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「よおっ」
思考を仕事モードにしていたので、まさかそれが自分に向けられた言葉だとは気づかず、
肩を数度叩かれてようやく美加は振り返った。
「……何か御用ですか」
「何だよ、怒ったような顔して」
「知らない人になれなれしく呼び止められたら誰でも怒ります」
「えっ、俺大村だって。バイト紹介してもらったじゃん。忘れたの?」
にこにこと嬉しげに話す彼とは裏腹に、周囲はその大声にジロジロとこちらを見やりながら
通り過ぎて行く。こんなところで目立つのは非常にまずい。
喫茶店オーレにいない自分は普通の十七歳。しかも言葉からすれば、はやりの
エンコーをやっているようにもとれる。余計まずい。
美加は強引に路地へ大村を引きずって行った。
「あのね! 渡した規約読んだ? 日常生活において必要以上の接触はしないこと、
って書いてあったでしょ!」
「あ、そーだっけ? でもさ、お礼ぐらい言っておこうと思って」
「それは今度のバイトがうまくいってからにしてよ!」
大村に初めのバイトを紹介してから二週間。その間に二回クビになり、今紹介している
バイトが三件目という前科が有る。
「でもさ、俺の気が済まないからさ、せっかく会えたんだし何か飲み物でもおごるよ?
今日はバイト休み? まあ日曜くらいは休みたいよな」
美加はたっぷり三十秒ほど大村を眺めていた。それからやっと、「ああ!」と手を打って、
「あのね、何か誤解しているようだから言っておくけど、あれはバイトじゃなくて私の
本業なの。これでもれっきとした自営業、社会人なのよ? そこのところ、理解してよね」
「え、でも制服……」
「説明するとややこしいから、適当に納得しといてくれる?」
あごを引いてにらんでやると、思った通り勝手に何か理由を想像して答えを出した
らしい。
「んじゃ、美術館でも行こうか? あそこの喫茶店オリジナルのジュースがあるって
言ってたじゃない? 前から気になってたんだよね」
美加の言葉に大村は大きくうなずいた。
県立美術館は展示会の合間だったこともあり、思っていたほど混雑していなかった。
喫茶店も埋まった席より空席が多く、窓際に座ることが出来た。ここは景色も売り物に
している為、オーレと同じく大きなはめ込みガラスの窓である。
窓の外には散策用の遊歩道が広く作られ、その向こう視界一杯に宍道湖が広がって
いる。そこに沈む夕日は松江の有名な観光スポットに指定されているのである。これを
見るためだけに訪れる観光客もいるくらいだ。
今太陽は湖のやや上。夕日にはまだ早い。
「……ホントはこんなこと聞くといけないんだけど、どうしてバイトの条件、"大変でも
いいから時給のいいもの"にしてるの? あんたぐらいの学生もよくバイト探しに来る
けど殆ど"楽で時給良くてついでにカッコいいヤツ"って馬鹿な条件つけてくるわよ?
どうせ電話代や遊びに消えるクセにさ」
南国色、とメニューに書いてあったドリンクをストローでかきまぜながら顔をのぞき込む
ようにした。大村はちょっと困ったように笑って、
「親父がさ、二年前に死んだんだ。リストラされて、新しい就職が決まった矢先の事故
でさ。保険金とかじゃ全然足りなくて、お袋は俺を育てるために働きに出てたんだけど、
そこで男の人と知り合って今度再婚するんだ。それで、俺なりに何かお祝いをあげようと
思って」
「……へぇ」
美加は一瞬天井を見上げた。ストローをつかみ損ねて指が空振りした。
「親父が死んだ時はお袋すごくってさ、『どうしてうちの人が人違いで殺されるの』って。
自殺するんじゃないかって俺怖くて学校もずっと休んでた。泣きたかったけど俺が泣いたら
おしまいのような気がして泣けなかった。でも、やっとお袋、幸せになれそうで良かったよ。
……どうしたの?」
笑いたくても、誰かが唇を押さえてしまったかのように動かせなかった。
確かあの事件はそういうふうに片付いたはずだ。
暴力団同士の抗争に巻き込まれて民間人が銃弾に倒れたと。
何故名前を聞いた時点で気が付かなかったのだろう。家族構成だって記入データに
入っていたのに。
「な、なんでもないよ」
やっと絞り出した声を、大村は同情のあまりの驚きだと思ったらしい。
「やっぱびっくりするよな。俺も親父のことは未だにつらい過去だけど、お袋が幸せになろうと
してたらそれでいいじゃんって思うんだ」
それは、今の美加にはまぶしいほどの笑顔だった。
あんたのお父さんを死なせたのは、私なのよ?
そう告げたところで何も変わらない。彼の微笑みを――否、彼らの幸せをいたずらに
奪うだけだ。
美加はひじを付いて両手を組み合わせると、そこにあごを乗せた。少し苦労して唇の
端を持ち上げてから、
「大丈夫。お母さん絶対幸せになれるよ。こんないい息子がいるんだからね」
「あははっ。そう言ってもらえると心強いな」
大村は歯を見せて笑うと、腕時計をチラリと見てから伝票を取り上げた。
「じゃ、俺そろそろバイトの時間だから。ここ払っとくからゆっくりしていっていいよ。もうすぐ
夕日が見られるんじゃないかな?」
美加は素早く彼の手から伝票を取り上げ、
「夕日は見たいけど、支払いは結構よ」
大村がけげんそうな顔をしてそれを取り返そうとする。
「あのね。学生に支払わせる訳にいかないでしょ。少なくとも私は収入があるんだから
いいの」
「俺だってバイトしてるんだから払えるさ」
こいつ意外と頑固ね。おっちょこちょいのクセに。
伝票を頭の後ろに持って行くと美加は、
「私の方が多いんだからおごられてなさいよ」
もう一度腕時計を見てあきらめたのか、大村は背筋を伸ばした。それでも未練がましく、
「いくらだよ」
「年収一億」
大村は目を真ん丸にしたまま、あちこちにぶつかりながら店を出て行った。
深いため息と共に微笑みを顔から押し流して、美加は窓の外に視線を向けた。
同じように日本一美しい夕日を眺める見物人の間から、感嘆の声が上がる。カメラの
シャッター音も聞こえてくる。
ただ、その光も美加の心まで差し込んではくれなかった。
日差しを受けてきらめく宍道湖は、美加のお気に入り場所の一つだ。湖を挟んで向かい
側に建つ、流水をイメージしてデザインされた美術館の屋根もまぶしいほどに光り輝いている。
そよそよと遠慮がちに風が頬にかかる髪の毛先をゆらし、遠くから潮の香りを運んでくる。
宍道湖は中海と呼ばれる同じような湖を通じて海につながっていて、丁度海水と真水の
中間、汽水湖という珍しいものなのだそうだ。しかし最近は、中海干拓問題という中海を
埋め立てる事業計画が持ち上がっており、実行されると汽水湖ではなくなってしまう。
幸い中止の方向に話が進んでいるようだが、地元の利益を優先して、こんな貴重な
自然が失われてしまうことに何の感慨も持たないなんてもったいない。
湖をゆっくり眺められるように設置してあるベンチに腰掛け、カバンからコンビニの袋を
出してひざに置いた。中身を広げようとして、携帯の着信音に気づきカバンを探る。
軽快なダンスミュージックだ。
「――はい、紹介屋です」
こういう出方は好きではないのだが、情報屋にきつく言われている。本名を名乗るのは
不用心だ、と。
「先日のバイトくんのことだがね」
話に応じながらあわてて袋を脇に置くと、伽那を取り出して立ち上げた。声から相手は
見当がついている。仕事リストのファイルからすぐに該当の名前を見つけだした。
「ええと、大村信也ですね。何でしょう」
「彼、クビになったから」
「えっ」
またですか、という言葉を飲み込んで大村のファイルを開く。
紹介先リストのところには既に、四社の名前が記されており、そこに×印がつけられて
いる。つまり、四回クビになったということだ。今回を入れると五回。
相手が申し訳なさそうに事情の説明を始めた。居丈高にならないのは、美加がそういった
ミスをまったく起こさない、優秀な「職安」であることを知っているからだ。否、これで前例が
ひとつ出来てしまったが。
「というわけで、物は壊すわ配達先は間違えるわで、利益を上げるより先に損害額の
方が増えそうでね。せっかく紹介してもらったのに悪かったね」
「いえ、こちらこそ大変失礼致しました。契約どおり、登録料の十倍を迷惑料としてお支払い
致しますので。あ、求人の再紹介については優先的に致します」
「お願いします。じゃ」
携帯を切ると、体の力が抜けた。
こんなことは初めてだ。
もちろん依頼人の都合や登録会社の事情で、紹介を取り消すことはある。いずれも
美加のミスではない。
しかし、クビということになると話は違ってくる。紹介した美加の審査が甘かったという
ことだ。しかも五回も。支払った登録会社への賠償金は今までに四百万。思わずそんな
計算などしてしまう。
登録会社へ適切な就職希望者を紹介する美加は、仕事柄人を見る目には絶対的な
自信を持っている。どんな会社でもこれを間違えれば倒産につながるという、社員配置を
担う部署、人事部代わりなのだから。
何なのよ、あの男っ。
食欲も失せて取り損なった昼食を乱暴にカバンに詰め込んだ。
散策コースという札の立てられた芝生を突っ切って道路に出ると、やってくるタクシーに
手を挙げた。ところがそう思ったのは間違いで、巡回中のパトカーだった。婦人警官が
不審そうに眉をひそめる。
照れ隠しに点滅しかけている横断歩道を急いで渡って、目の前の松江市役所
駐車場に飛び込んだ。ずらりと駐車された市民の車。その向こうに、簡単なタクシー
乗り場がある。
近づいて窓をノックすると、シートを倒し雑誌を顔に乗せていた運転手がすぐに起き
上がってドアを開けてくれた。
「学園通りの喫茶店オーレまで」
はいよ、という返事と共に車がスタートした。オーレは今までに何度か、美形店員揃いで
コーヒーのおいしい喫茶店、というよくわからない見出しで雑誌に紹介されている。とも
すればルックスで選択しただろう、と記者の腕を笑うところだ。だが、まんざらウソでも
ないことが証明され、松江市内を紹介する主な観光用雑誌にも"一度は訪れたい店"と
して必ず載っている。だから交通機関の人間も名前を言えばすぐ分かるのである。
メールの到着音に、携帯を見ると紫苑からだった。大村が店に来ているらしい。
「損害金払わせてやろうか」
運転手に聞こえないようにつぶやいた。
オーレのドアを開けるとレジでお札を数えていた、白いシャツに黒のスラックスという
いで立ちの紫苑が、「いらっしゃい」と笑いかけて来た。美加にしか分からないしぐさで
奥のテーブルを示す。
のっしのっしとわざと足音を立てて近づいて行くと、大村が立ち上がって「やあ」と手を
挙げた。これが初対面なら、非のうちどころのない笑顔に性格はともかく、接客業を
推すところだ。
「ちょっと、どういうことよっ」
言葉とは反対にカバンをそっと椅子に置いて――愛用の伽那が壊れでもしたら大変だ
――、美加は大村を睨みつけた。すまなそうに頭をかくところは素直なのだろう。
「いや、ごめん。わざとやってるつもりはないんだけど」
わざとやってたら今頃宍道湖に沈めてるっての。
内心毒づきながら仕事を始める。原則依頼人からは一回分の紹介料しかとらないので、
ただ働きという無駄な時間は早く終わらせるに限る。
「――あれ? あんたそーいや何でここにいんのよ? まだこの時間だと学校でしょ」
「何言ってるんだ。夏休みだろ」
「あ、そうだっけ」
やば。そーいやもう七月も終わり間近だ。
二年前に学生をやめた身では、七、八月が遊べる月だという感覚がない。
すっかり忘れてたから、今日普通に家出てきちゃったよ……。補習ってことでごまかし
とくか。八月に入ったらあまり制服で出掛けないようにしなくちゃ。
高校生を装っていると、こういう時のフォローが大変である。
半分投げやりにファイル検索をかけてプリントアウトすると、《紹介状》とタイトルのついた
紙に名前を書き入れて渡した。
「もう、今度首になったら絶対紹介しないからね。ホントのハローワークに行ってよね」
「分かった。ありがとう」
大村が元気良く椅子を倒して立ち上がった。こちらを振り向いた紫苑にわびながら椅子
を起こすと、またも机に体をぶつけて足早に立ち去っていった。手を伸ばしたが、僅かの
差でグラスが倒れ水がテーブルに広がる。
美加は急いで伽那を持ち上げた。あわてて紫苑がふきんを持って飛んで来た。
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