたのが分かる。息が荒い。背中にパジャマが張り付いて気持ちが悪い。
急いで起きたつもりはないのに、血が下へ流れ落ちる感覚と共に体が揺れる。
 あの夢を見た後はいつもこうだった。時計を見れば一分とずれていない、午前二時
四十二分。依頼人が撃たれた時刻。十七年間で、最悪なミスの瞬間。
 こんな時ばかりは肩で切り揃えた髪がうっとうしい。首筋に汗で貼り付いたそれを
はがしながら、部屋を出る。階下の母を起こさないよう、忍び足で。
「美加」
 隣の部屋から兄が出て来た。受験勉強の最中だったらしく、Tシャツの袖を肩まで
まくり上げている。
「また、うなされてたのか」
 黙ってうなずいて、それ以上会話を交わすでもなくバスルームへ向かった。
 兄、大介は家族――といっても母と兄、自分の三人暮らしだが――の中でただ一人、
美加の仕事を知る人間だ。そう、弱冠十七歳でありながらその手の業界では一応名を
知られた存在だと。
 ヒューマンハローワーク。
 そう呼ばれている。どんな仕事にでもピッタリの人材を派遣してくれるトリオ。
 どんな、仕事であろうとも……。


 紙に書き留めた住所の喫茶店は島根大学の近くにあり、想像とは違って割と入り
やすい雰囲気だった。窓ガラスがはめ込みの、大きな窓が印象的だ。
 扉を押すと中からの冷気が全身をなでていった。首筋の汗が一斉に引くのを感じ
ながらせわしなく店内を見渡す。電話で"情報屋"に教えられたとおり背の高い観葉植物が
幾つか置かれ、他の座席と一線を画すテーブルが見えた。
 カウンターでグラスを拭いていた男――一瞬ドキリとさせられるくらいの美形だ――に
「アイスコーヒー下さい」と伝えてから、大村信也はその席へ急いだ。
「じゃ、これが紹介状となりますので、初出勤の際に提出していただければ結構です。
お疲れ様でした。頑張って下さいね」
「どうも、ありがとうございました。失礼します」
 そんな会話が聞こえて来た。観葉植物の手前に立っていると、淡いピンクのスーツを
来た女性が紙を手に通り過ぎて行った。主婦のようだ。自分と同じく仕事を探しに来て
いたらしい。
 じゃ、間違ってないな。
 自分の記憶に自信を持ち直して、向かいの椅子へ腰を下ろした。
 そしてすぐに不安になって立ち上がった。
 目の前でひじを付いてノートパソコンをつまらなさそうに操作している女性は、まだ「女の子」
という表現をする外見だ。自分と同じ城北高校の制服を着――襟元の階級章から自分
よりひとつ下の二年らしい――、耳にはイヤホンといういで立ちは、どう見たって自分が指定席を
間違えている。
 じゃあ、さっきの会話はどっから聞こえてきたんだ?
 胸ポケットからメモを取り出して広げると、もう一度店内を見回した。
 おやつ時でも夕食時でもない平日午後半ばの店内は殆どの席が空いており、情報屋が
言った「窓際一番奥に座って銀色のパソコンいじってる、髪を二つに分けてバカヅラした
女――彼は律義に一句一句そのまま書き留めていた――が紹介屋」の条件に当て
はまるのは、どう見てもこの子しかいない。
「……えっと……オレ、大村って言うんだけど、もしかしてキミが紹介屋……?」
 女の子は仏頂面を崩さず顔を上げると、何も見えなかったかのように再びパソコン
画面に目を落とし、
「合言葉は?」
「……えっ、あ、ゴメン、えっと……居場所探してます」
「はーい、見つけまーす」
 やる気どころか眠気に満ち満ちた発音でそう言うと、"紹介屋"はコーヒーを運んで来た
ウエイターに「紫さん、私いつものメニュー」と告げた。ウエイター――紫が笑って「いつもの、
な」とウインクして戻って行った。
「困るのよねー、ちゃんと時間と規則は守ってもらわないと。一時間も遅刻。情報屋が
念押ししたでしょ。時間に遅れるな、合言葉を最初に言えって。そんなんじゃ仕事もらっても
うまく行かないわよ。あ、私は美加ね。初めてだから仕方ないけど、以降紹介屋って
呼ばないで。その名前嫌いなの」
 ピンク色をした形の良い唇から次々に言葉が飛び出してくる。見とれていた自分に
気づいてあわてて反論しようとしたら、メモ帳程度の紙片を一枚突き付けられた。
「これ、書いて。条件はいくつ書いてもいいけど、それだけ探すの厳しくなるから。
第三希望までが普通ね。えっと、就職? バイト?」
「あ、バイト。出来れば短期で、希望額は…」
「ストップ! そういう希望を書けって言ってるんだってば」
 美加は手を開いて大村を止めると、パソコンを隅に寄せた。店内の照明に輝くその
ボディは手入れが行き届いているのか、くもりひとつない。しかもマウスは最新の
コードレス型だ。
「はい、美加ちゃんお待たせ」
 書類を書き込む大村の目の前に、見る見る内にたくさんの皿が並んだ。
「えっ、ちょ、俺こんなに食えないよ」
「バッカじゃないのあんた! 私のよ、私の!」
 そうは言っても、山盛りカレーにサラダの大皿(多分ファミリーサイズだ)、スパゲティに
特大パフェ、ケーキがずらりと並んでは、一人分という方が嘘つき呼ばわりである。
 美加は制服を着ていても分かるほどほっそりとした体つきをしている。裾からのぞく
手首も、自分の半分くらいしかないんじゃないかと思う。美人というよりかわいらしい顔の
部類だ。――あ、いやこれは関係なかった。とにかく、こんな体のどこへこれだけのものが?
「コーヒーの他に何かお持ちしましょうか?」
 あっけにとられて眺め回していたら、紫が声をかけてきた。大村は目の前の光景に
思わず、「胃薬下さい…」とつぶやいていたのだった。


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