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「あの……」
 重い口を開きかけた時、足立の後ろでけたたましく電話が鳴った。失礼、と足立が
上半身をひねり、手を伸ばしてデスクの電話を取る。
「はい、生活安全――は? はいっ!」
 突然足立が直立不動になった。コードが引っ張られて電話機本体が落ちてくるのを
山本があわてて受け止めた。
「山本さん」
 受話器の下を押さえて山本に手渡すと、足立はそのまま突っ立っている。
「はい?」
 同じく山本も棒立ちになるに当たって、美加は催眠術でもかけられたのかしらん、と
首をかしげた。
 手に持っていた電話機に受話器を戻した山本は、そっとそれを机に置いた。額に
汗がにじんでいる。
「大変失礼しました! 本部長のお知り合いとは存じませんでした!」
「はあ?」
 先ほどとはうって変わった、腫れ物にでも触るかのような扱いで署を出ると、太陽は
既に住宅街の向こうへ隠れた後だった。建物の輪郭がぼんやり分かる程度の
暗がりに、ライトを点けたタクシーが止まっている。
「こちらでお帰り下さい」
 走って行って足立がドアを開けた。まるで関節が九十度にしか曲がらなくなったんじゃ
ないか、というような動き方だ。
 状況が把握出来ないまま、それでも取り調べを続行されて下手にボロを出すよりは、
と黙って乗った。
「あ、えっと、とりあえず島根大学まで」
 誰にでも分かる自宅近くの目印を告げて、美加は力が抜けるのを感じシートにもたれ
掛かった。
 ドアが閉まり、車がスタートすると二人が深く頭を下げるのが目に入った。
 確か本部長というのは、県警本部のトップを指す肩書だったはずだ。もちろん面識は
ない。
 頭の中で目まぐるしく登録会社や依頼人のリストをめくってみるが、警察関係者の
名前があるはずもない。アリサか情報屋の方だろうか、と思い当たった時「着きましたよ」と
いう言葉と共に車が停止した。えらく早い到着だと思ったら、少しうつらうつらしていた
ようだ。
 礼を述べて料金を払おうとすると、チケットをもらっていると言う。
 そこまでされるほどの義理があったかしらん?
 降りてすぐに携帯が鳴り出した。ディスプレイには仕事屋と表示されている。
「はぁい。家に着いた?」
 そういえば伽那にはもしもの為に発信機が入れてあるのだった。帰宅していないことを
知り、情報屋が追跡したのだろう。
「ねえ、本部長と知り合い?」
 その問いを分かっていたかのようにアリサの笑い声がした。家の中に入り、迎えに出た
母に電話中であることを示してから二階の部屋へ向かった。
「で?」
 保留を解除して返事を促すと、笑いながら教えてくれた。
 結構前から、求人募集の企業と就職希望者の間に立ち、仕事を割り振る専門の民間人
がいる、ということを警察は知っていたらしい。会社として届け出がないためもしかしたら
非合法なこともやっているのではないか、と内偵はしていたのだが、美加達に頼んでから
利益率が上がったという各企業の猛反対と、失業率減少に一役買っているという本家
ハローワークの一声により、新しいビジネスとして見守ることにしたのだそうだ。その後、
若い身空で頑張っている、と警察内部からも絶賛する声が上がり、本部長も感激した
一人だという(ただし裏の仕事依頼まではさすがに知られていないとか)。
 追跡の結果松江署にいることが判明し、アリサが美加の仕事仲間を名乗り、本部長宅に
電話を入れて事の顛末を告げたらしい。
 明らかに私情を挟んだ職権乱用行為なのだが、別に美加が麻薬密売に手を貸した
――胸を張ってそうでないとも言い切れないが――わけでなし、世間を騒がせている
不祥事に比べたらまあ許される範囲だろう。
 災難なのは足立と山本である。県警に睨まれると出世に響く。しかも本部長。誰も
美加のことを教えてくれなかったのだろうか。
「ついていく必要なんてなかったのに」
「昼間の襲撃の件もあるし、余計な疑いを持たれるのが面倒だったの」
「ヒューマンハローワークの者です、って言ってればそれで終わりよ」
「だったら早く言っといてよ。私だけ知らなかったんだから」
 冗談交じりに文句を言いながら、思ったよりも自分の名前が知られていたことに密かな
満足を得ているとアリサが、大村の居場所が分かったと告げた。
 あわてて本棚から地図を引っ張り出す。美保関の方よ、と彼女が言った。
 松江市から国道四百三十一号線を北東の方角へ向かうと、島根県最東の町、美保関に
たどり着く。平成四年に落下したことでニュースになった、美保関隕石を展示するメテオ
プラザと、七福神の一人、えびす様を祭る美保神社で知られている。
 そのさらに行ったところに美保関灯台がある。美保神社から灯台までは、片側が海、
片側が山の地肌という、どんなに天性の方向音痴でも迷いようがない一本道であり、
灯台へ来る観光客以外殆ど人気がないという。私有地へ続く脇道も二、三あるには
あるが場所柄生活するには不便なため、誰も住んでいない森林だということだった。
「そこに組織の取引場所である朽ちかけた屋敷があるわ。多分彼はその中にいる」
 名前を出さずに彼女はただ組織とだけ言った。
「どうしても行くの?」
 声がふと、心配そうな色を帯びた。
「――すぐには殺されないと言った情報屋を信じて、今日は遅いからやめにするけど、
明日すぐに向かうわ。やっぱり後味悪いもん」
「そう」
 それ以上何も言わずに電話は切れた。彼女もまた、無駄なことはしないプロなのだった。
 階下から、食事の準備が出来たと小夜子の声が聞こえてきた。
 携帯をベッドに放り投げて、美加は部屋を後にした。不意に、昼から何も口にして
いなかったことに気づいた。


 はやる気持ちは有る。しかし同じくらい、行きたくないという気持ちも有る。
 他人のために危険を冒す。
 少なくとも美加は、それを抵抗無く出来るほど他人思いではない。
 ベッドの上でひざを抱え、時を刻む壁時計の音を聞いていた。住宅地の少し奥まった
場所に位置するこの家には、日付が変わり静まり返った今も、通りを行き来する車や
バイクの音は届かない。窓を開ければうるさいほど蝉の声でも聞こえるのだろうけれど、
同時に流れ込むだろうムッとするような熱気はいらない。大介のいる隣からも、壁が
厚いため音は漏れて来ない。
 規則正しい時の音だけが。
 八畳ほどの部屋の中、それでも美加は世界にただ一人残されているのだった。
 兄に相談したところで、ためらいつつも「行くな」と言うであろうし、何としてでも止めるだろう。
自分の命を惜しいと思うのは当然の感情だ。
それを隠して生きようとするからこそ、時に人は偽善者と糾弾される。
(私は)
 机上に置かれたままのバックが目に入った。いつもなら帰宅後に伽那を取り出し、
丁寧に拭くのが日課だった。
(私は、同情で人助けをしていたんだろうか)
 母小夜子は美加がどんなに成績が悪かろうと、どれだけ遅く帰宅しようとおよそ怒る
ことをしなかった。もっぱら大介が父親役だったこともあるだろうが、本気で怒鳴りつけたり
ましてや、手を挙げることなど有り得なかった。
 その母が。
 一度だけ美加を叱りつけたことがある。
 中学二年の運動会でチームの事情から、友人と勝負を競うことになった。運悪くひとつ
前の競技で足をひねってしまったその子は、代役がいないと聞いて「出る」といい、
スタートラインに並んだ。
 隣でその子の額ににじむ、暑さからではない汗を見、美加は意図的に速度をゆるめた。
彼女は追い越す時美加を一瞬だけ見て、後はもう振り返らなかった。
 本当に、美加にとっては些細なことだったのだが。
 ゴールで最後に旗を渡されて、照れを隠すために舌を出しながら戻って来た美加に、
小夜子はにこりともしなかった。
『なんで、ちゃんと走らなかったの』
『だって面倒だったんだモン……』
 大介が口も出せないほど、小夜子は顔を引き締めていた。普段笑顔以外の表情を
知らないのではないかというほどの母が。
『さっちゃんがどうしてケガしてでも走ったか分かる。決めたことはちゃんと守りたかった
からよ。あなたはそれを邪魔したの。自分はちゃんと走れるからって、さっちゃんを馬鹿に
したのよ』
 美加の視界が涙で曇り始めても、小夜子は手を差し伸べなかった。背中を押し、
それでもいくぶん和らいだ声で『さっちゃんに謝ってきなさい』と言った。
 随分後になってようやく、助ける気がないのなら同情などするな、ということを理解した
のだが。
(あの時は何が何でも全力で走れば良かったのだ)
 そう、小夜子なら「あらあら大変ねぇ」といいながら行くことに異を唱えはしない。
 流されて生きるのは楽だけれども、それが嫌でこんな仕事をやっているのではなかったか。
 急に表を走るバイクの音。
 止まり、駆け足、ゴトン。また駆け足、そしてバイクスタート。
 新聞配達か。
 床に目をやれば、カーテンの下からもれた光が黄金の蛇のように波打っていた。
 朝は来たのだ。


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