多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場オリジナル小説目次→総理大臣、ただいま仮免中!3-1


「ワシにもまだまだ力があったということか」
「もちろんです、御祖父様。これからも役立てて頂かねば困ります」
「老体に無茶を言うのう……」
 会話を終えて大介は、きれいに消毒された受話器を戻した。そして滅菌服の上から
軽くスーツの襟を正し、ベッドに横たわる老人へ少し上体をかがめた。
「――しかし、あの男のフリをせよとは。御祖父様の奇策には慣れたつもりでしたが、
流石に今回ばかりは肝を冷やしましたよ」
「なーに、電話くらいでは到底あのタヌキどもに見抜けるわけがない……。おうおう、
ワシもタヌキだったな……」
 老人は包帯からわずかにのぞく口を歪めて弱々しく笑った。
 運び込まれたとき既に全身は三度の熱傷を負っており、爆風で内蔵も殆どがやられていた。
総理や運転手が即死した中、彼――基山を未だ生につなぎ止めているものは、日本の
未来を案ずる心なのだろう。
 彼が政権から手を引けば、日本党は必ず先進連と手を組み、目先の利益に走る。
基山の未来まで見通した政策は、保守的な政治家達の読めるところではなかったのだ。
 このまま私腹を肥やすための食い物にされていれば、遅かれ早かれこの国は先進国の
口出しを、すべてにおいて全面的に受け入れざるを得なくなるだろう……。
「御祖父様、法案成立後のことにつきましては、俺に一任していただいて宜しいでしょうか」
「お前に任せて……失敗したことはないからな」
 包帯の隙間からのぞく薄い唇から、黄色い歯がこぼれた。おぼつかない歩き方で自分を
追いかけてきたあの日から、もうそんな歳月が経っていたのかと回想でもしているのだろう。
「……大介」
「何でしょう、御祖父様」
 ベッドサイドの機械に一瞥をくれて、大介は祖父を見た。
 首相官邸で明日の予定について他の秘書達と確認しながら、総理と祖父の帰りを待って
いた。明日行われる重大な――祖父は日本を根底から変えるのだと笑っていた――発表の
ために出かけてくるのだと。
 告げられた帰宅時刻を一時間過ぎていることに気づき、ふと眉をひそめた時、嫌な無機質の
音が内ポケットからした。急を告げる声の後ろから聞こえるサイレンは、一番現実になって
欲しくない悪夢の開始音だったに違いない。
「あいつは……何を知っていたのだろう。あの場所で随分と迷っていたようだった……。
こんなことになるのが分かっていたのだろうか……」
「正直、俺には分かりかねます。ただ、この法案は明日本会議にかけて成立させるまで、
一部の人間しか知らない事だったはず。このような事態になったために性急に可決させ
ますが、御祖父様達をどうこうしたところで法案が否決されるはずもない……最悪、無関係の
テロかも知れません」
「そうならばワシは……、あまりにも重い枷を、この国に課すことになるかも知れんな……」
 初めて聞いた祖父の弱音に、思わず大介は一歩踏み出していた。
「御祖父様、そのために俺――小野田大介を首席秘書官として任命されたのではあり
ませんか。たとえどんなことになろうとも、この国を守り通してみせます」
 気遣ってそっと握った手から、包帯のザラザラした手触りが伝わってくる。がっしりとして
大きかったこの手を祖父はよく、「これが大物政治家の手だ」と見せびらかしては豪快に
笑ったものだ。
「行く末が楽しみだ……」
 大介は祖父の癖を良く知っていた。眠くなると大きく息を吐き出すのだ。
「頼むぞ……」
 あわてて医者と看護婦が飛び込んできた。大介は邪魔にならないように素早く下がると、
耳に突き刺さるような音を発する機器を眺めていたが、くるりときびすを返して部屋の外に
出た。I.C.U.という札のついたそのドアを後ろ手に閉めると、彼は振り返らずに歩きだした。
 廊下のソファに腰掛けていた数人の秘書が待ち兼ねたように立ち上がったが、大介は軽く
右手を挙げてみせると黙って通り過ぎた。
 救急車のサイレンが激しく飛び交う。頭の中に響いてくる。耐え切れず彼は耳をふさいだ。


「!」
 しばらく肩で息をしていた。暗闇の中自分の荒い呼吸音だけが聞こえてくる。どうにか
落ち着いて、闇に慣れた目が自分の部屋ではないことを知らせる。隣で大下が規則正しい
寝息を立てているのにも気づいた。
 ああ、新しい総理の家に泊まっていたんだっけ。
「夢か……」
 自然に口をついて出た。枕元に置いた腕時計のバックライトを点灯させると午前二時。 
 ちょうど二十四時間前、夢は現実だった。
「夜が明けたら早々に帰るか……」
 大介は寝汗を拭ってそうつぶやいた。しばらく眠気はおとずれそうになかった。


「……はい?」
 意識が完全に覚醒しないまま、サイドボードでうるさく主張する受話器を取り上げて、
美奈子は感情をストレートに出した。
「お休みのところ、申し訳ございません」
「構わないわ、なあに」
 言葉とは裏腹に不機嫌な声でそう言って、美奈子は上体を起こした。ボード上の時計に
目をやると十時を指している。副総理就任お祝い会の為に明け方ベッドに倒れ込んだ身
としては、少々つらい睡眠時間だ。
「例の件、やはりおっしゃる通りでした。本当の爆破時刻は一時過ぎと推定されます。
証人も見つかりました」
「そう、ご苦労様。となるとやっぱり」
「ご想像の通りかと」
 美奈子は顔にかかる前髪をゆっくりかきあげた。
 数年前他界した父親は、このしぐさを魅惑の瞳で人々を虜にした往年の大スターそっくりだ、
と親ばかぶりをふりまいていたっけ。自分の秘書にした時も、仕事は二の次で出会う
人間毎に自慢していた。
「……結城、ついでに小野田大介のことも調べておいて。あの男、ただの懐刀じゃないわ。
そうね、強いて言うなら」
 美奈子はちょっと考えて、「忍者刀みたいなものかしら」
「と、いいますと?」
「見かけは普通の刀なのに、普通の人間には使いづらい。でも、その能力を正しく理解した
人間が使えば、一本でも一国の主を脅かすのよ」
「左様で」
 結城は滅多に感情を表に出すことがない。そういう男なのだ。相手に感情を読まれたら
終わり、というこの世界では、うってつけの秘書といえる。
「何か、弱みが出てくるといいんだけど」
「承知しました」
 電話が切れた。美奈子はそれを戻すと、ゆっくりベッドから立ち上がった。
 小野田大介には借りがある。
 首相就任挨拶の後、ヤジが飛び交い大騒ぎの会議場をこっそり抜けて圭にちょっかいを
出そうとしたら、「先に行って下さい」という言葉と共に圭の背中を押した彼に立ち
はだかられた。
「総理の邪魔をすることは許さない」
 敵意のこもった視線と共に突き付けられた写真は破り捨てても、まだネガが残っている。
かといって従うのもしゃくだったから、だんまりを決め込むことにした。
 でも、要は表立って私が手を出さなければいいのよねぇ。
 借りは百倍にして返す主義だ。
 グラスに水差しから水を注ぐと、不快でない程度に交ぜられている香料が鼻をくすぐった。
「別に総理のことなんて邪魔はしないわよ」
 人知れず笑ってグラスの水を飲み干した。
 何も知らない総理に乾杯、と。
 
 
「ハッカー問題ですか?」
 コーヒーカップに伸ばしかけた手を止めて大介は聞き返した。
 パソコンデスクに置いたコードレスホンから、吉田事務副長官の困ったような声が流れてくる。
言葉と動作が切り離せない彼は実際、受話器の向こうでしわだらけの顔に困惑した表情を
浮かべているだろう。
「ええ、今朝大蔵省の事務次官が怒り狂って電話してきまして。早急に総理から警視庁へ
働きかけていただくようにと」
 大介はコーヒーを一口飲んだ。受話器からはこちらの言葉を聞き漏らすまいというような
雰囲気が伝わってくる。
「冷静になれとお伝え下さい。被害に遭っているのは大蔵省だけではないんです。
それに、総理が口を利いたりしたら、目下鋭意捜査中の警視庁の顔をつぶすことに
なります。そうでなくとも不祥事続きで警察はプレッシャーを感じていますし、警察の
キャリア組と大蔵省官僚の対立なんて、スキャンダルを狙う記者達の格好の的ですよ」
 向こうが沈黙した。吉田はもともと大蔵省からの出向である。立場は分かるが、大蔵省は
先日天下り組の件で散々叩かれたばかりだ。今また余計な口出しをすれば、消え掛けた
火にガソリンを継ぎ足すようなものである。
「それより明日の事務次官会議ですが、終了次第報告をお願いします。総理は告別式
参加の後、挨拶周りの予定となっていますので、夜に閣議の説明をしたいと思いますから」
「……分かりました」
 恐らくは切れた電話の向こうで吉田は顔を真っ赤にしているだろう。
 いい気になるなよ。
 そんなセリフが聞こえてくるようだ。
 前総理と基山死亡のニュースが永田町を駆け巡った時、基山宅にあれほど押し寄せて
来た記者や政治家達も、新総理が発表されるとあっと言う間に姿を消したらしい。
電話に出た母がそう言っていた。
 政界とはそんなものだ。実権を握るのに必要なものは、コウモリのような変わり身の
早さと、政敵の弱みを掌握すること。奴らはそれを忠実に実行しているに過ぎない。
 新法案を可決するために使った奥の手は、基山の死が明るみになった以上何の役にも
立たない。基山の名の下にいつ秘密を暴露されるかと従った政治家達は、今頃胸を
なでおろしているだろう。
 これからは本当に圭自身が、日本という船の舵を操らねばならないのだ。
「政界の新星、か……」
 パソコン画面ではスクリーンセイバーが作動していた。大介は受話器を取り上げ、
基山宅の番号をプッシュした。数回もコールしないうちに相手が出た。
「はい、基山でございます」
「――母さん」
「大介? どうしたの?」
 放任主義であっけらかんとして、どこか少女の面影を残す母の声も今日ばかりは
いつもの明るさがない。
「俺、明日の告別式には総理と一緒に顔を出すから。息子として出てやれなくて
悪いけど」
「何言ってるの。気にしないで。御祖父様も分かっていらっしゃったから、あなたが
気にする必要ないのよ」
 鼻をすする音が聞こえた。それは父を失った悲しみなのか、それともこんな時でも孫と
名乗りを上げられない息子に同情したからなのか。
「犯人のことは、警察が調べてくれてるから。俺も調べてみるけど。うん、大丈夫だよ。
じゃあ父さんによろしく」
 受話器を充電器に戻すと、立ち上がって窓のカーテンを開けた。
 二月も半ばというのに、五月晴れを思わせる快晴だ。そういえば今年に入って
雪らしい雪を見ていない。
 祖父が大介を政界に誘ったのは、ちょうど大学三回生になる年のことだった。どんな
考えがあってのことかは分からなかったが、すぐに要領を覚え、ちょうど政権交代した
総理の第一秘書に抜擢された。もっとも実質上政権を握っていたのは基山であったが。
 父が婿養子となったため母の名字は基山のままだったが、祖父の力をよく知る両親は
わざと大介を父の姓で育てた。それは政界入りしても基山の力と切り離した評価を得る
のに役立った。だから政界で彼と基山の関係を知る者はいない。たまたま探る者が
いても、基山がその力で押さえ付けてきた。
 だが、そうまでして基山が目指していた未来はもう叶えられることはない。
 大介はそれだけが気掛かりだった。
 いくらコンピュータが選んだとはいってもたかが十七歳の、それも政治の知識のない
人間に舵を渡してしまうのはあまりにも無謀ではないのか。
 彼は何を期待していたのだろう。
 わずかに開けられた隙間から入り込んだ風は、不安を拭い去ってはくれなかった。
 思い出したように大介はマウスを操作してスクリーンセイバーを解除した。現れた
画面には、ハッカーによって書き換えられた大蔵省ホームページが映し出されていた。
 

 二月二十二日、土曜日。
 圭にとって学校で居眠りした一時間よりも早く一週間が過ぎ去った。最初の何日かは、
総理就任の挨拶回りであちらこちら引きずり回されているうちに、勝手に時間が
経ったという思いだった。
 結局学校の方はしばらく休学ということで、文部省とも折り合いが付いたのだが、
一部で鬼教師と異名をとる数学教師の鶴の一声によって、ありがたい宿題の山を
いただくことになった。――全然ありがたくない。
「では、よろしくお願い致します、総理」
「本日はお忙しいところおいで下さって、ありがとうございました」
 ドアが閉まるのを待って、圭は大きく息を吐き出しながらソファにくたくたと腰を下ろした。
今なら陸に上がったタコの気持ちが分かる。
「お疲れ様でした」
 秘書室の人間をまとめ上げている主任の今田が、笑いながらお茶を取り替えてくれた。
縁を持つとそんなに熱くない。気を利かせてぬるくしてあるようだ。彼女はいつもきっちりと
髪を後ろでまとめ、服装にも細かく気を配っている。政治家の間でも彼女の評価は高い
のだと、大介に聞かされたことがある。
「ありがとうございます」
 礼を言って飲み干すと、見送りに出ていた大介が戻ってきた。
「大蔵省の人って、何であんなにダメダメって言うのかなぁー。景気刺激策とかゆーのを
幾つも実行するより、おじいちゃんおばあちゃんを大事にする方が大切だと思うんだけどなぁー」
「でも、大蔵省が出向いてくること自体異例なんですよ」
 手帳を広げてスケジュールをチェックしているのか、大介は視線を上げずにそう言った。
「おいでになられた時は、こめかみのあたりに青筋が浮いていましたわね」
 指で自分のこめかみあたりを指して今田が笑った。
「だって、用事がある人の方が来るのが当然って僕は習ったよ。逆に僕がお願いするんなら
行くのは当たり前でしょ?」
「大蔵省相手にそう言い切る人は初めてですよ。国の財布ですよ、あそこは。あそこが
ダメって言ったらどんな予算もつぶされるんだから」
 今田が肩をすくめた。空気が動いて微かな香水の香りが圭の鼻をくすぐった。
「政治の知識が無い分、逆に束縛されなくて結構かも知れません。官僚お得意の国税局
脅しも効きませんから」
 そう言った大介から手帳を取り上げて今田が、
「今まではあなたが決めていたようなものですものね」
「返して下さい」
 つっけんどんにそう言って無理やり奪い返すと、大介は顔をしかめた。
「今田さん、勝手に予定を書き込まないで下さい。何ですか、“今田に夕食を奢る”って」
「あら、バレた?」
「当たり前です」
 ごめんねぇーと笑って今田は出ていった。
「一応これからの予定はありませんが、今のうちに昼食をとっておきましょう。どんな予定が
入るか分かりませんから」
「はい」
 うなずいて圭は立ち上がった。

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