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「次は美保関、終点でございます」
バスの間延びしたアナウンスがそう告げた。ほどなくちょっとした駐車場くらいの
広さがある停留所に着いた。
下車して眺めていると、行く先の「美保関」の文字が上にあがっていき、「松江駅」が
下から出て来た。しばらく止まっていたが誰も乗るものがなく、バスは黒い排気ガスを
吐き出しながら今来た道を走り去った。
色あせに苦労しながら時刻表を見ると、次の松江駅行きは十一時半。あと二時間も
あれば何とかなるだろう。
空に手を伸ばして大きく深呼吸をした。
「帰ったら、来月発売のCD予約しにいかなきゃねー」
つぶやいてみたが、心細さを再認識しただけだった。
成功の確率すら見えてこない。
灯台方向に背を向けて車の影もない直線道路を見渡すと、少し先に細い脇道があるようだ。
近寄ってみると切り立った山肌が少し途切れていて、草がぼうぼうに生えた中に
注意深く見なければ分からないようなわだちがあった。
"ここから先私有地につき、立入りを禁ず"という文字が書かれた木の板が脇に指してある。
長いこと放置してあるのか、腐りかけて傾いている。
情報屋がFAXしてくれた地図の特徴と合っていることを確認し、よし、と足を踏み出す。
スニーカーの下で草がガサ、という音を立てた。後ろの美保湾から潮風が吹いてきた。
この季節、汗をかいているところへ吹かれるとその時は良くても後でベタベタして不快に
なるものだが、今日は薄曇りであまり汗をかいてないせいか、さわやかな涼風そのものだ。
一応補習中と言っているので家を出るときは制服だったが、市外に出ればさすがに
目立ってしまうから途中公園のトイレに寄って私服に着替えた。山歩きに適した服装だ。
三十分も歩いただろうか。スニーカーとジーンズから植物特有の匂いがし始めたころ、
曲がりくねった山道の向こうに、情報屋の家と良い勝負の外装をした一軒家が見えて
来た。家というよりはお化け屋敷という方が誰も納得するだろう。多分これが組織が
使う取引場所に違いない。カモフラージュとしてはぴったりだ。
太い幹に体を寄せてジーンズをはたきながら、あたりの気配を伺う。鳥や虫の鳴き声と
木立のざわめきが聞こえるくらいで、人はいないようだ。
玄関前にはジープが一台止まっていた。
確かに、普通車じゃ大変そうだな。道って言っても今歩いてきたのと同じぐらい草が
茂ってるものね。
いらぬ心配をしている。
ツタがびっしりと張り付いた壁を眺め回して、いかにも間違って入り込んでしまった
散歩客のふうを装って一旦通り過ぎる。すばやく玄関から見えない場所に回ると、茂みに
隠れて近づき、そっと窓を覗いてみた。
思った通り内装はきちんとされており、絨毯が敷かれ、ヨーロッパ風のチェアが
いくつか置いてある。その一つに、こちらに背を向けて男が座っていた。ゆらゆらと上体を
ゆらし、退屈そうな仕草だ。時折チラリと見える黒い物は、ProXXPとかいう拳銃だろうか。
先日の銃撃事件を思い出す。あの時、情報屋に形状を聞いておけば良かった。まあ
聞いたところで、あまり外見では他のものと区別出来ないから、気休め程度にしか
ならないだろうが。
あれで撃たれたら大変だ。確か改造して殺傷能力が高くなっているとか。
――それより大村を見つけなくては。
背中のリュックからスカーフを取り出すと虫よけに口を覆い、腹ばいになった。
森の中だけあって蝉の声がうるさく、多少の音で気づかれないのは幸運だったが、
立ちのぼる草いきれに胸がムカムカする。地面を這うように進んでいるからなおさらだ。
「――!」
裏側に回ろうとしたら突然草むらが途切れて、あわてて動きを止めた。崖になって
いる。気づかずに進んでいたら転落していた。
上半身を延ばして覗くと、崖に面した壁にも窓があった。犯罪者の心理からして、
何か隠すとしたらここだろう。家の一番奥の部屋であり、ドア以外の脱出口である
窓の下が崖なら、これほど警備の楽なところもない。
リュックの非常用キットから壁伝い用の道具を取り出して後はしまった。直径二十
センチほどの吸盤を手足にきっちりはめると、注意深く壁に手を押し付ける。引っ張って
取れないのを確認し、足も同じようにくっつけた。ヤモリのようにそろそろと移動して、
窓を覗いた。
いたいた。
ロープで縛られ、さるぐつわに目隠しまでされた大村が床に転がっていた。段ボール
箱や戸棚があるところをみると、何かを隠すならここという憶測は当たっているらしい。
確認している暇は無いが、ここにあるものは恐らく表に出せないものばかりだろう。
室内に人気がないのを確認してから、ポケットからガラス切りを取り出し、穴を開けに
かかる。静めたはずの緊張が手を小刻みに振るわせ、何度かガラスに刃をぶつけて
焦った。
気配に気づいたのだろう、大村がもぞもぞ動いた。ロックを外し、埃だらけの床へ降
り立つと、こちらを見上げるように顔を向ける。
「静かに。気づかれちゃうでしょ」
耳に口を寄せてヒソヒソささやくと、すぐにうなずいた。拘束していたものをほどいて
やると、その跡をさすりながら起き上がった。
「ひどい目にあったー」
その言葉がウソでない証拠に、目の下にクマが出来ている。頬が少しこけているのを
見ると、昨日から何も食べ物を与えられていないのかも知れない。
「よくここが分かったね!」
そう問う声は嬉しそうだ。
「これでも一応プロだから。こんなふうに忍び込んだりするのも慣れてる」
声を忍ばせながら答える美加は気が気ではない。早く逃げなければ命が危ないと
いうのに、目の前のこの呑気な男は危機感をかけらも持っていないからだ。
「さあ、逃げよう」
促して立ち上がらせると、ドアの施錠を確認した。誰かが鍵を開けて入ろうとしても
すぐには開かないように、鍵穴に瞬間接着剤を注入すると、窓へ駆け寄った。
問題は、大村をどうやってここから出すかである。下を見ると、崖は結構深い。降りても
登れるところはなさそうだ。
なら上は。身を乗り出して見上げると、これなら何とかいけそうである。先に自分が
上って、ロープを垂らすことにした。
するすると屋根にたどり着き、携帯用ウインチと滑車をセットしてロープを垂らす。
素人だから気を遣って、足掛けを付けてやった。これに足を引っかけてじっとして
いれば、後はウインチが巻き上げてくれる。
足元でトタン特有の音がして飛び上がった。
どっと出た冷や汗をぬぐい、ゆっくりとロープが巻き取られていくのをいらいらしながら
見守って、やっと大村の姿が屋根の上に現れた。ところどころ穴の空いたトタンを苦労して
こちらへやってくる。
「君ってすごいんだねぇ」
ウインチを眺めて感心することしきりである。コンパクトで自動巻き取り式のこれは、
情報屋会心の作だ。もちろんこんな高性能のものは市場に出回っていない。
「ほめるのは無事帰ってからにしてよね」
素早くしまい込んで、美加はハッと体を伏せた。ボケッとしている大村をあわてて押さえ
付ける。
林の向こうから数台のオフロード車が現れた。日本最大の生産数を誇るメーカーの
ものだが、スコープで覗く限り運転手も同乗者もまともな目をしていない。
「……やばい」
昼間に取引するなんて悪党らしくないじゃない、と抗議したところて知るか、と言い
返されるのが関の山だ。
降り立った男達は合計六人。中と合わせると七人だ。どこかの童話ではないが、
迷い込んだとしてもあまり森の中では鉢合わせしたくない顔である。
何か、カタカタと連続的な音に気づいて美加は視線を戻した。自分の震えが屋根に
伝わっていたのだ。
意識よりも体が危機感に気づいている。
そう思った。それでもやらねばならない。
家の中へ入っていくのを見届けて、美加は「逃げるわよ!」と促してロープを伝い、下へ
降り立った。ずり落ちるようにして大村が降りてくる。着地に失敗してお尻を打った。
屋敷の中から声が聞こえて来た。あの時に聞いた、打ち上げ花火にも似た音が響いた。
武器にものを言わせて部屋のドアを開けたらしい。続いて大勢の足音。
玄関が開く音と同時に間一髪、離れた茂みに飛び込んだ。周りを木々が囲み、
ちょっとした死角になっている。ここをまっすぐ突っ切れば、何とか元の道路に出られる
だろう。
――それまで男達が家周辺を探していてくれればの話だが。
「行こう」
大村を促して注意深く前進を始めた。生い茂る草を少しずつかきわけて、大村が進み
やすいようにしてやる。顔に当たる草を手で避けて、苦労しながらついてきた。気づいて
スカーフをむしり取り、大村に手渡した。
焦りが美加を早く早くとせきたてる。男達が今にも耳元でささやきそうだ。
今度は逃がさないぜ――と。
あの時彼の手が汗で滑らなければ。
もう一瞬早く陰に飛び込めていたら。
わずか十センチ目の前を飛んだ銃弾は、男の命を避けてはくれなかった。
突然かきわけたつもりの草がしなって頬に当たった。反射的に目をつぶる。ムッとする
匂いとともに、汗ではない液体が頬を伝い落ちるのが分かった。
頭上では相変わらず蝉の声がやかましい。まるで耳鳴りのようだ。それは誰を責める声
なのだろうか。
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