多分花鳥風月→金田一、コナン的読み物ページ→小説置き場→オリジナル小説目次→ヒューマンハローワーク1-2
「じゃ、これね」
簡易プリンタから吐き出されて来た書類に、素早くサインを書き入れると美加はもったい
ぶって大村に渡した。目の前のOA機器を珍しげに眺め回していたこの男は、弾かれた
ように顔を上げてそれを受け取った。
「あ、ありがとう!」
「依頼料の領収書、いる?」
最後にこう聞くことになっている。リストラされた親父にバイト職を紹介した場合なんかは、
確定申告に必要だとかで後で請求しに来たりする。それも面倒だから確認するのだ。
「あ、いや、いいよ」
何を急いでいるのか、テーブルや椅子に体をぶつけながら立ち上がる。余程そそっかしい
性格のようだ。パフェのグラスが傾いで、あわててそれを手で押さえる。透明なマニキュアを
塗った爪が当たってキン、と鳴った。
「じゃ」
軽く頭を下げると、ドアにつけられたベルを派手に鳴らして出て行った。
「何だかあわただしい人だね」
「紫さんもそう思う?」
グラスに水を注ぎながら紫が笑った。彼の微笑みは、理想の男性像をメガネかけた
エリート、とする美加でも時々見とれてしまうくらいきれいだ。
彼は美加がここの常連になる前から働いている。店主がホストクラブから双子の兄と
共に引き抜いてきたとかで、美形で愛想がいいとくれば学校が終わった時間や休日
など、この喫茶店オーレに女性客が大量に押し寄せてくる。そして、代わりに男性客が
訪れる目的と噂されるのは――。
「あら美加、仕事は終わったの?」
振り向くと、カウンターの奥からアリサが出てくるところだった。オーレの店主である。
少し前流行した言葉のような、出るところは出て締まるところは締まっている、いわゆる
ナイスバディというやつ。おまけにとびきりの美人ときているから、よくグルメ雑誌の男性
記者が鼻の下をのばしながら取材と称して通ってくるらしい。自分とは大違い――とは、
女のプライドもあるので言わない。
「うん、今日の分はね。やんなっちゃうよねー、不景気のお陰で私達の仕事は増えるし、
客は無茶な注文付けてくるし」
「好きで始めたことでしょ。文句言わないのよ」
アリサは紫に、「コーヒー入れて」と声を掛けると美加の向かい側に腰掛けた。
「それはそうと、さっき情報屋のところにも行ってきたけどね、M商事の登録、取り
消すわよ」
「というと、やっぱ?」
「ビンゴ」
アリサが右手を銃の形にして、美人女優顔負けのウインクをした。
「脱税やってるわ。それもかなり前から。それで赤字とかいって人材派遣を要請してくる
んだから、タヌキもいいところだわ。別に脱税しようが何だろうがかまやしないけど、
ウチにウソつくなんてどーゆー神経してんのかしら」
アリサはぷりぷり怒っている。「アタシの仕事が増えるんだから」
美加が、仕事を求めてやってくる人間に適切なものを紹介する――だから紹介屋と
言われているのだが――、つまり窓口であるのに対し、アリサは求人依頼登録を情報屋に
頼んだ企業のウラを探る、"仕事屋"を受け持っている。美加達に求人を依頼した会社は、
彼女らの的確な人材派遣で業績がグンと伸びることから、口コミで噂を聞いた登録希望が
最近増えてきた。この不景気の中、やみくもに求人を出して使えないと解雇を繰り返すよりは、
登録料を払っても働ける人間をすぐ手に入れて利益を上げたいということだ。
ただ、本当に依頼内容が正しいかチェックしておかなければ信用問題にかかわる。
その為登録があるごとにアリサが調査することになるのである。彼女の言う通り、ウソを
ついて登録依頼した場合は二度と求人を出すことが出来ない。
それが美加達、ヒューマン・ハローワークのポリシーだ。
「アリサさん、今日紫苑兄貴一時間出てくるからって」
コーヒーを置きながら紫が言った。
「わかったわ。庵クンは?」
「もうすぐ帰って来ると思うけど」
庵は紫の双子の兄にあたる。そして紫苑は彼ら二人の兄だ。この三人、一体何を
食べて育ったらこんなにきれいになるのかというぐらい、日本人離れした美形である。
二階に部屋をもらって住み込みで働いているのだが、下手に私室の窓を開けようものなら、
待ち伏せしていたファンのフラッシュの嵐にあうともっぱらの噂だ。
「やっぱもう一人やとわなきゃダメね」
コーヒーにミルクを入れてかきまぜながらアリサがため息をつく。アリサが調査に出て
いる間、店を任せ切りにすることが多いし、二十四時間営業というこの辺りでは珍しい
営業形態のため、接客で完璧なうえに少しはボディガードも出来なくては駄目なのだ。
三人だとなかなかに忙しく、なまじ兄弟なだけに休暇のことでモメるらしい。
「ウチに依頼してみる? 応募があるかもよ」
「自分で探すわよ」
アリサがペロリと舌を出した。
本日の就職紹介者リストを作り終え、保存してからパソコン――伽那(きゃな)、という
名前をつけている――の電源を落とすと、美加は腕時計に目をやった。四時半。十七歳の
高校生が帰宅する時間には少し早いかな。
「あ、そういえば美加、今日期末テストが返ってくる予定だって言ってなかった? ちゃんと
細工した?」
「いけない」
今度は自分が舌を出して、あわててしまいかけた伽那を取り出す。立ち上がるのを
待って、「テスト」と書かれたファイルを立ち上げる。専用の紙をカバンから取り出し携帯用
プリンタに接続した。
「いつも大変ねぇ」
空になった皿やグラスを持って立ち上がりながらアリサが笑った。紫からふきんを受け取り、
テーブルの上を手際よく拭いていく。
何にしよっかな、とつぶやいて、苦手科目だということにしている数学のテスト問題を
プリントアウトした。印刷されて出てくる用紙に適当に書き込んでアリサに渡す。既に
ペンを持って待っていた彼女が「殆ど空白ねぇ」と笑いながら採点を始めた。
美加は、高校には行っていない。高校生を装っているだけだ。だから朝家を出るときは、
通学していることになっている高校の制服を身につけているし、伽那や仕事に必要な
ものを忍ばせた学生用のカバンも持っている。それがいつしか仕事着のようなものに
なってしまった。
父親が早くに亡くなり、その保険金や海外に住む祖父母の支援で母小夜子は働きに
出ることもなく、つきっきりで美加と大介を育ててくれた。もともとハムスターのような
おっとりした性格の母は、どこかのんきであまり美加に学校のことを聞かない。だから
何とかごまかせているのだと思う。
「はい、二十五点。もっと勉強しなさいよ」
「いいんだもん。数学なんて生きていく上で何も役に立たないんだから」
今頃空腹と眠気を必死に我慢しながら授業を受けている同世代の人間たちは、
何が楽しいのだろうと思う。
今日みたいな、初夏の風が吹き太陽の光に顔がほころぶような天気の中、
コンクリートの建物に閉じ込められて満足しているとは思えない。
大介は美加の将来を心配して学業の大切さをこんこんと解くが、望んで選んだ
道だ。どうこう言われる筋合いはない。
「いらっしゃいませー」
紫の明るい声が響いた。観葉植物に遮られた向こうを覗くと――情報屋だ。
一八二センチ、長身の体を面倒臭げにゆらして歩いてくる。
入り口付近のテーブルで、紫を見ながらヒソヒソ話をしていた主婦らしき二人組が、
アラ、と赤い頬をさらに色濃くした。彼もまた、紫達とは別タイプの整った顔立ち
だからだ。ただ、何がそれほど彼を怒らせるのだろうというくらい愛想は悪いが。
相変わらず不機嫌な顔のままやってくると、アリサの隣にどすんと座った。
「いつもの」
アリサがうなずいて紫に伝える。
「疲れた」
単語でしゃべってゴソゴソとズボンのポケットを探った後、畳まれた紙切れをテーブルの
上に投げ出した。
「抹消」
見ると、一ケ月前に登録を受け付けた数社の名前が書いてある。契約違反があった
わけでもなく登録抹消になる会社は、情報屋が秘密裏に依頼を引き受けたもので
あることを美加は知っている。つまり――まっとうでない仕事。
危険度レベルA、生命の危険有りともなればなかなか応じられる希望者もないため、
情報屋が果たすことが多いのだ。
犯罪に関わる求人を引き受けるのは、美加にとっては苦痛でしかない。たとえ殆ど
情報屋が片付けてしまうといっても、罪悪感が消える訳ではないから。
《金に困った奴は、生活のため家族のため犯罪を犯す。それが嫌なだけだ》
そう言って仕事を処理する二人の、不器用な優しさだということは知っている。幸せな
家庭を持つ人間が一時の感情で、一生消えない十字架を背負うことのないように。
けれど。犯罪に関わるということは、間接的にでも誰かの幸せを破壊する。矛盾を
分かっているはずなのに平然と仕事を遂行する二人には、未だゾッとさせられる時がある。
そんな美加の複雑な心中を知るはずもなく、情報屋はアリサと言葉を交わしていたが、
「……へえ」
テーブルの上に置いたままにしていたテスト用紙に気づくと、初めて表情が動いた。
仏頂面かポーカフェイスが多い彼の、こんな顔を見るのは珍しい。
「まだ学生のふりしてるのか」
「うっさいわねぇ」
からかわれてぷうと頬をふくらませる。
「それはそうと、最近裏関係の依頼が多くてな」
「――ドラッグ?」
声を潜めてアリサが尋ねる。情報屋は運ばれて来たコーヒーを一口飲んでから、
「ああ」
と言った。「足がつくと面倒だからな。裏の仕事に関しては、俺達の紹介をしゃべるような
素人に紹介をするなよ。それから、遂行出来ないような奴にも」
「分かってるって。能力を見極めるのが私の仕事なんだから」
肩をすくめて登録抹消の終了した画面を閉じると、美加はそう返した。
過去のミスがありありと脳裏に浮かぶ。己の未熟さが招いた、依頼人の死。
美加に求人依頼をした会社が実は密売を扱う組織で、秘密を知り明るみに出そうとした
依頼人の口を封じたのだ。美加自身にも危険が迫ったその時、この目の前の二人に
助けられた。
「子供の遊びでこの世界に首を突っ込むな」と言われたけれども、「ミスをそのままに
して逃げ出すなんて嫌だ」という美加のかたくなな態度に結局二人が折れた。もう、
二年も前の話だ。
大して中身の減っていないカップをソーサーに戻すと情報屋は、
「疲れた。寝る」
とテーブルに手をついて立ち上がった。顔にかかる前髪を邪魔そうにかきあげて
「明日、五人な」とつぶやくように言ってきびすを返した。
「もう少し愛想が良ければ、ウチに入ってもらうんだけどなぁ」
ため息交じりにアリサがつぶやいた。
「接客業は向かないって、絶対」
紹介屋の口調で、冷静に美加は言った。
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