多分花鳥風月金田一、コナン的読み物ページ小説置き場→高遠遙一の回顧録(「高遠遙一の回顧録」より)3-2




 病院特有の、普通の建物とは少し違う空気を持つ廊下をずっと歩いていくと、幾つかの
角を曲がったと同時に赤い絨毯の敷かれたそれに変わった。
 明らかにここから先に入院している「病人」の身分を示すものである。それからしても
この病院は、かなり長い間静養の場所として使われてきたのだろう。
 壁には絵が飾られ、その中の数点は厳重な警備のされた美術館で、よく見かけるで
あろう代物だ。レプリカだろうが、数十点もあればかなりの額に違いない。
 その病室入り口には、警備員が一人立っていた。豊田が社員証を出して話し掛けると
うなずいてドアを開けたが、一達が続こうとするのは見事にブロックされてしまった。
「あ、ちょっと待って下さい。先生に伺ってみますから」
 手でネクタイをいじりながら顔を引き締め、豊田はそう言って中に入って行った。
 ドアが後ろで閉まるともう何も聞こえない。
 何かあったのか、機嫌の良い三田の了承を取り付けて豊田は彼らを招きいれた。
一が筆頭でキョロキョロしながら入ってくる。
「ほぇー」
 若草色の長毛絨毯が敷かれ、真ん中にどっしりしたテーブル。左側の壁には作りつけの
戸棚。高級そうな食器が納められている。
 まあ確かに一般人には一生縁のないところに違いない。
 しかもその部屋は応接用で、一応病室というからには大きな仕切りの向こう側にベッドが
ある。これがまた、ダブルベッドの上に特別仕様である。
 日光をまぶしくない程度に取り入れるようしつらえてある大きな窓と平行にベッドが
置かれ、小さなサイドテーブルがその脇にある。病気でない患者が収容されているせいか、
普通の病室のようなナースコールや洗面台などというものは見当たらない。
 三田はちょうど大木と話していたようだったが、豊田が一達を連れて入ってきたのに
気づくと、
「大木、お前はちょっと席を外してくれ」
「しかし……」
「うるさい。ワシが外せと言っとるんだ」
「……分かりました」
 鋭い切っ先のようなその男は、それでも客人に一礼を忘れず規則正しい足取りで
出て行った。
「いやはや、一応病人ということになっておりますんでこんな格好で失礼しますよ」
 形式的にそう言って、三田は手でソファを示した。足元の方に、一度腰を下ろせば
際限なく沈み込んで行きそうなほどスプリングが効くと評判のソファがある。もちろん
これもおいそれと普通の家庭が買えない代物だ。
 一達がそちらに座るのを見届けて、豊田は素早く椅子を引き寄せて座った。これぐらい
ずうずうしくなければライターはやっていけない。
「しかし、弱ったね。何を話してよいものやら……」
「ははっ、ま、それはこちらから質問させていただきますんで」
 と言いながら取り出したノートにペンを走らせて、さりげなく三田の目に入るようにする。
『一般人ですが、まあ差し支えない程度に。いずれ日を改めて取材させていただきます』
 流石に警察だとは書かない。
 三田も心得たもので、うなずいてみせる様なへまはせず、
「豊田君とは長い付き合いだからね。この取材ももう十回目……くらいだったかな」
「そうですねぇ。最初は確か、貴方の街のおまわりさん、という企画だったかと」
「ああ、懐かしいな。研修でH署署長として赴任した頃だな」
「あの、済みませんが」
 一が手をあげた。
「何だね?」
「たかと……」
 剣持が泡を食って口をふさいだ為、幸い彼が最後までセリフを言うことはなかったが、
三田の怪訝そうな顔に豊田は慌てて、
「た、た……高飛びしそうになった犯人を水際で逮捕された時もありましたよね」
「ああ、あれは確かK銀行強盗事件の時だったな。いやはや、現場の地道な捜査の
賜物だよ。ワシが県警刑事部長の頃だったかな」
 そうですねーとしつこいぐらいうなずいておいてから、豊田は一を睨んだ。
 まったく! 一般人、、、の口から高遠遙一の言葉が出たらいくらなんでも不自然でしょう!
 と視線にメッセージを込めたつもりだが、きょとんとしているからには全然伝わって
いないだろう。
 明智の方が、わずかに手を上げてみせたのを見ると理解してくれたようだ。
 さて何をどう聞いたものやら。双方に不自然でないように、なおかつ納得させる話題を
振るのはなかなか骨の折れる役目である。
 仕方なく口を開きかけた時、
「先生。ご注文の品を持ってきたという者が来ておりますが」
 しきりの向こうから、上品なノック音と共に大木の声がした。
「おお、そりゃワシが頼んだ出前だよ。持ってきてくれ」
 絨毯を踏む足音が近づいてきて、大木が現れた。両手でトレイを持っている。その上に
載っているのはうどんだった。
 豊田は腕時計を見て、
「まだ一時半ですよ」
と言った。仏頂面の大木からそれを受け取って、ベッドにしつらえたテーブルに載せて
やる。
「はははは。病院食もあれはあれでいいんだが、量が少なくてな。医者の方も入院
しとるからには妥協しろと譲らんのだよ。大木、お前も毎日いちいち聞くんじゃない」
 これまた言われ慣れているのか、大木は目礼して無言のまま出て行った。
「失礼しますよ」
 割り箸をぱきりと割って、湯気の上がるそれを音を立ててすすった。
「あー、俺そういやメシ食ってねーなー」
 そんなつぶやきがしたが、聞こえなかったことにした。
 と、ぐはっという声と共に三田が咳き込んだ。含んでいたものを吐き出し喉をかき
むしりながら、
「み、水をくれ……!」
とあえいだ。呼吸が苦しいのか顔は赤く染まり、舌を突き出している。丼を払い落とし
テーブルに伏せる形で背中が大きく上下している。
 慌てて立ち上がり見回すが、それらしきものがない。
「豊田さん、後ろです!」
 明智の声に振り向くと、サイドテーブルの上に水差しとコップがあった。
 気が急いて手ごと揺れるコップに水をついで差し出す。が、よく確認しなかった為か
サイドテーブルに戻し損ねて水差しは絨毯に落ち、その衝撃で注ぎ口が割れてしまった。
 三田は一気にそれをあおって「もう一杯くれ!」と言った。ゼヒゼヒと喘息のような
呼吸音が聞こえる。
 水差しはだめになってしまっている。
 廊下に出れば近くにこの階の洗面所があったことを思い出して豊田はコップを手に
走り出した。
「三田さん! どうされました!」
 三人の声もドアを閉めたら聞こえなくなった。


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